スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

王妃の館 2001年 水谷豊主演

潰れかけた旅行会社の夫婦が、フランス旅行を売り込む、それに来たのは8組ぐらいの日本人である。

ルイ14世にまつわる由緒正しいホテルであるが、そこに、夜と昼を入れ替えて別々のツアー客が泊まることになり、結局共有部屋であった。が、客はそういう仕組みは知らされておらず、気がつかないのである。

そのなかの一人に作家がいて、ルイ14世の物語を書こうと思っていたのである。

これを知らなければ、この話はチンプンカンプンになる。

何故ならこの作家の想像が映画に投入されるから、現代と過去を行きつつ進んでいくのである。

ルイ13世の愛人の子のルイは生まれた時、13世のスペインから来た王妃に、窓から投げ落とされて、あしが、ビッコになってしまった。だから、いつも足を引きずるように歩き、いたずら少年らにいじめられていた。

なので、結局13世の愛人の子ということで一生を送ることになる。ただ太陽の子という名前であったが。最後は王様に迎えられるが、たった一人になるであろう母を思い宮殿に上がることを拒むのだった。本物の14世になった王は、けっきょく、フランスの敵国スペインの血とフランスの血の混血となり狭間で苦しむことになる。その後スペインはナポレオンが征服したが、しぶとく、ほんとうの意味の植民地にはならなかった。

広いルーブル博物館にも行くし、ベルサイユ宮殿の鏡の間などをそれぞれ散策する。

フランスの重厚な歴史はあまり日本人にはむかないとおもう。ルーブルなど広いし、サーっと通るだけでなにがわかるのだろうか。テロの後、また観光客が増えてきているとニュースで言っていた。異文化であるものに人間は惹きつけられるものなのだろう。

世界大戦で、ドイツがパリを占領しようとした時パリの市民らは人垣を幾重にも作り、侵入を拒否した。そして降参をして、伝統あるフランスの建造物を守った。ルイたちが作り、ナポレオンが化粧を施したこの秘宝の街を、と作家の水谷が説明している。

スッポコの弟が、「そんなのウソウソ!」と横から茶々を入れたが、スッポコは高校の世界史の先生がそんな話をしていたことを思い出した。記憶力がいいと我ながら思う。

安達祐実のファッションが良くできていた。ツアーコンダクターらは相部屋になっていることを隠すために死に物狂いで四苦八苦していた。

それもとうとうバレる時がきた。

しかし旅人たちは皆それぞれ苦労人たちであり、要するに困っている人に対して理解を示す寛大さがあった。そして旅行会社の夫婦に逆に同情するのであった。

これは良すぎる話だが、映画の中でのことである。

 

初めからある旅行会社の事件を思い出してしまうのが困ったことだった。

原作者の浅田次郎は、確実に苦笑いしたことであろう。

 

それに、水谷の作家の書くルイの物語も佳境にかかっていた。皆が完結を待ち望む中、その物語は

完成し皆の涙を誘う感動で映画は終わるのである。

 

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大雪の記憶

子供の頃は良く雪が降っていた。小学校2年か3年の冬は特に雪が多くふり、

とうとう学校も休みになった。午後休みと決まった。

でも嬉しくて女子の登校班の列に並んで帰路に着いた。

しかし、皆が、雪マントというものを着ていたのだ。純毛の赤やえび茶(暗い赤色)の子供のマントだった。

本当は貧しい家の子はこの雪マントを着用していなかった。どの子供も、雪など被っても気にしないだけの元気であったので、本来不用であった。姉のお下がりであっただろうに、虫食いもなくきれいだった。皆がまだ小さく、ブリューゲルの冬の絵のようであった。

 

ただこの赤いマントの形状が、西洋じみていた。

このマントには同じ一枚布で三角形のフードが付いていた。

わてはこのフードがメッチャ気になるのであった。あの時代はフード付きの洋服など日本にはまだないものだった。

頭がすっぽりと隠れる赤っぽいフード。顔も半分ぐらい隠れてしまうのだ。

これに、かなり広いマントが付いているからその押し出しはいかにも強いものになる。無邪気でばかな子供がこんなものを着れるわけがない。

 

このように衣服には、いろいろな意味をもっている。特にマントはおどろおどろしいものである。数年前にマント風の服が流行りすっぽりと着れるので人気だった。

しかし、わてなんかがそんなものは着れないと思った。いまもマントは決して着ない。わてはうわべだけでも謙虚でいたいのだ。

 

フードであれば、特に、テレビに出る人はやめてほしい。NHKの人がフード付きジャンパーにはっぴを着てた。

この時点で、NHKの鈍感さ極まったな。しっかりしてよね。馬鹿野郎め!

