スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

1968年版 キャンディ

1968年版のキャンディは、いわゆるおバカキャラの女の子がいろんな冒険をするのだが、昔からおバカと言うのが既に存在していたのだ。今に始まった事ではないんです。

元はと言えば仏のボルテールの「カンディード」 と言うお話がもとになっているらしい。

カンディードも、男ながらいいとこのお坊ちゃんで、馬鹿キャラである。疑うことを知らず、色気もたっぷりで、旅に出るのだった。

キャンディはうら若き大学生で、ある日マクフィスト教授の詩の講義を聴く。みんなマクフィスト教授に夢中である。何故なら、カッチョいい中年で、熱烈な詩を朗読するからだ。世界を放浪した話もあって、若者はそれに騙される。この役は、45歳のチャールスへストンがやっていて、そのわざとらしい芝居掛かった演技が笑いを誘う。

リンゴスターがおバカな庭師に扮していたが、そのままでお馬鹿なのではと思えて悲しかった。

Dr.クランカイトは外科医で、手術をショウのように公開して見せるダメな医者であった。ただ、プライドの塊でできている医者というものを皮肉っているので、ザマアミロという気もする。これはジェームズコバーンがやっていて、何かハマりすぎで、違和感を感じた。だいたいコバーンというやつは、昔から好かなんだ。

ゴッドファーザーのドンのマーロンブランドは、トラックで旅をする宗教のグルで、ホーリーな生活をトラックの中でのみ行っているおかしな男である。ブランドはこのとき44歳である。まだやせている。いつから巨体へとなっていったのか。神聖な宗教の名の下ににキャンディとやりたい放題である。

 キャンディは次々といろんな男に会うのだった。シャルルアズナブールは、フランス出身で、英語が苦手なのか、英語はほぼしゃべらない。ピアノも弾かない。彼はノートル・ダムの背むし男の写しで、

だが、大泥棒の親分であった。

なんとか軍曹はキャンディと無理やり仲良くなったが、一度だけ君の裸が見たい。男のたっての願いだ。と自分中心の問題男で、こんな男ほんと いるいると

手を打って笑えた。でもなんか哀愁漂って仕方がない男であった。

最後は怪我をしたパパの蘇りの砂漠の行者と仲良くなって、気が付いたらパパだったのでびっくり。

そんな下りで、めでたしめでたしで、おわりの歌が始まる。「彼女は宇宙の宝、自分の全てを与えて人を幸せにする。そんな彼女はほんとうに存在しているのか、否か」といった歌であったような。

コレはコレはというわけで、スッポコも大いに励まされ、弟と草刈りに出かけ夕方まで働いたのだった。

 

キャンディ、ありがとう。

そして、ボルテール兄さん、ありがとね。おかげで、畑、綺麗になりまして。

 

 

 

 

寛容論 (中公文庫)

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カンディード (光文社古典新訳文庫)

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キャンディ 2006年版

オーストラリア映画。  

とにかくなんでもない映画である。何も無いよ、期待したって。

ダンというヘロイン中毒の若者とキャンディというかわいい女が好き合っていて、結婚して、

子供ができるんだが、二人とも中毒で、赤ちゃんは、中途半端に生まれて死んでしまう。二人は泣くが、二人とも麻薬中毒であるのに、無理であろう。子供だってマトモに育てられないよ。ほんと。

二人は必死で、薬から逃れようとするのだが、なかなかうまくいかない。麻薬中毒の怖さが描かれている。オーストラリアでも、すごいんだろう。困った事だね。

今までも、薬を買うお金欲しさに銀行で詐欺をしたり、キャンディは売春で汚いおやじと寝たりして

お金を稼いできた。めちゃくちゃな生活、アヘン窟のような無意味な気だるさが漂う中、キャンディは

厳しいは母親からぬけだすことに成功したと、思い込んでいたのだった。キャンディはマトモな中流家庭で育ち世間知らずであった。

何よりも美しく、姿がよく、愛される女であった。

だが、スッポコが見たところでは、スゴイ上玉というわけでもない。これくらいの女は、いっぱいいるよ。でも多分、監督とかの撮り方が良くなかったんでしょうね。もっと、彼女を歩かせたり、生き生きと動かしてスタイルの良さをアピールしたり、金髪の髪がなびく様を撮せばよかったかも。

