スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

アスペルガー症候群の難題 井出草平 2014ねん

有名な神戸の連続殺人事件の「酒鬼薔薇聖斗」についても書いてあるのだが、総じてこのような残虐犯罪を犯してしまったアスペルガー障害の青少年のことに焦点をあわせている。

 

ちょっと気持ちの良い読み物ではない。

少年は、人間をキャベツかカボチャのように感じていて、死んだらどうなるかを観察する為に同じような年頃の少年を殺してしまった。被害者の親は医者であったが、どうなったのか。また親は、どこに行っても好奇の目で見られ、暮らしにくくて、辛いと言っている。ご両親については別の本で読んだのだが、どこに行ってもあれこれ注目され困っっていると告白されている。

犯人の親からは詫びの言葉もまだ聞かれぬといったことでも苦しむのだっった。

 

犯人の親は、新聞を見て「あら、近くで殺人があって、ハンマーで叩かれた子が死んじゃったみたい。かわいそうに」と、我が子(犯人)に言っている。

嘘と虚偽と忿怒が渦巻くこの親にしてこの子ありか。といった言葉だ。

 

このように、酒鬼薔薇聖斗という名前からして、生徒であると自ら名乗っているし、幼稚な未発達の心の問題が、引き起こしたということである。

彼が、エグリちゃんとか、バモイドウキ神とか、いくつかの造語をやっているのが証拠だという。

造語など誰でもすることはあるでしょ。

この猟奇的な犯罪が世間を震撼とさせるのに充分過ぎるものだったのは意図した事だっったのか。

 

アスペルガーの人間がこんな犯罪を犯してしまうといった可能性を持っているというのは、本当なのか。

ものすごく辛い。

というのも、スッポコだって、自分自身が、そうかもしれないという恐れを密かに持ち続けて生きているからだ。わては乱暴で、衝動的な人間。そう思っっている。だからこれを読んで、すごくナーヴァスになってしまった。

 

歪んだ考え方で持って、強い衝動性を持った人間であると断言されるのであれば、これらの人々は

監禁か、さもなくば、とても強い監視のもとに暮らすべき人々であろう。

現実問題、それは限りなく不可能で、不特定多数のこれらの人々をどうやって選り出すものかは、まじ疑問である。

 

というのも、こういう人々は、目立た無いようにひっそりと暮らしていることが多く、本来は静かな気の弱い人々であろう。

社会とのギャップにいろいろ強い不安をい抱いており、なかなか普通の暮らしまで行き着かないという

能力の不具合に苦しんでいるのだ。ハンデを抱えているのだが、それも自分でも気づかないし、

周囲も過大な期待を寄せている場合は、その負担に耐えきれなくなる。

 

いずれにしても、化け物のように扱うのは止めるべきだ。彼らは人間であるし、さらに、丁寧に扱えば、良い仕事のできる人々でもあろう。

企業でもそのような取り組みをしているが、テレビに出たりして、気の毒な事だと思う。

 

 

 

この本は科学的に統計的に分析し、真理を探し出そうとしているが、少しく

悲観に偏りすぎではないのか、とおもう。読んでいて、悲しく落ち込むのだった。

落ち込みは2日以上続き、そんなことはない!と何度も頭を振っってふりはらった。

 

高機能というのは、知能が70以上あるという意味であり、

また 、自閉症スペクトラムといって、一括で表す言い方もある。

 

アスペルガー症候群の難題 (光文社新書)

アスペルガー症候群の難題 (光文社新書)

 

 

 

 

 

 

パブリックエネミーズ 2009年 ジョニーデップ主演

本当の人物を元にして作られた映画、ノンフィクションぽいストーリーと落ち。

デリンジャーという銀行強盗の男は、次々と大手の銀行を襲っては大金を強奪するのが仕事というのだった。彼は無用な殺生はしない主義であったから、民衆にも人気があった。

彼の仲間は沢山いて、固い絆で結ばれていた。チームプレイと頭脳プレイで強奪はいつも成功する。

しかし、警察は何度も彼を逃してしまい恥を晒し続けていた。

なんとか彼を捕まえるために作戦が練られた。先鋭的な部下が集められて、銀行にはりこんだ。

だがいつもデリンジャーはお金と一緒に警察の網から逃げてしまうのだった。

 

