作者はイタリア フィレンツェで生まれ、育ったらしい。そしてその地でこの書を書いた。
産業革命が世界に起こり、また教育の必要性が説かれた時代。国民は読み書き算盤というわけだ。
ピノキオも、イヤイヤ学校に行ったわけである。木の棒切れから作り出された人形。学校が嫌で
狐に騙されたり、サーカスに売られて酷い目にあったり、おもちゃの国で遊びはてて、ロバになったりと、大冒険が続く。
みなさんもよくご存じである。
生まれた時から、お父さんを足で蹴り上げて、驚かせる、手のつけられない悪戯坊主であった!
だが、最後には、お父さんの為に粉挽の棒を回して何日も働いて、父に牛乳を飲ませて回復させるのだった。自ピノキオを探しに海に出て、疲れ果て死にかけている父ジェペット。
怠け者だったピノキオが、急に模範的な子供になってしまうのは、何か真実味のないお間抜けな
手抜き的な感があって、納得がいかない。
大きな魚に船ごと飲まれて、蝋燭に火を灯して暮らしているジェペットの話の方が信じられるくらいだ。ディズニーでは、飼っている金魚も鉢ごと一緒だった。
看病した後で、ある日、ピノキオは、女神様のお陰で、本当の人間になっていた。薔薇色の頬をした少年に。
ジェペットと、ピノキオの悦びは大したものであった。
そばには、ただの人形になった「過去のピノキオ」がぐったりと倒れていた。
これもなんか悲しい。
クオレ物語というものが、同じ時代に出版された、人気はクオレにあった。
勤勉で、正直で、愛国心がある少年が出てくる。道徳的な模範であった。
これはこれで、面白いのだが、ピノキオの人気は、まじめなクオレを抜いて行った。
あまりにも対照的にピノキオは自由奔放の不良少年である。
だが、女神様は、こんなピノキオを嫌わずに、救ってくれる。
父ジェペットも、子供がどんな悪さをしても見捨てず、かわいがる。
新しい型の父親像というべきか。
時代の中で、大きく変化し、大きな人気を得た作品である。