2003年の「今、会いにゆきます」こんな簡単な題名だって、漢字とかなの並びがむずかしいのである。
おまけに市川拓司って名前もかなり変な感じのする手触りの悪い、滑ってしまうので触れないような感じのハンカチのような感じを受けます。すぐに手から滑って落ちるような不安定さ。イライラ感です。だってどんな存在感の薄いジジイが出てくるんだろうって思って。
もう少し手応えのあるペンネームが必要じゃないのでしょうか?ああ、これもお節介でしたよね。きっと。
多分本人には題名の文字はちゃんと分かっているのだが、他者は困るであろうということには、気がついていないようだ。
「いまあいにゆきます」?
フザケルナ!と怒りまでこみ上げてくる。今は漢字、ゆきますはひらがなとなっている。行くっていうのは何処へ?死ぬという意味もあるよね。行くではなく、ゆくですから、なんですかね。わざとでしょうか。本人にはそれなりのわけもあるのだろうな。
「こんなにも優しい世界の終わりかた」の「かた」も同じく統一性のないバラバラの日本語である。
この人、大丈夫?って、この人、実は発達障害、ハッショウなのだそうです。
これらの本は140万部も売れるわ、竹内、獅童らで映画にはなるわで、世界にも名を知られてるんですって。 う、うらやましいわあ!
でもまだ映画は見てないんだけど。竹内ってよく、幽霊映画に出てる感じする。「よみがえり」とかにも出てたしね。
これは実話ですが、市川拓司は、母親が、すごく病弱で、子供の頃から、母のためにいろいろやっていたらしい。でも本当は父親の遺伝かもしれないのだ。仕事で殆ど家にいなかった父親。彼は父親についてはほぼ空白で何も言わない。これがさらに変だとスッポコは思っている。
母と密着しながら暮らして、臨死体験や、死について物凄く敏感にもなって行った。「あの世」のことなど朝飯前らしい。
と言うか、そういうことが日常になっているらしい。
母のことは別にしても、
ハッショウは、やはり辛く、ややもすると、死の入り口近くにまでいってしまうこともある。
死んで、または死ぬスレスレで当たり前。そんな感じだろうか。それほど辛い症状に悩まされるのだ。
自然を愛し、歩くことが大好きな彼。独特の才能に恵まれたことは、大海原で、一人すくい上げられたような救われた人間であるということだ。普通はこうはいかないものだもの。
感謝して、精進してほしいものだ。
この本は自慢話でもあるが、色々な記事を盛り込んで、何とかハッショウの理解を取り付けようとしてはいる。参考までに読むぐらいだが、星野博士の推薦の帯が付いている。
でも座(すわり)の悪さは中々譲れない本である!
- 作者: 市川拓司
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2016/06/13
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追記…変わった民族がいて、物凄く恥ずかしがり屋で、またウソもつけないらしい。