まあ、これは素人考えであるので、まず脚本がグスグスなせいだろうか。

お部屋での撮影が、うざくて暑苦しくていやだった。またはプールでの撮影も多く、魚の様に、水の中で戯れる二人がどうでもよいとみえてしまう。まあ、オーストラリアは水が貴重でしょうからね。

オーストラリアのフリーセックスの権化のような映画かと思いきや、中途半端に真面目で、中途半端に、ウザい関係を続けている夫婦、もしくは恋人のことを描いた映画か。ヘロイン、麻薬の怖さも盛り込んでいていかに麻薬が人生を破滅させて行くかが分かって、教訓にはなるだろう。

二人は結局別れて、麻薬からも縁を着るべく個人個人で生きて行くという事であったが、麻薬がこんな事で、簡単に切れればよいが、骨まで食い尽くすのがそいつの正体であるので、怖いものである。

昔、テレビのドキュメントだったがある良い家のお坊ちゃんが、麻薬中毒になり、親のお金をドンドン使っていく本当ドキュメントだった。何百ドル単位でお金を掠め取り、気づいた時はお金がなくなっていた!  警察に頼んで、ヤクの売人がお坊ちゃんに接触するところを捕まえるという筋であった。

真っ暗な公園の一角で売人を待つお坊ちゃん、待機する親と警察。木々の黒い、真っ黒い影が、揺れている。この映像は今でも忘れられません。

結局、更生施設にお坊ちゃんは送られていきましたが、ひとかどの地位を持った両親のの不安げな顔は気の毒でした。

 

問題は、1968年版のキャンディである。マーロンブランド、リンゴスター、リチャードバートン、コバーンなどのオールスターが、出るらしい。こりゃ、凄いわ!

 

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悪夢探偵 2006年 松田龍平主演

血みどろのドロドロした殺人が次々と起こり、警察も困り果てて、 悪夢探偵なるものを探して

犯人を突き止めることにしたのであった。

悪夢探偵はまだ若い男でものすごくみすぼらしいアパートに弟達と住んでいた。

そのうらぶれたアパートの作りは、何となく懐かしい感じもした。昔はよくこのような建物があちこちに点在していたものだ。

悪夢探偵は真っ黒い服を着ていて相手の夢の中へと入っていき、いろいろなことを探ることができた。

結局事件は殺人ではなくて、何かしら自殺願望を持った者たちが勝手に死んでいたと言うことがわかってくる。

実は、警察の人たちも警察の若者たちもこの社会に嫌気がさしていて死んでしまいたいと思っていたみたいだ。

結局観客の立場の私たちも夢なのか現実なのかが分からなくなるようなあまりにも混沌とした

描き方がしてあり説明ができなくなってしまうのである。解決に至ったのかも、不明である。

 

この松田龍平扮する悪夢探偵なるものは、幼い頃母親が狂死ており大変辛い思いをしてきたのである。母親は人の心がわかってしまい、苦しみながら亡くなったのである。

龍平も同じ血を引いていて人の心が見えてしまうのだった。そのために奇っ怪な事件に巻き込まれてしまうのだった。

 

第二話は、高校生が友達をからかってある古い家に閉じ込めてしまう。それから後いつもその友達が夢に現れて眠れなくなってしまうのであった。

眠れなくなった女子高生は噂を聞いて、悪夢探偵に助けて欲しいとに頼みに行く。

この映画では高校生の心理が生々しく現れていてどきっとしてしまう。そういう点ではよく描かれた

映画であったと思う。そうそう本当にこんな風だったなぁと学校の体育館とかを思い出してしまう映画であった。そういう若者の心理がよくできていたと思う。

悪夢探偵はいつも母親のことを思い出してしまう。恐ろしい形相で這いずり回る母親の姿が脳裏に焼きついていたのだった。

つまり、探偵は彼自身が深く傷ついていると言うことである。それでも彼は困っている人たちを見捨てるわけにはいかないのだった。

結局この高校生を助けて普通の生活へと戻してやることができたのだった。また夢に出てきた高校生は、この人も何とか助かってまたまた学校に帰ることができたのだった。これはまさに彼にとっての命がけの仕事であった。

