スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

喰いたい放題 色川武大 1984年

この人も、いろんな物をいろんな所で食べているのです。

ワテの敬愛する色川武大。愛すべき奴。

この人の食はまあ、ひどく健全だと思った。

家族で食べていた頃の記憶が、どこかに残っているのだろう、戦前の健康な食事だ。

父親の、きちんきちんと米を三度食う習慣を見ていて、そこが基盤になっているのか。

父親は、96まで生きていたというのが、彼には、とてもとても自慢の種であった。

 

よい味覚というのは、以外に、その人の性格、人間性をあらわしているものだと、彼は言いたかったのではあるまいかね。戦争が始まる頃に、ちょうど思春期に入った色川先生。

裏街道を必死に走って来たため、裏街道の師匠のように言われているが、この文章を読む限り、彼は実はいいとこのお坊ちゃんだったのである。

 

惜しくも、早くに、亡くなったが、本も売れて、ひとかどの著名人であった彼は、大藪虎彦、すぎやまこういち、柴錬太郎、と知人も多く、お付き合いもあって高級なものも食べている。

高い店に、打ち合わせと言って集合する。接待を受けるのである。

 

だが、座敷で、御膳を食べても、昔ほどうまいと思えなくなって来たという。

ワテも同感だ。ダイナミックな包み込むような食事というのが、ほぼ絶滅してしまったように思う。

それだけ、歳を食って、食に対して非常に観念的になってしまったんだな。

なんでもある日本で、心のある職人はもういないのか。ま、心なんて誰も推奨しませんよね、今時。

まあ、ほんと、京都でも、ワテ、ひどい目に会いましたからね。

 

 

米にしても、今は農薬で調整されてだいたい、平均的に収穫しているが,今後の気候の変動は、人間の感知の届かない所で動いているような気がする。

 

そもそも農業というもの自体が、土とのお付き合いであり、複合的な事象が絡み合った、非常に難しい複雑なものなのであろう。

農家の人のの苦労は、命を削った仕事をする恐ろしく困難な、仕事だと、おもえるのだ。

実際、農家の人が、とても、ひねくれていて、一筋縄ではいかぬ人が多いのも、この困難のせいかしら。

 

本当は、、どんどん作って自給自足の野菜生活を理想に思っているが,欲ばかり増えて、収穫は減っている。

 

喰いたい放題 (光文社文庫)

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