スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

カンディード ヴォルテール作 1759年

映画キャンディを観たことから このカンディードと繋がることとなった。キャンディはカンディードからきているらしいからだ。楽天主義の権化であるカンディードは、元は、72代も続くドイツの男爵家の甥っ子だったが、このすごいお屋敷でのうのうと育ち、大したお坊っちゃんであった。その家のいとこのキュネゴンドという絶品の美人娘といちゃついているところを見られて、突然屋敷を追われたのである。

一文無しで テクテク歩いていると悪い奴らにガレー船に売られ、奴隷としてひどい酷い扱いを受ける。風の噂では お屋敷の男爵始め、奥様も、可愛い娘も、形而上学の大家である先生も、皆皆殺しにされたと聞いた。カンディードも酷い運命の下にありもがいていたが、兎にも角にも、生き延びて冒険のような旅に出る。舟に乗って世界中を旅するうちに 、恋しいキュネゴンドは生きていることを知る。彼女を探して尚、旅を進めるうちに、南米チリのあたりで、幻の郷 エルドラドにつく。

黄金の人と言う意味があり その通りで あらゆる財宝が 山の様に存在しており、素晴らしい金細工の

品が並んでいるのだった。世界中の王様の財を集めても そこにあるダイヤモンド一つの値打にもならないと言う様な、金銀財宝の郷、伝説は本当だったのだ。ただし、現実では、フンボルトという探検家が 複雑な地形のチリの隅々を踏破し エルドラドなど存在しないと言い放った。

争いも、訴訟もない満たされた生活がそこには存在していた。趣味と仕事が一体になれる所であった。

理想郷といえばゲーテのウィルヘルムが着いた村でもやはり、素敵な暮らしぶりが、紹介してあった。

教育というもののの理想の姿が、生活と共にに存在する村で、子供たちはいきいきと生きるのだった。

そんなことを思い出していたら。

 

そこを発つ時に、沢山の宝石をもらったので もう、大長者になった気分であったが、後々の旅で ほとんど失ってしまうのだった。

映画キャンディでも似たような場面がいくつか出てきて 納得するのであるが。

 カンディードの眼前で縛り首にあった形而上学の先生も、キュネゴンドも皆が生きていて いっしょに旅をすることになった。外科手術で、治したそうであるが、どちらにしても、能天気のパレードが続くのである。

この形而上学はそれもはんぱのない性善説であり、楽天主義の信念で ものごとをつらぬくのである。

しかし、それもあながち間違ってはいなかったようだ!

今で言う、プラス思考と言うものだ。この時代に、これ程のプラス思考が小説の中であれ、重大視されていたと言うことは意味があるだろう。何かスカッとするから、気持ち良い。

 

ヴォルテールは何故だか、フランスを批判していて パリなどと言う街はみながワインを飲み、呑んだくれて、恋の歌ばかり歌っているおバカの街だといっている。いつでも、恋をした、別れた、引っ付いたとというようなことしかできないんだと、絶望的な見方をしている。まあ、自国のことだから どんなに腐してもいいんだろう。

 

さいごには、みなして、農業を主にして一緒に暮らすようになる。野菜を作っては、市場へ売りに出し、キュネゴンドはおいしいお菓子を焼き、婆やは、布を織るのだった。

エルドラドから持ち帰った ダイヤモンドも、もう無いが、土を耕す幸せな生活が、そにはあった。

結局 、青い鳥は足元にいたというわけだ。

ヴォルテールは、1694年に、生まれ、84才で亡くなっている。これはかなりの長生きであろう。

 

カンディード

 

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マルサの女 ⑵ 1987年 伊丹十三監督

この監督は何というか、変わっている人である。だが自ら死んでしまった。天才とは辛いものなのか?