この映画がまるまるフィクションであるという事はよくよくわかっているのだが、なぜか最後まで本気になって見続けてしまった。何か取り付かれたようになってしまい少し怖かった。やはりこれはフィクションであると同時に生々しい現実とつながった物語のよう に、感じてしまう少し変わった映画だと思った。

 

 

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恋のエチュード 1972年 トリュフォー監督

5月の何か気だるい午後にこの映画をみる。音楽がまたまたすばらしい。トリュフオーの映画の音楽はどれも素敵である。この不安定な緑の木の葉の木陰を歩いているような音楽はこの映画に大きな期待をもたらすものだった。

あるフランスの青年クロードは イギリスに外遊するのだったが、そこの家には美しい姉妹がいて、両方に興味を持つ。姉妹二人も、クロードを愛してしまう。もっとも良くない恋のパターンであった。

三角関係になったクロードと姉妹はゴタゴタとして愛を奪い合う。ただ妹のミリエリは、眼の病気で少し弱かった。しかしクロードはこの妹と婚約の約束をしてフランスに帰って行く。フランスに帰った途端に、約束も忘れて、女を漁るバカなクロードであった。すっかりミリエリのことなど忘れていたが、

ミリエリは彼を決して忘れてはいなかった、恋い焦がれて身の置き所がないほどになっていた。

彼への純愛は強く彼女を捉え、離すことはないのだった。若い時はこのように我と我が身でのぼせ上がるのがつねである。監督は女の心をあざやかに?あらわしてみせる。

姉のアンは活動的な女で一人パリに行って クロードに会い、自分のアトリエなどで愛し合うようになる。勿論妹には内緒である。アンは 芸術を志していて、彫刻などを手がける女であった。ロダン美術館のあるパリは、魅力的であった。

アンは他の男とも密会していた。恋多き女の姉である。

アンはとうとう妹のミリエルをパリに連れてくるが、クロードとはうまくいかず、わかれる。

その後元気だった姉のアンは、結核になり死んでしまう。人生は皮肉なものだ。

姉のいなくなったミリエリは単身でパリに行き、クロードに会う。

ふたりは7年たってやっと結ばれる。

美しいミリエリ。雪の肌のようなミリエリであった。そりゃあ、姉はもういないのだし、いいじゃないの。すきにしたら。

だが、ミリエリは、イギリスに帰り、その後牧師と結婚する。子供も出来るのだった。

ただ一人取り残された恋多き男のクロード。

姉妹を天秤にかけ  二人をズタズタに傷つけた男は既に中年の男になってしまっていた。

 

やはり、妹役のミリエリは美しい。だがこの人も女優という仕事を真面目にこなしただけだ。

本当はチャキチャキの都会人であろう。あんなイギリスの片田舎の姉ちゃんじゃないだろう。

クロード役は ジャンピエールレオで、トリュフォーの息子といってもよいような彼だ。

彼は、シャンとした健康な身体を持ち それを前面にだしている。強い彼、うらやましい。

健康すぎて、なんかマネキンかロボットぽいのが、嫌味といえば嫌味だ。だが自然な演技は、まだまだ生きている。台詞が無くとも彼には動く表情があった。

この映画は興行で失敗して、監督は、大きな痛手をおうのであった。自分の考えが、世の中にうけいれられなかったのだ。この自信家の監督にとって くるしい現実であった。

しかし今、この独特の感覚が、スッポコには響いた。芸術としての映画、芸術を追い求めた監督の熱意である。

 

女について、かなり生々しく表している方だが、本当のところは やはり女自身しかわからないものだ。

女は常に性の束縛の下にある生物である。その見返りに子供を産めるのだ。性の束縛のない女は 

まあただのロボットとでもいうべきか、ピルを飲んで自由を得た女達かというわけだ。

ピルで自由になって素敵な妖精のような衣装を身につけ、ショウビジネスをしてお金を儲けるマシーンとなるのだ。

 

 

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