スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ビッグ アイズ 2014年 ティム バートン監督

エイミー アダムスという綺麗な女優さんが主演してるし、シザーズハンドのティムバートン監督と聞けば面白いだろうと期待してしまうだろう。
エイミーアダムスは、今回は少し威厳のある画家を演じている。芸術化であるというプライドは、あるいやらしい事件で芸術家として威厳やプライドを持たざるを得なくなったのである。

最初は、ただ、好きで絵をかいていたのだった。女だったし、はなからプライドなど持ち歩く人間ではなかった。
彼女は、最初の結婚に失敗して娘を連れて家を出たのである。行くところもなく途方に暮れていた時に
キーンという男に出会って口の旨さに騙されてまた結婚する。
しかし彼は、彼女の描く絵を売り出してくれて、運良くとてもよく売れるようになったのだった。
彼ははこの絵は全部自分が書いたものだと世間を偽って妻の絵を売りまくり、大金をもうけたのだった。そのおかげか、生活は安定した。だが夫の偽りは続けられた。儲けたお金で、大豪邸まで建てた。
絵が有名になり、万博の代表画家としてえらばれた。今度は大作であった。国に関わる芸術であったのでもう、嘘は通らないと、言うことだ。 

今ではもっぱら国の方がこぞって、騙すことに一生懸命だがね。これは苦々しい皮肉であるよ。スッポコは騙す人々はたまらんよ。


嘘をバラそうとするが、夫に殺されそうになって、今度はハワイに逃げた。

この主人公の男運の悪さは何だろうね。ほんと。
ほんと懲りない女であるね。 そこで、なにかエホバの証人の忠告で裁判にかける運びとなった。
ハワイのエホバの証人達は、親切でピュアな志があった様だ。あくまでも映画の話だ。
そこで絵を描く裁判を受けて、マーガレットは生き生きとビッグアイズを描くのだった。
判決は彼女の勝ち。ビッグアイズの勝ちだった。
これは本当にあった話だそうだよ。

妻と、ウソつき夫の対照的な演技が見ものだ。悪者を演じた方の俳優も汚れ役をよくがんばった。

 

 

 

ビッグ・アイズ [DVD]

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レヴェナント 蘇りし者 レオナルド デカプリオ主演 2015年

ダメだ、コリャア。これ面白いですかね?なんか壮大なアメリカの大自然にみんなが負けちゃって、とうとうと流れる河の映画としか見えないの。

映像が綺麗とか言う噂も何のその、主演のデカプリオがぜんぜんきれいに映ってませんでしたし、長い髪が顔を覆い顔が見えませんでした。始終苦しそうなのでまあそういった表情なのはわかるのですが。

大自然も、まあ普通で、スッポコの周りの山川の方が魅力的かと思えるような大味なものであった。あんなのはまあ中学生のズブの素人でもとれそうだと。

毛皮収集の一団で、森の中で厳しい暮らしをしながら、毛皮を多く集めたのだ。

毛皮をを洗うには、多量のの水が必要で、どうしても河のそばに陣取るしか無いのだった。

映画の最初から河の水が地面をザーザー流れている森が出てきて、森なのか、川なのか、よくわからない地形であった。

毛皮は高額で取引されていたので男たちには辛い仕事も耐える価値があったのだ。しかし帰路の途中インデアンの襲撃に遭ってやむをえず逃亡するのである。その途中、主人公のグラス(デカプリオ)は熊に襲われて大怪我を負う。

この場面もなんかへんである。普通あんな巨大な熊に襲われたなら、一打で首をかき切られもぎ取られ、死ぬのがふつうであるからだ。あの様な柔い襲いかたはしないだろう。立ち向かう者に対して容赦もないのが野生であろうに。近くの山にクマさんが出るのですがスッポコは大きな、大きな足跡を見て

