スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

安藤 百福 即席めんで食に改革をもたらした発明家 2015年 筑摩評伝シリーズ

現在、朝ドラ  、「万福」で走っているチキンラーメンの祖である、安藤百福は、発明家である。

彼を発明家と言わずして誰を発明家と呼ぶのだろう。

 

1958年、昭和33年といえば、スッポコの村に、まだ水道もなく、ご飯もかまどで炊いていたような戦時中と変わらず、ウロウロしている時代であった。

 

チキンラーメンを、まず完成品のごとく頭に浮かべられる人は誰もいなかった。両親を亡くし、

台湾の祖父に育てられた彼は、大阪でメリヤス繊維で、衣類を作り販売して成功を収める。

彼は、あくまでもそれを売る商店の人、またそれを買って着る人の側になって、全国を周り、改良を重ねた結果であった。

店の人に、どういう風にこれを売るのか、また、買った人の反応はどうかなど、細かく、尋ねて回ったのだった。

そこまで細かく徹底する商人はあまりいないだろう。だが、私は、彼の気持ちが分かる。

 

その情熱は、ずっと彼を鼓舞し、とうとう即席麺を作り上げることが出来たのだ。完成するまで一年をほぼ研究につぎこむ毎日であった。ほぼ血の出るような失敗の連続の実験であったが、彼は負けずに、諦めなかった

家で飼っていた鶏、妻のあげる天ぷらなど、ヒントは実はみじかなところにあったのである。

全てが手作りで始まったのだが、初めは、なかなか売れずにいた。問屋も、食品研究所も、

ラーメンなどという屋台の食品は下等なものとして、見向きされなかったのだ。

 

だが戦後の食糧難に、冬の日に長い長い行列を辛抱強く待つ人々は、屋台のラーメン一杯のためのものであった。

衣類もなくほぼ裸のような人々の群れが並んでラーメンを待つ姿は百福の頭に強烈に残った。

彼は心に強烈な印象が残ったことを無駄にする人間ではなかった。

 

かれはそれをずっと考え続けたのだろう。冬の日に湯気の出る温まる食品というのではなく、ただ人々はラーメンを食べたいと望んでいたと彼は、気がついた。

 

デパートの実演販売で、手応えをつかみ、すこしづつ売れ始める。

彼は問屋に無視されたので公的組織である警察、消防署、国鉄などに、卸し始め、とても喜ばれるようになった。

お湯さえあれば、すぐに出来て、鶏がらの栄養も備えた食品は、職場で重宝された。

 

 

その後、小売の店から、問屋にチキンラーメンをとにかく卸してほしいという電話が殺到し始めて、初めて問屋もチキンラーメンの重大性に気がついたのである。

卸してもおろしても、注文が絶えず、大きな大きな額へとなって行った。

百福は、工場を増やしつつ進んでいった。それでも生産が需要に追いつかないという状態であった。

あっという間に年間一億個、そして十億個のラーメンを作ることになる。

広い土地を探して、大きな工場が次々と建設されていく。

このような大企業になるとは、誰が想像できたであろうか。

百福自身は、当たり前と信じていたかもしれぬが。

 

百福は、いつもラーメンの仕上がりを気にして、ちゃんと出来ているか、自ら見に行くのだった。

微妙な事が、ラーメンの出来上がりを作用するからであった。

 

96歳までも、長生きできた百福は、後に、カップヌードルを生み出した。

カップヌードルは、浅間山荘事件で、警察隊が、雪の中で食べているのが、テレビで放映され、あの湯気の出る食べ物は何かと、テレビ局などに電話が殺到したのである。

 

そしてー現在に至るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪の華 2003年 クロード シャブロル 監督(仏)

悪の華なんて、立派な名前をつけて、フランスのボードレールが泣きますぜ。

だってフランスの有名すぎる詩人なのに、結局、フランス人は理解できてんのかということになる。

まあ、私も理解できんけどね。

 

ボードレール全詩集〈1〉悪の華、漂着物、新・悪の華 (ちくま文庫)

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シュザンヌ    フロンが、おばあちゃん役で出ていて、さすがの演技である。

 アンヌという奥さんが、市長選に出て、運動しているが、夫は苦々しく思っている。

どちらにしても、複雑すぎる家族の関係が、見ていてもさっぱり分からんので、面白くない。

分かるようにしなくっちゃね。

 

奥さんは、うまく票をとって市長選に勝つ。

その頃、夫は、家にいる義理の娘に手を出して、娘に家具で殴られて、あっけなく死んでしまう。

実はシュザンヌ  婆さんも若い頃同じ過ちを犯していた。

繰り返される家族の罪。

シュザンヌ  婆さんは誰と血が繋がっているのか、分からないので、もうしらない。

 

ただこのような雑多なつながりの家族は、辛い話である。

 

主題がいいのだが、この映画、

日本ならドラマにもならないような評価であろう。

 

 