彼は男気があって、仲間に好かれて、信頼されてもいた。彼のためなら、危険な目にあっても耐えるのだった。いつでも彼は失敗しない。僕、失敗しませんから。

だが女が捕まりとうとう住処を突き止められて、何度か物凄い銃撃戦になる。

 

彼には愛する女がいた。愛するというか、猛烈に突進していく愛である。それは刹那的で、危険なヤクザの世界の裏返しの愛であった。これは尋常な愛ではなく、命令的な恐ろしいような強い愛であった。

それは、ヤクザとして生きる彼の危うさの裏返しというエゴというものだ。

デップは、それを演じてみせる。ただ、美しいデップが演じることで、本物の愛のように見えるのである。

ソリャア、あんなに強く愛されるというのは、女にとって素敵であろうが、わてはやっぱお断りだね。

ヤクザの男が女を愛する時、男は女を離さない。それは異常な世界に足を踏み込むという意味だ。

 

 

お相手の女はマリオン  コティアール。エディットピアフの伝記映画に出た人だ。

苦手なタイプだ。落ち着きのない眼差しと、不安定な表情が常に水面の様に変わるので、落ち着きがなく、また品もない。エディットピアフ自身も品がないタイプの女だから、この役があたり役だったはずだ。

銃を肩にかけてガンガン打ちまくるデップは、それはとてもカッコ良いが、とうとう警察の総力を挙げての包囲網にあっけなく死んでしまう。その後は、急に

ショボーンと寂しくなり、

何かなあという気持ちが残ってしまう。ちょっと残念、なんでハッピーエンドにしないんだい。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

test

日曜日は、母はお休みで赤ん坊の私のお守りをしてくれた。母は、いつものように、卵お粥を作って持ってくる。 「また、これかよ。お前は卵お粥ばっかで これしか、能がないのかよ。困った女だ」 こんなことを思っていた。そのくせ、祖母が日曜日以外は面倒見てくれていたはずなのにその記憶は一切ないのだ。

よそに預けられていたのかもしれない。 かんがえてみれば、母に対して、こんなことを思うなんてひどい話だ。 「ここでいい子してじっとしていないとだめだよ。お粥さん持ってくるまで、いい子でね、待ててね、動いたらダメ、

いいね。」 「なんだって動くなだって、 ..この活発な赤ん坊に向かって、よく言うよ。まてよ、わてがどんなに動けるか、見てろよ、教えてやろう。そうだ、この窓枠を超えて向こうの庭に降りたら、きっとママはびっくりするぞ。よし実行だ。おもしろいぞ。」 「あら、赤ちゃんがいないわ!どこに行ったのだろう。まだ歩けない子なのに!

まてよ、わてがどんなに動けるか、見てろよ、教えてやろう。そうだ、この窓枠を超えて向こうの庭に降りたら、きっとママはびっくりするぞ。よし実行だ。おもしろいぞ。」 「あら、赤ちゃんがいないわ!どこに行ったのだろう。まだ歩けない子なのに!」あわてたママは、あちこち探してかわいそう。 一つ、大声で泣いて居場所を知らせるとするか。バブー!オンギャ、オンギャー、ばぶー」


なぜ子供の頃からこんなに母に反抗してたのかねえ。 あの頃若かった母も、もう93すぎた、母には迷惑ばかりかけてきた。 7時半になると、母も帰ってきて、皆で晩御飯である。 まだ乳飲み子のわてはなぜかゆりかごのようなかごにいれられていて、しかも、階段下の薄暗い空間に寝させられていた。 「なんでわてが、こんな薄暗い炭小屋みたいなところで寝かされておるんじゃ。

