田中絹代の半生を描いた映画である。主演は吉永小百合である。もうこれだけで興ざめであろう。
溝口健二監督に菅原文太で、これはまあ良かったよね。田中を演ずるのに吉永がわざと砕けたような演技をするのがおかしすぎる。絹代は真面目な人だと思うのでこんな風に膝を崩して酒ばかり飲むことは本当にあったことだろうか。急に怒って男の様な乱暴な口の聞き方もわざとらしくて嘘くさい。
こういう嘘ばかりの映画を作っても誰のためにもならない。監督、女優吉永の名を汚すばかりである。
また田中絹代と言う人はすこし昔の人なのでどういう人かを我々はよく知らない。なのでこの映画で
田中絹代のことが知りたかったのだが、これではほとんどなにもわからない。
事実に基づいて骨組みだけはあっていただろうが、なんかわざとヤクザな女のふりをしたりするので
驚いてしまう。
家は裕福ではなかったので、絹代は多少はやくざな面もあったかもしれないがカードの裏表の様にパッパッと演技の人格を変える吉永の演技は誰が指導したのか、指導監督の人はとてもプロとは思えない。
田中絹代の人間としての人格や性格などがまったくわからずじまいであった。
「 かあべえ」では女としての欲望など微塵もない女を演じていた。つまりそういうわけで、生きた人間を演じることはご法度となっている。頭も良く、人格者の山田洋次監督がなんとか指導できたのだろう。
はなしの筋は結局、田中が監督と出来てしまって同棲や結婚をして、別れるの繰り返しである。田中は豪邸を建てるが、それに関しても素っ気ない態度しかあらわさない。西鶴の好色一代女を溝口健二監督のもとでとるのだが、此処でやっと溝口と結ばれ、女としてまた女優として開花するというくだりになっている。
波乱万丈の女田中絹代を演ずるには吉永は、少しイイ子ちゃん過ぎて背丈に合わないというか、絹代のことをもっと研究し理解してから始めてほしかった。田中は、それこそ必死になって演技の研究をしたりでしんけんにとりくんでいたとおもうのだが。ただのラッキーガールだけの女優に演ずる裏表のいmsずではないだろう。観客だって真面目に見ているのだからね。
市川崑監督も吉永にびびってうまく動かすことはできなかったのか。
それとも監督のコンセプトがそもそも浮ついたものだったのか。