幸田露伴は、明治の文豪の一人だ。彼は1867年に生まれ、1947まで生きていた。かなり長生きの方だろう。
1923第一世界大戦後の関東大震災も体験したのだし。
彼の作品についての全容はさっぱり掴めていないというより、読んでいないのだからね。
森鴎外の方をより読んでいると思う。これ他の人もそうであろう。
ただこの「五重塔」は傑作と言われているので、高校の頃読んだと思う。
最近開いて見て、なんと漢字の多いことか、また古文の言い回し多いような気がして、三行程で、とじてしまった。
ところが、弟が、「アレクサー」というものに五重塔を暗唱させているのを聞き、「ウヘー」とおもい、
自分で読まなくっちゃと思い立った。するとすぐに読めて、夕方からエアコンで冷やした部屋におこもりして、夜の12時までに読み上げた。ああ、やれやれだった。
のっそり十兵衛という、気の利かぬ大工が ある公徳な上人様に頼み込んで、自分が五重塔を建てると言い張るのだった。
彼が本気なのを見て、この小汚い貧乏な大工の品定めもせずして、にんまりと笑う上人様の素晴らしさはすごいと思った。普通、色あせて埃まみれの職人を見るときは、よくよく目を凝らして品定めをするものだろうに。
まして天下に轟くような五重塔を一人で建てるなど不可能と思われる。
だがのっそりは十兵衛は、本気であった。世間から軽蔑されて、本当の実力がみてもらえない悔しさを、上人に訴える。
親方の源吉を差し置いての懇願であった。源吉は技量も人間も親方としてとてもできた男であったのだが。
いよいよ、出来上がった五重塔は、足場の脚立などを次々と取り払ってみると、
神仏の手で作られたかのごとく素晴らしい出来栄えであった。
おそらく、遠い中国にもこれ程のものは無かろうと、皆が思うのだった。
落成式の準備をしていたその日の夕方ごろから、雲行きがおかしくなり、今まで経験した事もないような大嵐が江戸の町を襲ったのだった。
屋根という屋根、木という木をなぎ倒し、まるで、人間の罪科を一掃して許すまじというような不気味なものであった。
魔界から飛び出してきた未曾有像の化け物らが、大喜びで人間達をいじめて喜ぶそんな大饗宴となった嵐の夜。誰も眠れず怯えて、ただじっと耳を凝らすばかりである。
あまりにも塔が揺れてしなるのを見て、寺のものが恐ろしさに耐えかねてのっそりを呼びにやった。。呼び出されたのっそりは
五重塔に上がり、のみを手に握りしめて、もしこの塔が倒れるようなことがあれば、てっぺんから身を投げて死ぬという覚悟であった。
「こんな嵐には、塔は倒れませぬ。ほんとうでございます。いのちにかけて、申しますが、わしが作った塔は折れも倒れもいたしませぬ。」
そして夜が開けて、嵐の去った朝、五重塔は、昨日のままで、一本の釘も板も飛ばず曲がらず、
立っていたのである。
あちこちの寺や塔が、吹き飛んだとの知らせがある中で、のっそりのいった通り、塔は無事であった。
喜んだ寺の者や上人は、のっそりと、親方の源吉を呼んで、十兵衛、源吉の名前を墨でかき、
二人の手柄にしたという。