本当に転げる様に山を降りたことがあった。いや〜こわかっったですよ。足跡だけでもね。こわいもんです。

グラスは大怪我のあと動けなくなり仲間に足手まといだといって殺されかける。

ついでに、父を殺さないでくれと言った息子も目の前で殺されてしまう。

何もかもを独り占めにしようと企む仲間の仕打ちだった。

怪我をしたまま大きな森の中で捨てられたグラスは、

それ以後は冬山の中を一人で生き抜いて生の肉でもなんでもたべていきぬいてゆく。それでもインデアンに見つかると殺されるので、河に隠れたが流されて滝の下に落ちて行く。あれは本当に冬の撮影だろうか。だったら俳優も死んでしまうのではないか。CGってこともありえる。

最初からそうだったものな。クマさんもその他いろいろ。

復讐を誓った心はどんな不運に巡り合ってもまけなかった。キャンプに帰ったレヴェナントは、皆に歓迎され、手厚くもてなされた。その後隊長と雪山に息子を殺した男を探しに行くのだった。

とてもすごい悪党で、殺されてもまだたりないほどであった。 神を信じず、強盗殺人などへいちゃらであった。

こいつに隊長は殺されてしまう。それで、主人公は本当に一人ぼっちになってしまう。後ろ盾も何もない。あるのは雪だけ。

追い詰めて、奴を殺すが、こちらもまた傷を負い意識が遠のいて行くのであった。

インデアンのヨメさんが天国から迎えにくる。かあちゃん、おまえ、そこにいるのか…幻覚が訪れる。

グラスはインデアンのの女と結婚して息子がうまれていたわけだ。

命の危機にある時にはいつもこの嫁さんが出てきて彼を見ているのであった。自分は一人ではない。

綺麗なかあちゃんがいたんだ。そう思うことで乗り越えていけれた。ポカホンタスかあちゃん。

復讐は果たされた。しかしそこに残されたものは悲しく暗い河の水と同じく陰惨なものであった。やっぱ河の話だった?

 思えば、ダンスウィズ ウルヴスの二番煎じであるし、アカデミー賞はコネと金で決まってしまうのだろう。彼らの多くは実際に芸術など分からない人たちであり、姑息なビジネスマンであり、お金が欲しいだけの人たちである。アカデミー賞はそういう一部の腐った有力者達だけに握られていてそれを崩すことは、多分難しいとおもわれる。そういう人たちに媚びて作った映画は、奇妙なものにならざるを得ない。感動などとは無縁のものになるだろう。

 

ゼログラヴィティも、バードマンも、この監督の作品だった。まあ、勝手にして。

 

 

 

 

 

 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹 2007年

こういう本は、必要でなんです。ただこれが本物であればのことですが。何れにせよ、役立つものであろう。かれらの心の中が、何となくわかってくる。

これは健常者からの素朴な疑問の数々である。どの質問も直接彼らに聞きたかったものばかりである。

時々街や近所で見受ける彼らのことを、我々はほとんど知らない。近所の子供であっても、あいさつもかわさないようにしているのだから。

とにかく何もかもがわからない。そのように困り果てた周囲の人たちの為にも、もっと早くもっと大声でこんな本が存在していて、助けになるよー!と言っって欲しかった。

 

彼らは悩んでいた、苦しんでいた、周りの人を驚かせたり失望させたりする自分がとてもとても悲しいのだと言っている。小さなつまずきが彼らを大きく狂わせるので、彼らは、その度ごとに、大騒ぎをしてギャーギャーとわめき散らし周囲は無力を実感する、の繰り返しになる。

しかし、お願いだから見放さないで僕を見守って欲しいし、そうでなければ自分は生きていけないのだと強く訴えてもいる。それは本当だろうか。自立がよいことと叫ばれている現代にそんな甘えたことを言ってと、眉を上げるのは少し待って、である。そういう考え方もある。色々な考え方があるのであるから。

体に触られると、心を読まれてしまうのではないかと怖いそうだ。自分がそんなに苦しんでいることを知られるのが怖いそうだ。なぜなら、触った人はきっとその苦しみを知ってとても深く驚くだろう!からだそうだ!