1987年橋でにバブルが弾けるという言葉が巷に浸透していった時代であった。田舎ではまだまだピンとこない話であった。まずバブルというもの自体を見たこともなかったから。

マルサの女は税金を集めるというか、脱税したものを取り締まって、金を出させる役人の女のことである。

今回は、第1話よりさらに、煮詰まった様な濃厚な話になっている。それもそのはず、悪者には三國連太郎を配し、主役は、もちろん、妻の宮本信子である。

宮本は長く監督の妻としてまた二児の母として主婦に徹して生きてきた。味にやかましい夫の料理を作っていたという風に思われていた。

監督は、妻と期が熟すのを待っていた。

 

そしてまた夫の監督と共に、表舞台に再来した女優だ。長野出身の宮本は、昔から奇人変人の女優で他より一枚も二枚もぬきん出たものがみられた。若かりし宮本はとてもコケティッシュで、いわゆる文化の先端を走っているランナーの様に見えるのであった。その天然の才には、何かただならぬものがあった。懐かしいなあ!それも監督の演出であったのか?!

ただ、映画では、監督の考えだろうか、その天然は影を潜め、普通のおばさんんの様に振る舞う役が多かった。

監督は自分自身が普通の人ではなかった故、普通の人に憧れていたのかもしれない。

映画に出てくる宮本信子は、スッポコが知っているシュールの極みの様な女ではなくなっていた。

アレー?!、なんでだろ?

 

内容は何か複雑でよくは分からなかったが、悪者が集まっては金の事でゴテゴテと談合し、大金が懐に入ってくる様に悪巧みばかりしているのである。大金が、自分の所に入るようにうまい手を あれこれ打って自分たちのみが儲ける様にしているのである。権力を使うもの、ヤクザを使うもの、まるで 亡者の列である。頭がいいのか悪いのか、誰ぞ知らぬや。

三国は宗教法人の名の下に、無税となり、それを隠れ蓑として、多くのラブホテルや、スナックバー、また、ヤクザを使った地上げの会社などを営業しており、多額の収入を脱税していたのである。それをつきとめるのも、またマルサにとっては至難の技であった。まあ、普通の人には無理であろう。

音楽もノリノリで、打楽器とホイッスルとが、リズムを刻んでドンドンガンガンおもしろい。

下っ端のものは、口封じに殺されて、上のものはますます肥え太る。現在の政治を見ている様だ。

発展の名の下に肥え太るものの企みは恐ろしく誰もとめることもできない。生き物のように止まることを知らない。国を街を村をどんどん飲み込んでいく。末端を切っても、上に行くほど中心に行くほど悪く腐っているので、つまり、忖度の網の目で繋がった輩の仕業とあらば、そう簡単には、

誰も、その木が切れないのである。いわゆる呪われた木だ。切ったものに災いが。

ワイワイ、賑やかい映画だったが、なあんだ、こんなものか、観て損したなあと思わせない伊丹監督の映画の情熱が集まった作品だ。

 

 

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ダンシングヒーロー 1992年

社交ダンスの大会に向けて、ダンス教室では、練習が繰り広げられていた。その中のエースは優勝候補の若い男であった。両親も彼に期待していた。必ず優勝してほしい、優勝させたい。させるんだ。といった意気込みのママであった。ママは、過去、優勝寸前までいったダンスの名人であった。ダンスの先生をしている。

パパは、なんかのろまな男でダンス教室の雑用係。

過去においてスーパースーターだったペアーたちも今はアルコール中毒で立っているのがやっとのような人になっていたりで、混乱していた。

まあ、社交ダンスというのは、特殊な世界なのであろう。特殊な衣装、特殊な動きのダンスにも

色々約束事があるようにみえるが。だからこそ、ハマるとおもしろいのだろう。

若者は、社交ダンスのフロワーで、突然現代的なダンスを始める。皆が唖然とするなかアクロバティックなダンスでブーイングをうける。これは規則違反か、始まって以来の事故であったか。

そんな中で、パンパシフィックの大会に向かって新しいペアを組むことになる。

若者は、一番目立たない女を選ぶ。彼女は、実はフラメンコの血を引く家の娘であった。

相手がちょっと悪かった。しかし彼は彼女の家で本物のフラメンコを習い感激に浸り、大会で、これを踊ろうと心に決めた。しかし、これは社交ダンスだろうか。フラメンコの大会ではないのに。

スッポコにはここが、どうしても納得が行かずに、困ってしまうところである。

この映画はなぜこんな風になっていくんだろう。監督は、何が言いたかったのか。すっぽこにはわからない。

突然、変な踊りをやり出すのは、この若者のに始まったことではない。じつは彼のパパもおなじ誤ちをを過去にしていたのである。パパはすごい踊り手だったのに、突然誰も見たことのない様なステップをやっていまい、ペアーを解かれて、この世界から追い出されたという過去があった。