 

 

 

 

 

 

誕生日4才

夕方暗い頃に誰かがリンゴを持ってきてくれた。竹のザルに入った沢山の青いリンゴだ。

これわてさんの誕生日のお祝いにと、持ってきたもんですが。と言っている。

わての誕生日?そうなのか、10月の遅い頃のリンゴは綺麗な黄緑色だった。これが噂のインドリンゴというものかなあ。香りが良くてうまいという。。でもリンゴの木なんてどこに生えているんだい。

小さいリンゴだから店で買ったものではないしな。

しかし今日わての誕生日?わての?と聞いても誰も返事してくれない。

でも誕生日の贈り物だったら、わてのものじゃないか。食べてもいい?と尋ねれば、いや、ダメだ。

食べるなよ、このリンゴは酸っぱくて食えんのだから。食うなよ、食ったらいかん、一口もダメ!

えっ?何故自分の誕生日のリンゴを一口も齧ることができないの?!驚きだわさ。このリンゴにどんな秘密があるっていうの?

 

「わてはまだ小さい。こんな小さい子供のために、リンゴを持って来てくれる人などいるはずもない。

どうりでな、お誕生日のリンゴだなどと、

きっとわての聞き間違いだったんだろう。」

 

それにしても、本当に不思議なきみどりいろのりんごだった。その娘さんは、数年後にお嫁に行ったと聞いたが、本当だろうかと気になった。

 

 

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さてさてわてが4歳の時

さてさてわてが4歳の時、夜になると向こうの道から、羽を広げた黒い鳥のようなものが、よく飛んで来るようになった。あれは何?と、聞くと、おばあちゃんが、あれは、お姉ちゃんだがや、お姉ちゃんが、学校から帰って来ただがや、と教えてくれた。ふーん、あの人はお姉ちゃんか…。

おばあちゃんは、いつも、姉が帰って来るのを玄関口で待っていたわけだ。優しいおばあさんだったが。

姉とわては10歳違いで、姉は広島に原爆が落ちた頃に生まれ、わての頃はまだ、道も舗装されておらず、土ほこりも立っていた。

水は井戸から汲み、大きな甕に、入れられていた。4歳時は、甕に背が届かないのでいつも、水ちょうだい、水ちょうだい、とせがむのだった。おばあちゃんが汲んでくれていた。5歳になって初めて、カメの水の上の水面が見えるようになった。やったー!これで自分で水が飲めるぞ。エッヘン!わても大きくなったものだ。

 

ある日突然、誰かが、わての前に黒い影になって立ちはだかり、おい、こら、私はお前のオネエちゃんだぞ。今から私のことをお姉ちゃんと呼ぶんだ、いいか分かったか!明日からはこのお姉ちゃんと遊ぶんだぞ、いいな。チビ。

これは、母親に言われたのだろうな。妹を遊んでやれと。教育書通りにする親だったもん。

はいはい分かりましたよ、あなた。あんたは、つまり、わてのお姉ちゃんというものなんだね。

人間?いや人間だろうよ。猫ではないことは確かだわ。

ひとつカクレンボウの仲間にでも入れてやろうかのう。

 

ブーフーウーと言う世にも面白いものがあると聞いたが、それは此の世のどこにあるんだろか。きっといつか、会えるだろう。これはテレビというものがこの世にできたということらしい。

 

 

雨だれとミツバチ、小石とアリの行列、この繰り返しが四才のわての全世界だった。

雨だれのつくる水たまりほど、きれいなものはなかったし、みつばちとアリはいつもの安全な遊び友だちだった。ミツバチは決してわてを刺さないのだ。

 

でも人間というものが分かってからは、恐怖が入り込み、世界が歪むようになったのだった。

意地の悪い友達が現れて美しく従順な世界は、ばらばらに壊れてしまった。

 

 

ブーフーウー

ブーフーウー