100歳以上の人たちをTVでも毎日のように目にするようになった。彼らはとても元気そうで、腰などちっとも曲がっていないし、何や彼やと趣味も多彩である。だがスッポコは特別に羨ましいとは思わない。
やはり100歳は100歳であろうから。魔法使いでもあるまいし。とは言ってもやはり100歳を過ぎて自分を保つというのは至難の技とおもえるのだ。
そんな中で桃紅(とうこう)は現役の美術家であるそうな。世界の各地にもいき、芸術家とも沢山会って来て世界的芸術家に育った人だ。
今や、1世紀以上を生きて来たその人生が
少しは人のために役に立つのかと動き出したということか?
スッポコの心に残った話は、桃紅の実兄の話である。
兄はとてもお洒落で、服装などに気を配るひとであった。ある寒い日に、温かいものを着ないで外出する。父親が、おい、風邪を引くぞ、ちゃんと着てゆきなさい、と声をかけたそうな。
お洒落な兄は野暮ったい厚着はしたくなかったのだ。
案の定、彼は風邪をひき、そのまま結核になって若い命を落とした!
この事実がよほどショックであったのだろう。
「命を大切にして、命を落とすな。」とクールな面を投げ捨てて警鐘を鳴らしているのである。
誰しも夢中なことがある。だが、そのために命を落とすのは馬鹿げたこと、 兄の二の舞だというのだ。まあ、長生きした人の忠告は聞くもんですよ。
余談ではあるがスッポコの父の親や兄弟も5人結核で亡くなっている。毎年次々と葬式があって家族がどんどん減っていった。父は生前そんな話は一切しなかったが、本当は悔しかったと思うのだ。
彼女の言葉には竹のようにサヤサヤと風に逆らわずに生きて来たような雰囲気がある。
賞をもらうのが嫌で、逃げてばかりだ。重荷になるものは貰わない方が良い。
賞をもらって喜んでいる人は、やはり野暮ったく見えてしまう。
謙虚に歩む方が無理がなくて良いのだ。
一人では作品は成り立たないと知っている。
部屋があって、紙があって、墨や筆があって、はじめて作品が書けるのだから、自分だけが神がかって書くなどというのは違う、思い上がってはいけない。と、これなどは女性らしい言葉だと思う。男性は、なかなか自分本位であり謙虚さに欠けていると思う。しかし彼女の作品に対しての眼識はわたしにはない。良い作品を書こうといのちをかけるのが芸術家だと思っていたので、またまた、彼女の言葉に驚いた。
究極の作品を作ろうとしても、墨で描くということは、もともと、大変にむずかしいだろう。
人間の方が、墨に食われてしまうからだ。考えれば考えるほど、策を練れば練るほど、、逃げて行く。
宇宙の闇をつかもうとする様なものだ。そんな気がする墨である。彼女は禅宗について度々述べているので、無常、中庸、無限 、慈悲とかに関係するものをあらわそうとしたのかもしれないな。
爽やかな女性、篠田は空気のように、部屋に射す日差しのように生きることに耐えているのではないだろうか。だがなかなかの勇気である。