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一体何が言いたかったのか。

バカボンのパパと読む老子 著者:ドリアン助川 2011年

著者の名前と生き方のせいで、上場できないドリアンが気の毒でもあるが、本人は多分この気楽さが好きなのかもしれない。

ガチガチの老子より、スッキリと読めるように訳してあるような気がする。

 

老子は、紀元前600年ほど前の人で、中国が、下克上の争いが続く春秋時代に生まれている。

争い、戦争を、目の当たりにしてきたので、戦争についてもよく言及している。

 

大きく硬く重い兵器は、恐ろしいものだとか、戦争ばかりしていると土地は軍隊に踏みしめられ硬くなり、イバラが覆うようになり、作物が無くなる、とか言っている。

どこかの国にも耳がいたい言葉である。

 

私が、気に留めた言葉は、

戦争の激しい前線に行った兵士たちが、10人いたとすると、生き残るものが3人いる。また、3人は戦って死ぬ。また当然生き残るはずの3人も、死んでしまうという。

何故なら、生きたいと強く思い過ぎたため、余計な動きをしてしまい、敵やられてしまうからである。

このように余計なことをすることはよくないと説いている。

 

 

天下の王の生き方、国の納め方についても、民衆を自由にしてやり、あれこれ法律で縛らず、

決め事をしたりなにかをしようとしないことだ、といっている。

何もしないことがいいのだと、極論である。

王がバカで、のんびりしていれば、民衆は、自由闊達に楽しく生活ができると。

民衆を苦しめたりする王様は、よくない。

こせこせとした法律に縛られるのは、確かに馬鹿らしい。

 

礼節だのは、うわべの心からでているので、きっと争いのもとになる。

 

これもうがっていて、ズバリいいあてているとおもう。権力に揉み手で寄っていく誰かさん達のことである。

現在では既に、大学教育と、政治と、お金との癒着が進み、公然と私物化されている事に、諦めを持ってながめるより手がないと思われる。これも、民衆の悲しみの一つである。これは、私の意見。

 

荒んだ世では、親孝行だの忠義だが強調され出すが、これはそれが失われた世の中になってしまっている証拠である。

 

爪先立っていては長く立ってはいられない、大股で急ぐものは遠くには行けない。

硬く大きな木は、切られてしまう。

 

ただ老子はいいことも悪いことも善の中にあるとして拒まない流儀であった。

 

たくさんあるが、例をあげて見た。

 

誰しもどれか当てはまるものがあると思う。

この昔に、老子は平和を唱え、弱いもの、柔らかいものが、強く、硬いものに勝るということを

言葉で訴えた天才哲学者か、賢人かというところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

バラ色の人生 1948年 ジャン.フォーレ監督

70年前という事で白黒っぽい映画だったような。

あるフランスの学校の先生で、すでに、40歳前後の男なのだが、ウブで、女のことを夢見て

妄想的になってゆく。

クラスの生徒のことや授業も上の空になり、教師の仕事もついお留守になってしまう。なのでいつも校長に怒られている。

 

というのも、校長の娘コレットが、寮にきてからというもの、男の先生たちは、皆、浮足たち、そのお年頃の娘の気を引こうとし始める。

だが、真面目でウブなテュルロ先生だけは全く知らん顔で、冷静を装っていた。

だが、生徒のいたずらで、コレットが、自分のことを好きだと告白したと、勘違いしたことから、

おかしな事になる。夢のような日々が始まり、娘との逢瀬が始まる。だがすべて、彼が勝手に作り上げた幻想なので、

気が変になってしまったと観客は思うだろう。

 

仏映画を見て思う事だが、フランスの学童のイタズラは度が過ぎていて大人を本気で痛めつける事があるようだ。

 

かわいそうなロベール先生!(普段はロベールと呼ばれていた)  

コレットはそんな事になっているとは全く知らぬことであった。

ロベール先生との手紙のやり取りも、生徒が書いた恋文を先生は読んでいたのである。

コレット嬢は、若い元気のある先生と仲良くなってしまう。

テュルロ先生は、コレットが自分だけを愛して焦がれていると勘違いしたままである。

 

こんな人間って本当にいるんだよな。例えばこの私だって。現実的に恋をするなんて、真面目で、非現実的なロベールのような人間には所詮不可能なことなのよ。

その普通の人と、夢見る人との差がぱっくりと口を開けるのが怖い映画である。

 

見ていて胸がかきむしられるようなつらいきもちになる。人ごとではない。

先生は、事実を知り、書きためた幻想的な恋の告白ノートも生徒に盗まれ、自分の命を断とうとする。

かわいそうすぎる。

 

だが、命は保たれ、回復して、学校を去って行くのであった。

「あの人、本当は、いい人だったわね」コレットは、そんなことをつぶやく。

先生の恋は、終わってしまった。もう帰らない恋であった。

 

主役の先生の役は、ルイ   サルーという俳優で、「天井桟敷の人々」の映画で、堂々とした大富豪のモントレー伯爵を演じていた。

 

 

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