スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

人生に座右の銘はいらない 松尾スズキ 2013年

雰囲気からしても松尾スズキは、変わった男である。悩み問答形式で進められる一問一答であるから

気軽に読めた。何も難しい話ではない。男と女の悩みや、人生の岐路に立つ悩みが、本当の事らしく並んでいる。それにズバッと答えるスズキである。

福岡から、花の東京に出てきて、人並みに苦労していや、人並み以上に、血反吐を吐きながら今の栄光を手にした。今現在生々しく生きてる感がすごい文章だと思った。

 

東京は、気だるい空気に包まれボーッと明るい光が差していて、全然眩しくないという印象がある。

本当に影の多い街である。田舎では、ただ水田が広がり、気だるい光もなく空気はなぜか張り詰めていて硬い。セブンもない、百均もない、ガソリンも遠い、交番には

誰もいない。どっかの歌みたいだ。

だが東京はやっぱり好きだ。なんでもあるし、食べ物屋も多い。まるで遊園地のような夢の国である。

ただ、田舎者は長いこといられないから、ガツガツとなっってしまい、都会の人から見れば、雰囲気ですぐわかるかもしれない。歩き方も違うかも。

人の波は どう見ても、少し濁った川の流れのようにしか見えない。その人混みに流されるのは、とても気持ちがいい。何の意図もなく散歩がしたくなる街だ。こんなにいろいろに人間が存在するというのが、田舎者にとってはとても嬉しく頼もしい限りなのだ。

人がいない田舎では、猫が道を横切るのさえ、じっと見てしまうのだ。心は猫ではなく人間を求めているが、人間が存在しないごとくの田舎町は、人寂しさが極まっって来る。そこでは何故か人間はまるで犯罪人のごとく歩くのだ。人目をしのび抜き足差し足になる。何故だろうか。

 

さてスズキは、⒊11の後は、子供を持たないと決めたそうだ。子を失い、親を失う、そうした悲劇を知ってのことだろう。彼は多分東京を好いている。そのオーラを吸ってイメージを整えるのだ。

でも違っていたらごめんなさい。べつに悪気はありませんので。

 

人生に座右の銘はいらない

人生に座右の銘はいらない