これにはびっくりした。

テンプルグランディンと言う人がいて「自閉症を生きる」等の著書を書いているが、彼女自身が自閉症で学校からも奇異の目で見られ自分の居場所が見つからず悩んだことが書いてある。

ただ彼女は牛が好きで叔母の家で牛の世話をして、牛を落ち着かせてなだめるための押し付け機の中に入ったところ、とても気持ちがよくコンフォタブルであった。

これも、彼と共通していて、重力の問題として書いてある。地球の重力は軽すぎる。だから跳びはねるのだと。

もっと思い重力の中であれば、彼は普通の人のようにさっさと行動が出来るはずだと言って、夢想している。飛び跳ねるのは重力が軽くて月の世界で行動しているようなものなのだとか。

テンプルはその後勉強して大学の教授となり牛の行動学、牧畜の第一人者となっている。

彼女の考案した牧畜のシステムはアメリカ牧畜の80%にも及んでいる。

 

東田君によると、彼は言ってみれば、宇宙人のように地球に存在していると思えるそうだ。当たり前のことが、知らない外国語のようにムズカしく、とどかないもののようにかんじるからだった。

生活の中での戦いの連続である。体の動かない人がさっさと着替えたり物を取りに行ったりするのに人の何倍も時間と労力を費やすようなものであろうか。

 

彼の一生懸命さにはだれもが脱帽である。彼は生きている、そして生きようとしているのであり、素直に我々に助けを求めそばで見守っていてくれるから生きていけるのだとシンプルに言っている。

この言葉には我々も感動して彼を守ってやりたいと思い、それが逆に我々の生きがいになるという良い面をもっている。まあ、ちょっと辛口の生きがいではあるがな。

 

最後に彼は小説を書いている。恐ろしいショッキングな内容である。

かれは、不気味な変なおじさんに連れて行かれて何の理由なく突然死んでしまう。そして天国に行くのだが天国からすっかり悲しみでやつれ果てた両親を見ているのだった。

彼は家に帰ることはできなかったが、いつも彼らのそばでみてるからね、っていうものだ。両親もまた立ち直り、妹とアイスなど食べているのだった。

彼は家族のためにじぶんがいないほうがよいと思っている。だから幽霊になったのだった…。

 

まあこの本を誰が書いたにせよ。このシュールな小説は彼の発案な事は確かであろう。この様な不思議な物語は、そう書けるものではない。

 

スッポコはこの本の言っていることを信じて、こういう子達と接するときの指南書とするつもりである。

 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

 

 

 

役に立たない人生相談 佐藤愛子 2016年

佐藤愛子は、実は詩人のサトウハチロウの妹だって知ってました?

道理でね、文学の道へ入ったにはそれなりの理由もあったのだね。血族ですね。

人生相談は、あっという間に読めて ストレス解消になった。

オン年九十三歳の愛子先生が現代にはびこる色々な問題に切り込んで行く。切り口は半べんちくわを切るように素早く、大根の切り口のように潔いものだ。

勉強をしない娘、サプリを買い漁る老父など、誰でもみじかに出会いそうな悩みが多い。

この歳で、しゃんとしておられるのは不思議といえば不思議。だいたい、大正生まれの人は、こんじょうがあり、転んでもタダでは起きず、シブトサが特徴である。スッポコの母は愛子先生の一つ下であるが、利己的で、しぶとく生きる老女である。

余談になって申し訳ないが、スッポコの祖母の自慢話。明治女は賢くとても強い意志を持ち侍の奥方のような人が多いとおもう。スッポコの祖母は、十代で嫁に来てから働きに働いて結核で主人や子供3人を失い、地震で家も失い、その後も火のように進みつづけ家を守ってくれたのである。電気もガスもない時代の膨大な家事は家族分の布団を作り、着物を作ることから始まり、多肢に渡る。

そういう強い明治女の後を継いだのが大正女である。

クネクネしたずる賢いだけの薄汚れた女とは一線を引くものだ。

 

 

役に立たない人生相談

役に立たない人生相談