わては、この家のプリンセスとちゃうのんか。よし皆が飯ばっか食って無視するんなら、もっと大声で泣いてやろう! オンギャー!オンギャー!わてはここにおるで、赤ちゃん泣いてるんだから、早くわてを抱っこして揺ってあやすのがあんたら大人の仕事じゃないの、え?」 よくこんな自己中心的なこと考えたものだ!ひどい記憶である。 日曜以外は、守りの婆やさんにおんぶされて、母の職場まで、授乳に通っていたそうだ。 雪の道、池の水、綿入れネンネンベベに包まれて、背中におんぶされて全く寒くない。

 

おばあさんはわてがずいぶん重かったろうな、なんせ、がっちりした赤ん坊だったからな。 ありがとうね、昼間はいつもわては、バアバンの家でお守りされてバアバンバアバンと言って甘えていた。バアバンが死んだ時は、本当に、感謝で、泣きました。いつも近くのお地蔵さまを拝みに連れて行って拝むのでした。わてが悪い子だったからかな。

 

幼稚園

幼稚園も学校も大嫌いだったわて。

ただ幼稚園は美味しい蒸しパンを焼くおばさんがいて10時になると、おやつが配られた。

これは美味かったわ。でも給食の脱脂粉乳が死ぬほど嫌いで、死にそうだった。あれは拷問以外の何物でも無い。ただ、わては何事につけてもがまんのできない性格だったとは思う。

いたずらっ子は、下の小川で、一日中、ずっとメダカや、ドジョウや、バカ貝を取ることに熱中していたが、なぜあんなに何時間も熱中できるのかが不思議だった。

咳をわざとして、喉から血を出して、「家に帰ります」と先生に言うと、お前の考えはお見通しだと言われた。それ以来その先生の顔が見れなかった。大人になっても。

幼稚園にはめぼしいものは何もなくて、つるバラの巻いた鉄のアーチだけがとても綺麗だった。

 

 

ひどいいたずらっ子がいて、いつもわてを殴ってきた。あいつはひどくわてを悩ませていたが、もっと怖いボスがいて、わては毎日庭に出て遊ぶのもビビっていた。彼は乱暴で、砂場を荒らしては他の子と喧嘩をしていた。

こんなに怖い場所で過ごすのはわてにとっては時間の無駄であった。

キンダーブックなども雑多に置いてあったが、皆がいる場所で本など読めなかった。それに面白い話もなく、ゴリラや、ペンギンなどの写真がよく載っていた。

 

 

いつも先生に甘えている子もいた。あれは誰だったのか。先生の膝に顔を埋ずめてキャーキャー泣きまねしてた。園長先生が 優しくその子の頭を撫でてやっていた。他人の膝に顔を埋ずめるなぞどうしてできるのか?いくら幼いとはいえ、わてにはできないと思った。でもその子が羨ましかった。わては母の膝に泣いたことも甘えたこともなかった。子供の頃から自立的な性格で、世話をしなくても良いような子供だったから。

 

母はわてのことはどうでもよかった。自分のことでもなく何か他の事に心が持って行かれていた。

母の心はなぜかねじ曲がっていて、どこまでいっても迷路のような複雑さで、誰も母の本心がわからないと言う仕組みになっていた。真実は隠されていた!真実を隠すために複雑に作くられた要塞というものだ。その性格が、生まれつきであったのかさえもわからない。

 

それゆえ、敏感なわては甘えることさえできず、母も常にあやふやな接し方をし、目はいつも遠くを見つめていたのだ。日曜日は、大抵の子供は、「ママに甘えるらしい」と、どこかで聞き知った。わてもそれをトライしてみようと思ったのだった。

 

さっそく膝に乗って見た。肩に腕をかけてみた。きっとママは、世間のママのようにわてを可愛がってよしよしとあやすだろう。しかし母は、やはり上の空で、遠くを見つめていた。

哀しきわて。だが、わては難しい母を許すことにした。母がわてを愛してくれなくても、わては母を愛そうと 、いや愛することができるのだと、人間としてのプライドをかけて自分に誓たのだった。それも随分大人になってからだったが。