スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ガフールの伝説 ザックスナイダー監督 米.豪合作 2010年

これはフクロウowlの話である。アニメーションだが、本物の様にも見えたりする。

 

ガフールの伝説 [DVD]

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フクロウは目が大きいので、光を集めて、夜でもネズミなどを捕食するのが得意だ。そのため作物をあらす害獣を退治する良い鳥なのである。

また、飛ぶ時には、音を立てずに飛べる。

あの人面顔は、アンテナ役目をしていて、あらゆる音を集めて逃さないのである。夜の狩り人の所以である。

フクロウは森林が消えて行くとともにその数も減少している。

これはベアトリクスポターのピーターラビットからの挿絵である。いたずら好きのリスのナトキンを捕まえたじいさんフクロウ。

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こんな神秘的な動物がいなくなるのは人間にとっては大きな痛手である。

子供の頃、裏の納屋の梁に、フクロウが一匹やってきて、少しの間滞在していた。

 

「ありゃ、フクロウじゃよ」とおばあさんが教えてくれた。昼間は目を閉じてじっと寝ていたから、ちっとも怖くはないし、近所の大木にも、よく来ていて、そこのおじさんが飼っているという噂もあった。

生きたネズミやカエルを捕まえて食べさせているというので、大変な苦労だろうと思ったりした。

 

主人公のフクロウの名はソーレンといった。

この映画は、何度か見直してやっと意味がわかるというめんどくさいものであった。

キッチンで料理しながら、理解するには無理があった。あれ、この人(フクロウ)誰だっけ、こんな人(フクロウ)いつ出て来たの、と言った具合で、登場人物が、突然バッバッと変わることがあり、同じフクロウの面ばかりなので、よーく見ないと、区別するのに時間もかかるのだ。

やはり合作物だすなあ。大ざっぱで、分かりにくくてこまった。オーストリアの感性はなぜか普通じゃないのよ。

ただフクロウの飛行は見事であり、見ていて楽しめたと思った。

 

ソーレンは道徳的なことを色々喋ったりしたりして、気を引いてみせる良い子ちゃんの典型でもある。

敵の大将や、醜い心の兄と対決して勝利する。

暴力で勝って、立派な大人のフクロウになったと言っているような下りは、なぜかちょっと残念である。

 

ガフールの伝説(字幕版)
 

 

 

 

 

 

見知らぬ乗客 1941年 / 私は告発する 1951年 ヒッチコック監督

どちらもヒッチコックミステリーで、告発するの方が、ストーリーはわかりやすい。

かっっこいいい牧師さんが、犯人として追い詰められて、でもヒッチコック作品はだいたいハッピーエンドだから、雪の日の暇つぶしにはもってこいであった。牧師はあくまでも最後まで自分は牧師だと言って秘密を守り、かっこつけていた。追い詰めた犯人を生け捕りにできるものを、余計なお節介を焼いて、犯人は警察に打たれて死んでしまう。

これは牧師がバカだったからにしかみえない。

 

見知らぬでは、変な怖いおじさんブルーノが出て来て、こいつは親も精神病院で治療させなくては思っている危険な30代の男である。

スポーツマンで、代議士の秘書をしている若いイケメンに、交換殺人を申し込み、かってに、イケメンの奥さんを殺してしまう。

顔の表情がいかにも変で、印象的だ。イケメンに嫌疑が掛かり、警察に付きまとわれるが、結局は最後に、真犯人ブルーノがお縄になる。

遊園地のメリーゴランドで、犯人とイケメンが争うのだが、機械が外れて、ものすごい超スピードで、回り始める。フィギュアスケート選手の様にぐるぐるとすごいスピードで止まらない。

とうとう一人の年取ったお口モグモグの爺さん技師がゴーランドの下に潜り、地面を這って中央のブレーキまで辿り着く。

わてはこのじいさんが本当の主人公かつヒーローはないかと、監督に聞きたかった。

じいさんは技師らしく機械油のたっぷり染み込んだ布をしっかりと握っていた。

警察も本物ぽっかたし、だいたい良いのだが、後の作品にはかなわないとおもった。

 

