この人も、いろんな物をいろんな所で食べているのです。
ワテの敬愛する色川武大。愛すべき奴。
この人の食はまあ、ひどく健全だと思った。
家族で食べていた頃の記憶が、どこかに残っているのだろう、戦前の健康な食事だ。
父親の、きちんきちんと米を三度食う習慣を見ていて、そこが基盤になっているのか。
父親は、96まで生きていたというのが、彼には、とてもとても自慢の種であった。
よい味覚というのは、以外に、その人の性格、人間性をあらわしているものだと、彼は言いたかったのではあるまいかね。戦争が始まる頃に、ちょうど思春期に入った色川先生。
裏街道を必死に走って来たため、裏街道の師匠のように言われているが、この文章を読む限り、彼は実はいいとこのお坊ちゃんだったのである。
惜しくも、早くに、亡くなったが、本も売れて、ひとかどの著名人であった彼は、大藪虎彦、すぎやまこういち、柴錬太郎、と知人も多く、お付き合いもあって高級なものも食べている。
高い店に、打ち合わせと言って集合する。接待を受けるのである。
だが、座敷で、御膳を食べても、昔ほどうまいと思えなくなって来たという。
ワテも同感だ。ダイナミックな包み込むような食事というのが、ほぼ絶滅してしまったように思う。
それだけ、歳を食って、食に対して非常に観念的になってしまったんだな。
なんでもある日本で、心のある職人はもういないのか。ま、心なんて誰も推奨しませんよね、今時。
まあ、ほんと、京都でも、ワテ、ひどい目に会いましたからね。
米にしても、今は農薬で調整されてだいたい、平均的に収穫しているが,今後の気候の変動は、人間の感知の届かない所で動いているような気がする。
そもそも農業というもの自体が、土とのお付き合いであり、複合的な事象が絡み合った、非常に難しい複雑なものなのであろう。
農家の人のの苦労は、命を削った仕事をする恐ろしく困難な、仕事だと、おもえるのだ。
実際、農家の人が、とても、ひねくれていて、一筋縄ではいかぬ人が多いのも、この困難のせいかしら。
本当は、、どんどん作って自給自足の野菜生活を理想に思っているが,欲ばかり増えて、収穫は減っている。