パパはすっかり失望して世捨て人のようになったのである。本当はすごい才能のある人だったのに。

コレが元になって、息子には、正当な踊りで、優勝してほしいというのがママの願いであった。

決してパパのようにはなって欲しくない。パパの轍を息子が踏んではいけない。ママは強くそう思っていたのだが。

大会の当日、息子は例のフラメンコ娘と組んで、フラメンコをおどりだした。

これはまずい!会場は緊迫した空気に包まれ、騒然となった。

しかし息子は、失格となっても踊り続けた。

会場も総立ちであった。フラメンコおそるべし!っていうか、別にフラメンコが嫌いなわけではないのですが、どちらかと言えば好きな方ですが、

ただどうにも釈然としないのですよ。

何とかしてくださいよ!

 

 

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ミスター ノーボディ 1973年 マカロニウェスタン

主演はテレンス ヒルというとても元気の良い若い男だが、副主演を老練なヘンリーフォンダが取っているため、どうしても、ヘンリーばかり見てしまうことになる。ヘンリーは68歳で、そろそろ老境に入る準備の時期であるが、それを利用しての演出になっている。なにをやっても、ヘンリーはヘンリーだ。なにか彼の為の特別席が、いつも準備されているような扱いだ。

それに対して、テレンスはナイナイ尽くしの風来坊であり、体を張っての役作りであった。

均整のとれた若い肉体を持ち、厚い胸板に、筋肉のついた足が魅力である。青い眼をして、フォンダを見つめるが、フォンダの目の方がもっと青かった。残念!

キャラとしては、爽やかだが、このテレンスのようなキャラの人間に会ったことがある。

やはり風来坊というものは、渡世があって 嘘もつかなきゃ生きて行けないのだろう。お調子こいた発言がとても多いのが特徴である。それが悪いわけではないが、私には、こんな旅から旅の生活など到底無理である。そういう役を、テレンスはものすごく頑張って演じたのだが、それでもなお、フォンダに食われてしまっているのが気の毒である。いや、大先輩にみずからへりくだっった。

音楽はモリコーネで、映画「ウェスタン」で使った音楽と同じ手法である。

また150人いるという盗賊団ワイルドパンチが、どこからともなく出てくる不思議な映画であった。

弟がワイルドパンチが出るとなぜか、ゲラゲラ笑うので、不謹慎であった。

彼らの存在意味がまるっきり不明なので、弱ってしまった。

あっ、金塊を手に入れようとしていたんだね。でも、結局は、金塊はテレンスボクちゃんとフォンダのものになっていくので。でもあの沢山の馬と人を調達するのに大変な苦労がありそうだ。

それをフォンダは、たった一人で、やっつけてしまうのである。やはり伝説のガンマンであった。

それに憧れるテレンスボクちゃん。

でもなぜ、フォンダのような味が出ないのか、フォンダの洗練された身の動きと表情は、見るものを引きつける。あのドングリ目と、チジレ髪と歯が少し出た口もとのどこが良いのやら!

しかし、スッポコは大フアンなんです。恥ずかしいことにね。

最後のマカロニウェスタンといわれるこの映画は、実はずっと昔にテレビで見た記憶がある。

友だちの家のテレビで日曜日の午後の映画でした。友だちは、私よりずっとませていて、いつも、テレビで映画を見ていたものです。マセマセでしたね。

からくり部屋のシーンで思い出したのです。あの頃は フォンダについて、何一つ知らない頃でした。

 

 

 

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この映画は良く見ていないと、分からなくなるので、結局2度見して、確認したが、早撃ちの映画なのでか見落とした部分がちょこちょこできてしまうのだ。うかつに、お茶を入れたりしている暇もないという訳だ。

余談になるが、ノーボディというのは勇者オディセウスのことで、お前は誰だと聞かれて、ノーボディ

と答える。敵が探しに来て、誰かこちらに来たかときいたとき、見張りは「ノーボディ」とこたえてしまう。と弟から聞いた話ですが。