夜と霧の作者であるビクトール フランクル(1905-1997)はオーストリア出身の精神科医、心理学者である。彼はユダヤ人であったので、強制収容所へ送られ、終戦までそこで苦しんだ。
フランクルの功績は、やはり、生きるための、生きる意味を、言葉で、的確に表してくれたことであろう。
人生とは、その意味を問いかけるよりも先に、人生の方からあなたへと問いかけてくるものだ、と言っている。
この発見は、当たり前のことであるのに、長年発見されなかった。発見という言葉は、おかしいだろうが、そのようなものだ。
人生から問いかけてくるので、
真面目に出来るだけ具体的に答えを出すのが、あなたの仕事であろう。
またこうも述べている。幸せは求めれば逃げて行く。今ある事に懸命に生きるべし。
そうしているうちに、幸せは自分からやってくるものだ。故意に求めても人間は幸せになれません。
お金だって、求めるほど遠くなるものではないだろうか。
この逆説的な幸せ論はとても面白く、また現実的である。
この本では22章に分けて分かりやすく、誰にでも当てはまる言葉で収められているのだ。
今までは、常に何か求めなさい。どう生きるべきか、考えなさい。どうすれば幸せになれるのか。
人生の意義を見出しなさい。などなどお仕着せの説教ばかりを聞いてきたものだが、フランクルの場合、逆になっている。
目からウロコ的な論理である。
すぐに熱狂するスッポコの癖である。
この論理はすごい、すごーい。わてはこのフランクルさんの論理を信じるぞー。
幸せもお金儲けも、もうやめた。わては真実の生活をするんだ。
朝からお祈りをして清くシンプルに生きていくからね。
と、しばらくの間、家族に息巻いて嫌がられていた。
彼は収容所で、死の恐怖と戦いながら、常に辛苦を舐めて来たのだったが、助かったのは偶然であったかもしれない。
だが突然に終戦が来て、救い出された時に感じたことは、大きなことだったにちがいない。
収容所を出ようとしても出られなかった。いくら自由を求めても自由にはなれなかった。
そこに突然神の救いが出現する。この様な場合誰しも、途方も無い幸せが舞い込んだとおもうであろう。
しかしあがいたところで自由になれなかったし、逆に殺されていたかもしれない。
多くの人が、死の恐怖に耐えきれず自らの命を落としていった場所で生きたフランクルたちであった。
そうしてみると、人生の転機いうものは耐えて、耐え抜くごとにみがかれ、何かの拍子におとずれるのかもしれない。
また、人生とは真っ暗な舞台で、観客も見えずに、一人演じる芝居の様なもの、とはすべての人に言えることである。
フランクルは、自分の心理学の本を出すまでは、死んでも死に切れないと思っていた。
それも、支えになっていた。
おかげで、我々は、デカルトやサルトルを超えた見事な心を落ち着かせる論理を、現在見ることができるのだ。