主人公のすずの声は能年玲奈(現在はのん)がやっている。すずは、ぼんやりしている18歳の女の子である。
のんも結構な天然であったが、このすずも、かわいそうなくらい弱く、存在感のない奴だった。のんのために作ったんじゃないかと思えるような話になっている。
この話はそれに尽きるような気がする。
すずの強みは弱さだ。馬鹿馬鹿しいような人の良さで、抜けてるんじゃないかとおもえるような女な
のである。
それでも、広島から呉市にお嫁に来て、あれこれと苦労して暮らして行く。
彼女は絵を描くのが好きだし、上手であった。いつも絵を書いていたが、戦争が進むにつれて、そんな悠長なことはできなくなる。
いつもいつも爆弾から身を守り防空壕に逃げるばかりの毎日である。呉市は、焼け野原となっていった。
ある日、爆弾を受けて、右手首をなくしてしまう。一緒にいたはるみという義姉の子も死んでしまう。義姉の子が死んでしまったのはすずの責任だと責められ、自分の手首も失い、もう絵も描けないし、モンペの紐も結べないのだった。両手がないと、何もかもチグハグになってしまう。里に帰って苦しみを忘れたかった。手を失うなど、大きなショックかとおもわれる。人間いつ何が起こるかわからないのう。
そうしている間に、暑い夏の8月6日の朝、何かが光って見えた。広島の里の家に帰ると言って準備していた時であった。大きな風が来て、瓦が飛ぶような音までした。家も地震のように大きく震えた。広島は呉とは違って、ほとんど爆撃もなく、平和なものであったのだ。だから、まさか広島に、原爆が落ちるなどと誰も知らなかったのだ。
あとで、里へ帰って見ると、父母は死に、妹は放射能を受けて原爆症で、伏していた。
広島は大破し、何も無いのだった。原爆孤児がたくさんいた。
その中で、ひとりの母を亡くした女の子を連れて帰る。呉の家で皆でその子を育てることになった。
小姑の子供のはるみの遺品の服が役に立ったようだ。
音楽は良かったし、厚かましさの無い、するする飲める優しいお茶のような味わいの音楽であった。
またそれが、涙を誘うというか、不思議なものであった。
これは本当にあったことだったのか?
弱い一人の若い女が、なぜか生き残るすべを知っていた。