スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

悪夢探偵 2006年 松田龍平主演

血みどろのドロドロした殺人が次々と起こり、警察も困り果てて、 悪夢探偵なるものを探して

犯人を突き止めることにしたのであった。

悪夢探偵はまだ若い男でものすごくみすぼらしいアパートに弟達と住んでいた。

そのうらぶれたアパートの作りは、何となく懐かしい感じもした。昔はよくこのような建物があちこちに点在していたものだ。

悪夢探偵は真っ黒い服を着ていて相手の夢の中へと入っていき、いろいろなことを探ることができた。

結局事件は殺人ではなくて、何かしら自殺願望を持った者たちが勝手に死んでいたと言うことがわかってくる。

実は、警察の人たちも警察の若者たちもこの社会に嫌気がさしていて死んでしまいたいと思っていたみたいだ。

結局観客の立場の私たちも夢なのか現実なのかが分からなくなるようなあまりにも混沌とした

描き方がしてあり説明ができなくなってしまうのである。解決に至ったのかも、不明である。

 

この松田龍平扮する悪夢探偵なるものは、幼い頃母親が狂死ており大変辛い思いをしてきたのである。母親は人の心がわかってしまい、苦しみながら亡くなったのである。

龍平も同じ血を引いていて人の心が見えてしまうのだった。そのために奇っ怪な事件に巻き込まれてしまうのだった。

 

第二話は、高校生が友達をからかってある古い家に閉じ込めてしまう。それから後いつもその友達が夢に現れて眠れなくなってしまうのであった。

眠れなくなった女子高生は噂を聞いて、悪夢探偵に助けて欲しいとに頼みに行く。

この映画では高校生の心理が生々しく現れていてどきっとしてしまう。そういう点ではよく描かれた

映画であったと思う。そうそう本当にこんな風だったなぁと学校の体育館とかを思い出してしまう映画であった。そういう若者の心理がよくできていたと思う。

悪夢探偵はいつも母親のことを思い出してしまう。恐ろしい形相で這いずり回る母親の姿が脳裏に焼きついていたのだった。

つまり、探偵は彼自身が深く傷ついていると言うことである。それでも彼は困っている人たちを見捨てるわけにはいかないのだった。

結局この高校生を助けて普通の生活へと戻してやることができたのだった。また夢に出てきた高校生は、この人も何とか助かってまたまた学校に帰ることができたのだった。これはまさに彼にとっての命がけの仕事であった。

この映画がまるまるフィクションであるという事はよくよくわかっているのだが、なぜか最後まで本気になって見続けてしまった。何か取り付かれたようになってしまい少し怖かった。やはりこれはフィクションであると同時に生々しい現実とつながった物語のよう に、感じてしまう少し変わった映画だと思った。

 

 

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恋のエチュード 1972年 トリュフォー監督

5月の何か気だるい午後にこの映画をみる。音楽がまたまたすばらしい。トリュフオーの映画の音楽はどれも素敵である。この不安定な緑の木の葉の木陰を歩いているような音楽はこの映画に大きな期待をもたらすものだった。

あるフランスの青年クロードは イギリスに外遊するのだったが、そこの家には美しい姉妹がいて、両方に興味を持つ。姉妹二人も、クロードを愛してしまう。もっとも良くない恋のパターンであった。

三角関係になったクロードと姉妹はゴタゴタとして愛を奪い合う。ただ妹のミリエリは、眼の病気で少し弱かった。しかしクロードはこの妹と婚約の約束をしてフランスに帰って行く。フランスに帰った途端に、約束も忘れて、女を漁るバカなクロードであった。すっかりミリエリのことなど忘れていたが、

ミリエリは彼を決して忘れてはいなかった、恋い焦がれて身の置き所がないほどになっていた。

彼への純愛は強く彼女を捉え、離すことはないのだった。若い時はこのように我と我が身でのぼせ上がるのがつねである。監督は女の心をあざやかに?あらわしてみせる。

姉のアンは活動的な女で一人パリに行って クロードに会い、自分のアトリエなどで愛し合うようになる。勿論妹には内緒である。アンは 芸術を志していて、彫刻などを手がける女であった。ロダン美術館のあるパリは、魅力的であった。

アンは他の男とも密会していた。恋多き女の姉である。

アンはとうとう妹のミリエルをパリに連れてくるが、クロードとはうまくいかず、わかれる。

その後元気だった姉のアンは、結核になり死んでしまう。人生は皮肉なものだ。

姉のいなくなったミリエリは単身でパリに行き、クロードに会う。

ふたりは7年たってやっと結ばれる。

美しいミリエリ。雪の肌のようなミリエリであった。そりゃあ、姉はもういないのだし、いいじゃないの。すきにしたら。

だが、ミリエリは、イギリスに帰り、その後牧師と結婚する。子供も出来るのだった。

ただ一人取り残された恋多き男のクロード。

姉妹を天秤にかけ  二人をズタズタに傷つけた男は既に中年の男になってしまっていた。

 

やはり、妹役のミリエリは美しい。だがこの人も女優という仕事を真面目にこなしただけだ。

本当はチャキチャキの都会人であろう。あんなイギリスの片田舎の姉ちゃんじゃないだろう。

クロード役は ジャンピエールレオで、トリュフォーの息子といってもよいような彼だ。

彼は、シャンとした健康な身体を持ち それを前面にだしている。強い彼、うらやましい。

健康すぎて、なんかマネキンかロボットぽいのが、嫌味といえば嫌味だ。だが自然な演技は、まだまだ生きている。台詞が無くとも彼には動く表情があった。

この映画は興行で失敗して、監督は、大きな痛手をおうのであった。自分の考えが、世の中にうけいれられなかったのだ。この自信家の監督にとって くるしい現実であった。

しかし今、この独特の感覚が、スッポコには響いた。芸術としての映画、芸術を追い求めた監督の熱意である。

 

