スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ベイビー ドライバー 2017年 エドガー ライト監督

なぜ、この題名なのか?   サイモンとガーファンクルの曲の題名。そもそも意味不明のふざけた歌であるのに。始まりはいい感じで、これ面白くなるかもと、期待が膨らんだのだった。若い男とジイさんが一緒に住んでいるところから始まり、リズム感もノリノリなのだ。でもねえ、どこかおかしいと思われる箇所があちこちにあるんだな。

I wonder how your engines feel.what my  number,  i  wonder how your engines feel.

この歌はベイビードライバーと呼ばれる男が、エンジンを吹かして走る。

つまりフカシである。

映画もこの歌に負けることのないフカシのストーリーですすんでいく。

銀行強盗の一味に加わったベイビーは無理矢理な仕事をさせられて、心が曇るのだった。

しかしお金を稼ぐために得意の運転を武器に強盗の仲間になっていた。

ベイビーの両親は離婚寸前で、事故に遭い、死んでしまった。

生き残った彼も耳に障害が残った。

いつもいつも、イヤフォンで音楽(ミュージック)を聴いていないと、耳鳴りがして悩んでいたのだった。

色々な音楽を聴く彼、あらゆる音楽に身をまかせる彼、そうやってきつい運転を乗り切るのだった。

 

誰だって、歌を聞いたりして運転するのは楽しい。

特に、好きな歌だと格別だ。景色まで変わって見える。

 

最後は、大きなヤマのかかった仕事だったが、仲間が殺しをしてしまい、警察に追われて行く。

スタントマンのように飛んだり跳ねたりの逃走劇が始まる。

 

仲間割れのようになり、皆死んでしまう。

ただ一人ベイビーのみ残ってしまい、監獄に入る。

 

でもベイビーを待っている恋人がいて、執行猶予で出所してみると、笑顔の彼女が立っていたのだった。

オメデトウ!

でもそれがなんなの?絵に描いたようなストーリーでした。

 

 

 

 

クヒオ大佐 2009年 堺雅人主演

実在した詐欺師のクヒオ大佐という人物。これを映画化したのだ。アメリカ空軍のパイロットという出で立ちで、女を騙し、金をむしり取るクヒオ。

彼の育ちは悲しいものであった。親の暴力、そういうなか、育った彼はいつのまにか、詐欺師になってしまっていた。

アメリカの空軍パイロットと名乗ると、女はコロリと騙された。

逢瀬を重ねて愛を囁き、金を奪うのだった。

本当は安いアパートに住んでいる彼であったが、いつも空軍部隊の前で車を降りるので、其処に住んでいると思う女。

だが憎めないのだ。堺が演じると憎めない人物となる。付け鼻で本物の外国人のような面立ちになっている。

最後は詐欺師と見破られて、警察に追いかけられるクヒオ大佐

逃げ惑うのだが、とうとう捕まってしまう。

だが彼はすでに幻想の世界に頭が入っていた。

 

 

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本物の空軍、本物の米兵士達。

 

おかしなものが見え出して混乱の中で映画は終わる。

女は、クヒオ大佐を追いかけて、走り出す。

彼はすでに警察の車の中で、観念して座っていた。

 

偉大なるしゅららぼん 2014年 万城目学 原作より

濱田岳   岡田将生主演の映画だった。琵琶湖湖畔に昔から住む種族の二大勢力の戦いだ。

だが二つの種族は助け合って、苦難に立ち向かうことになる。

苦難とは…、そこを見ていなかったので、答えることもできないスッポコである。

全く頼りにならないな。

濱田は、居るだけでおかしげな雰囲気であるし、岡田はまあ、濱田の執事のような役どころで

やはり、不思議な力を持つ種族の一人であった。

一緒に戦うことになるのだが、まだ新米で術はそれほど使えない。

大きな龍神様が琵琶湖の空から出てくる。これが主のようだ。

そして悪者は居なくなり、また元どおりの平和が戻ったのであった。

平和になったと言っても結局、よく分からん、いや幼稚な筋書きであるから、まあ、まあ、いいではないのと言いたくなるようなものだった。最後の歌もへんてこりんで、聞くのも恥ずかしいような、誰を対象にしたのか、ふざけたものだった。

 

 

 

 

幸福の探求 サミュエル ジョンソン著

やんごとなき生まれの王子ラセラスは、王子の時は、大きな谷の中に閉じ込められていた。

代々の王子はそこで帝王学を学ぶならわしになっていたのだ。多くの家来や学者たちとひとつの村のように暮らしていた。のだが。

だが、王子ラせラスは逃げることを考え続け、広い世界へと乗り出すのだった。

一緒にお伴してきたのは、イムラックという執事であった。経験豊富なイムラックのおかげで、この世の冒険にもひるむことはなかった。

 

王子は従者らといろいろな場所に行くのだが、「この世の見るべきものは見つ」と言うわけで、最終的には、勉学に励むことを決める。

この世の教養を極めるために、世間から引きこもって書物と暮らすと、従者に宣言する。

 

イムラックは進言するのだった。

「そのような人間を私は知っておりますが、そういう人はたいへんなことに

なってしまうのです。」

 

ある天文学者の話をする。

何年も何年も、籠って、天文学の研究に打ち込んだ博士は、とうとう、頭がおかしくなったのだった。

おかしくなり方が、また変わっていた。

太陽も月も、この天体を司っているのは自分自身だと、思うようになっていたのだ。

雨、洪水、干ばつも博士が望めば、その通りになるというのだ。

彼は間違いに気づいておらず、時に愛想よく人をもてなしさえするのだが、心が狂ってしまい、どうしても思い込みが、治らないのだった。

 

イムラックは言う、こうした人間は実は多いのだと。

 

このようにならないためにも、王子には、勉学ばかりに引きこもるのは良くない。むしろ、この現実の世の中で生きて行くようにと、心から忠告するのだった。

 

 

幸福の探求――アビシニアの王子ラセラスの物語 (岩波文庫)