これも古い映画だが、田中絹代と溝口監督のコンビで頑張ったえいがである。田中も迫真の演技というか、気合が入っていた。溝口も鬼気迫るような気持ちで望んだ事がよく分かるのだ。ただそれが分かりすぎてしまい、見ているものを圧迫するのである。見ているものは苦しくなる。アソビが無くなると、息継ぎも上手くできなくなる。
元は武家の娘で、京都の御所に勤める娘であったのが、ある男との恋のために所払いとなり、相手の男は打ち首で死んでしまう。
絶望した女は、お店に勤めたり、白拍子になったりして流れて行く。いろいろ迷い迷って、体を売る女郎にまで落ちぶれ、それも辞めて、女コジキになってしまう顛末である。
途中で 名家の松平の殿様の側室にもなり、若様を生んだのだが、生んだ途端に追い払われて出て行くしかなくなるのだった。親は側室になったと言って喜び、たくさんの反物を買って借金だらけ。
しかも自分が生んだ若様には抱くことも会うこともできないのだった。
これは悲劇てきである。 そうして、お金に困った親に親に売春宿に売られてしまうのだった。
悲しく哀れで、女の地位の弱さが迫ってくる。女は体を売って生き延びれば良い。それが女が持てる答である。嫁さんに行くのだって同じようなもんだ。男のわがままに翻弄され耐え続けていくのがしあわせってもんだ。やっぱり何にも変わっていないのじゃないか。そんな気がするのだ。
愛し愛されるなんて、夢のようなお伽話なのですね。ホント。