見知らぬ乗客(字幕版)
 

 

 

 

 

彼らはどう生きどう扱われたか 2015年 鈴木信子

「さかしま」のデ・ゼッサントや、モリエール「人間嫌い」のアルセスト   、ドン・キホーテ、アッシャー家のロデリック・アッシャー、オペラ座の怪人、果てはドストエフスキーの「地下室の手記」と来た。

これらの文学作品の主人公は、昼夜逆転や、発達障害や、、ひきこもりの症状をもっているという前提のもとに、紐解いて行く。

面白いものもあっったが、わかったのはオペラ座の怪人や、アッシャーぐらいで、あとはよく分からなかった。

わかっっているのは作者だけ、といった、消化不良のまま、出版を、なぜか急いだのだろう。

着想はそれほど悪くはないかもしれないが、やはり、それでも、高校生か大学生の論文のようにみえる。

特に地下室では、大学で習った通りのバカな教授の伝授だろうか。

地下室は、一般の人たちには理解のできない秘密があるのだ。わても一般人ゆえ、さっっぱり分からんのだが、このような多分勘違いの文章を撒き散らしてはいけないだろう。

わては地下室にはちょっとうるさいよ。エヘ(^.^)

この作者のお名前は、ペンネームを考えておいた方が良いだろう。作者のためだ。

さかしまの世界に住む者でさえ、デ・ゼッサントなどという素敵な名前を持っている。

これだけでも何か、面白そうとワクワクするではないか。だから、本名のようなものは、プロになるつもりなら捨ててみるのも一考だ。

 

 

 

 

人生に座右の銘はいらない 松尾スズキ 2013年

雰囲気からしても松尾スズキは、変わった男である。悩み問答形式で進められる一問一答であるから

気軽に読めた。何も難しい話ではない。男と女の悩みや、人生の岐路に立つ悩みが、本当の事らしく並んでいる。それにズバッと答えるスズキである。

福岡から、花の東京に出てきて、人並みに苦労していや、人並み以上に、血反吐を吐きながら今の栄光を手にした。今現在生々しく生きてる感がすごい文章だと思った。

 

東京は、気だるい空気に包まれボーッと明るい光が差していて、全然眩しくないという印象がある。

本当に影の多い街である。田舎では、ただ水田が広がり、気だるい光もなく空気はなぜか張り詰めていて硬い。セブンもない、百均もない、ガソリンも遠い、交番には

誰もいない。どっかの歌みたいだ。

だが東京はやっぱり好きだ。なんでもあるし、食べ物屋も多い。まるで遊園地のような夢の国である。

ただ、田舎者は長いこといられないから、ガツガツとなっってしまい、都会の人から見れば、雰囲気ですぐわかるかもしれない。歩き方も違うかも。

人の波は どう見ても、少し濁った川の流れのようにしか見えない。その人混みに流されるのは、とても気持ちがいい。何の意図もなく散歩がしたくなる街だ。こんなにいろいろに人間が存在するというのが、田舎者にとってはとても嬉しく頼もしい限りなのだ。

人がいない田舎では、猫が道を横切るのさえ、じっと見てしまうのだ。心は猫ではなく人間を求めているが、人間が存在しないごとくの田舎町は、人寂しさが極まっって来る。そこでは何故か人間はまるで犯罪人のごとく歩くのだ。人目をしのび抜き足差し足になる。何故だろうか。

 

さてスズキは、⒊11の後は、子供を持たないと決めたそうだ。子を失い、親を失う、そうした悲劇を知ってのことだろう。彼は多分東京を好いている。そのオーラを吸ってイメージを整えるのだ。

でも違っていたらごめんなさい。べつに悪気はありませんので。

 

人生に座右の銘はいらない

人生に座右の銘はいらない