スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

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日曜日は、母はお休みで赤ん坊の私のお守りをしてくれた。母は、いつものように、卵お粥を作って持ってくる。 「また、これかよ。お前は卵お粥ばっかで これしか、能がないのかよ。困った女だ」 こんなことを思っていた。そのくせ、祖母が日曜日以外は面倒見てくれていたはずなのにその記憶は一切ないのだ。

よそに預けられていたのかもしれない。 かんがえてみれば、母に対して、こんなことを思うなんてひどい話だ。 「ここでいい子してじっとしていないとだめだよ。お粥さん持ってくるまで、いい子でね、待ててね、動いたらダメ、

いいね。」 「なんだって動くなだって、 ..この活発な赤ん坊に向かって、よく言うよ。まてよ、わてがどんなに動けるか、見てろよ、教えてやろう。そうだ、この窓枠を超えて向こうの庭に降りたら、きっとママはびっくりするぞ。よし実行だ。おもしろいぞ。」 「あら、赤ちゃんがいないわ!どこに行ったのだろう。まだ歩けない子なのに!

まてよ、わてがどんなに動けるか、見てろよ、教えてやろう。そうだ、この窓枠を超えて向こうの庭に降りたら、きっとママはびっくりするぞ。よし実行だ。おもしろいぞ。」 「あら、赤ちゃんがいないわ!どこに行ったのだろう。まだ歩けない子なのに!」あわてたママは、あちこち探してかわいそう。 一つ、大声で泣いて居場所を知らせるとするか。バブー!オンギャ、オンギャー、ばぶー」


なぜ子供の頃からこんなに母に反抗してたのかねえ。 あの頃若かった母も、もう93すぎた、母には迷惑ばかりかけてきた。 7時半になると、母も帰ってきて、皆で晩御飯である。 まだ乳飲み子のわてはなぜかゆりかごのようなかごにいれられていて、しかも、階段下の薄暗い空間に寝させられていた。 「なんでわてが、こんな薄暗い炭小屋みたいなところで寝かされておるんじゃ。

わては、この家のプリンセスとちゃうのんか。よし皆が飯ばっか食って無視するんなら、もっと大声で泣いてやろう! オンギャー!オンギャー!わてはここにおるで、赤ちゃん泣いてるんだから、早くわてを抱っこして揺ってあやすのがあんたら大人の仕事じゃないの、え?」 よくこんな自己中心的なこと考えたものだ!ひどい記憶である。 日曜以外は、守りの婆やさんにおんぶされて、母の職場まで、授乳に通っていたそうだ。 雪の道、池の水、綿入れネンネンベベに包まれて、背中におんぶされて全く寒くない。

 

おばあさんはわてがずいぶん重かったろうな、なんせ、がっちりした赤ん坊だったからな。 ありがとうね、昼間はいつもわては、バアバンの家でお守りされてバアバンバアバンと言って甘えていた。バアバンが死んだ時は、本当に、感謝で、泣きました。いつも近くのお地蔵さまを拝みに連れて行って拝むのでした。わてが悪い子だったからかな。