女について、かなり生々しく表している方だが、本当のところは やはり女自身しかわからないものだ。

女は常に性の束縛の下にある生物である。その見返りに子供を産めるのだ。性の束縛のない女は 

まあただのロボットとでもいうべきか、ピルを飲んで自由を得た女達かというわけだ。

ピルで自由になって素敵な妖精のような衣装を身につけ、ショウビジネスをしてお金を儲けるマシーンとなるのだ。

 

 

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日本霊異記 平安時代初期、9世紀ごろ

日本最古の説話集といわれ、奈良時代が終わって、平安京への遷都があり、時代が動いていた頃の話だ。景戒と言う人が著した。

奈良時代には既に奈良の大仏さんが出来上がっていたのに、遷都した訳は、大仏作りに疲弊したこともあるし、僧侶が台頭してきたためでもあった。

 

この本にはおかしな奇怪な話ばかりが載っていて、人の興味を引くようにできている。

たくさんの人に読んでもらって、道徳的な心を育てたいと言う趣旨があった。殺人や、盗みを悪いこととして自覚すると世の中も平和になるだろうということだ。

 

ある人が、塩を一銭分買って、お金を払わずに死んでしまう。彼は次の世に牛となって生れ変り、塩一銭分の借りを返すまで、塩を運ぶ苦役を果たすのだった。

 

また、悪魔の子供に取り憑かれた母親に、高僧の行基が、その赤児を淵に捨てよと、警告するのだ。

赤児は10歳になっても歩こうとせず、母親にしがみついて乳を飲んでいたのだ。もう一度、行基は、強く同じことを母親に忠告する。淵に投げ込まれた赤児は、悪魔の姿を現して、「お前に取り付いて、昔の借りをかえしてもらっていたのだ」と叫んだ。

このように因果応報の理りを説いている。悪い事は後の世にまで降ってバチが当たり、善行は後世においてさえも、良い方へとなびいてゆくのだ。このようなことが真実であるとは、現代では無関係だと割り切っている。ただスッポコの経験では、そればっかりも言っておられない現実があるのである。

例えばゴミを自分の家できちんと処理せずに、川に捨てたり、よその家の空き地に捨てたりした場合

は、てきめんに、天罰が当たるような気がするが、どうだろうか。当てはまる人は、直ぐに、その悪い行いをやめてみる事だ。とにかくゴミは変なところに持っていかない事だ。社会の規則を遵守するという事だ。

人間は色々なものによって守られている。大自然を汚すような事に対しては、戒めがあるのである。

ただこれを信じなさいというと、必ず、一笑にふされるのである。だから言わないが、結局はその本人が損するだけだ。

 

狐の嫁さんが子供を産んで、夫婦で仲良く暮らしていたり、娘が蛇に襲われれたりと、奇抜な話がどんどん出てきてすぐに読めてしまった。

娘は、前に助けてやった蟹が、大蛇を切り刻んで、助けられるのだった。めでたし、めでたし。

 

今回は弟が持っていた漫画本で読んだ。

 

 

日本霊異記 (コミックストーリー わたしたちの古典)

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アデルの恋の物語 続き

なんか投稿に失敗しちゃって、ノコッタノコッタと言う感じです。

アデルは、バルバドス島で、一文無しで 行き倒れになり、地元住民に助けられる。その後、ピンソン大尉と出会うのだが、まったく彼とはきがつかない。

気持ちはただ自分の恋に夢中なのであった。ピンソン大尉は呆れて、あっけにとられてしまう。

アデルのもとに走り、「アデル アデル!」と呼んだが、彼を目の前に見てもまったくこれも気がつかないのだった。

彼女は常軌を逸していたのだった。

親のもとに帰って、病院に入り、療養生活に入った。

一方、親のユーゴーは死んで盛大な国葬をうけたのだった。

 

偉大すぎる親を持った子の悲劇という事か。きっとそうだね。偉大すぎる人は、きっと欠点も、大きくて頑固なものだろうし。こういう話は結構多いはず。

子供はロクデナシになったり 狂人になったりと色々多彩な芸をするんだよ。

アイデンティティに問題があるのか。

スッポコにとってはこの映画で、教訓になる事が沢山あったよ。

 

ある意味、アデルは、何というか、ユーゴーの人格の体現者であったのかもしれない。ユーゴーという人は、それほど捻じ曲がった心の持主であったともいえる。

妻を愛しておらず、そとに愛人でもいたのだろう。アデルは身を持ってユーゴーの間違いを体現しただけ。ユーゴーという大作家の娘に生まれてきたばっかりに。

そうなんだね。可愛いアデル。

 

それにしてもアデルの情念の激しさに固唾を飲んでみているしかなかった。

いや、人の情念というものは大概がこのようなものではないのかというのが、スッポコの意見だ。

ユーゴーレ・ミゼラブルという とても面白い長編小説を書いた人だが、娘のことはどうにもならないジレンマに苦しんだ事だろう。

こんな怖い話はもうまっぴらだ。何か、ゾクっとする鋭い怖さを感じる。

 そしてこれが監督の言うように本当のことであるならば、あまりにも酷いはなしである。