スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

寛容論 ヴォルテール 1763年

寛容論を読んだ。まあ、読んだというより、見たと言った方が正しいが。なぜなら、西洋の数々の宗教はスッポコには、興味が薄く、早急に知る必要もなしと思ったからだ。これでは、読み込むことはできないであろう。しかし、パラパラとめくって一応読んだことにしておいた。

「カラス事件」と言っても、日本ではカラスは、鳥のこと。マリア  カラスというオペラ歌手もいたけど。

どのような事件だろうと思って、読んでみたが、あまりピンとこなかった。哲学書簡は面白いと思ったが、寛容論は、惹きつけるところが少なかった。no satisfaction といったところか。

町中の狂信的(fanatic)なカトリック教徒らによって、移民で異教徒であったカラス一家に起こった

冤罪事件であった。異教徒であるというだけで、息子を殺した殺人の罪でその父親が捕まったのだ。

そして最も重い車引きの刑に処せられたのだ。彼は カルヴァン派ユグノープロテスタントであったそうな。

街じゅうが、また陪審員らも、fanatic な民衆の大きな声に感応してしまい、結局無罪な人間を死刑にしたという顛末。宗教はいつも入り乱れ、小競り合い、ユグノー派を大虐殺した、惨すぎるサン  バルテルミーの出来事もあった。このように、キリスト教は、イエスの教えを、勝手に離れて、枝分れし、取り返しのつかないものになっていた。やはりヨーロッパは広く複雑な場所だと思った。

ヴォルテールキリスト教や時代の皇帝、のことを事細かに書いた。そうでなければならなかったのだろう。

 

最終的には、その妻や、娘なども無罪となり慰謝料ももらえたそうだが、

ヴォルテールは、この事件に際して、人間性の寛容というものについて語った。

語ったが、スッポコにはよく分からなかった。

だが、寛容という熱意は何か、心にしみる気がする。それは、ヴォルテールの人格とかそういうものからにじみでたことであるから。

スッポコは、とてもとても長い間母と喧嘩していた。母が理解出来なかった。それで苦しんだ。

しかし考えて見れば母には母それなりの理由があったのだろう、との考えが浮かんできた。

これって、寛容て事かなあ。許すって事だ。屁理屈でも理性からであっても、許すって事は、たたかいはおわりってこと。

 

それとは別に、イエスのことは、分かりやすく書いてあった。情熱を込めてと言ったほうが良いか。

 

エスユダヤ人で、ユダヤ教の教えを守りお祭りにも従っていたのだ。

それが、ローマのピラトに捕まって、いろんなところに廻されて、ぶちこまれ、そして、最終的に有罪になって殺された。

「お前は本当に神の子か」と尋ねられて、

「あなたがたは、私が、父なる神の右に座し、雲の上に現れるのを見るであろう」

といっている。

なんか比喩のような言い方でもあるが。

どちらにしても、イエスは人間に妬まれて、その高貴すぎる存在が許されなくて、殺されたのだ。

人間の寛容とはあまり関係ないと思うのだが。なぜなら、イエスについては、誰だってねたみをもつだろうとおもう。

まさにイエスは寛容の人であった。だが問題は、そういうことではないのだ。

スッポコは、実は、これ以上書くことはむずかしい。

エスなどにまつわる事は誰も彼もが語れるというものではない。

 

 

寛容論 (古典新訳文庫)

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奇妙なサーカス 2015年 園 子温(しおん) 監督 いしだ壱成 宮崎ますみ 主演

変な話でなあ、説明にも不自由するのだが、これは、スッポコは、母娘の確執と見た。母に殺されかけた娘の辛い虐待の思い出。だが母は、気が狂ったまま作家になり済まし虐待された娘のことを書いた小説を発表し、人気作家となって生きていた。

スッポコは夕食を食べながら見ていたので、ご飯が急に喉に詰まって、飲み込めなくなり、目を白黒させる羽目になった。この映画は、きつい。

そこへ編集者である壱成がやって来て、作家のお気に入りの編集者となって付き人のようになる。

変わった小説は人気を呼び、本もよく売れた。だがこの作家は狂っていた。

壱成は男の編集者の格好はしていたが、本当は、まるっきり違っていた。

彼は、胸を切って男になり身体を変えて、母に近寄って来た殺されたはずの娘であったのだった!

 

このように複雑なスジなので、よく分からなくなる。いや、取り残されてしまうが、大丈夫。

石田のカッチョよい姿を拝んでいる間に、いつの間にか、勝手に進んでいくので、園監督のサービスなのか。

問題は、母が娘になりきり、娘も母になり切っていくという過程である。

母の方が重度の錯覚に囚われていて、自分が死んだ娘だと思い込んでいるフシがあった。

娘になりきって小説を書く母。

娘は母への復讐のためにいきていた。父親への復讐も果たした。

まあ、ろくでなしの親父のせいで、何もかもが壊れたのであるから。

 

「お母さん、お母さん、私よ、分からないの?!」そう叫ぶ、娘(壱成)、だが、自分が娘だと思い込んでいる母には娘が認知できないのであった!

という精神的な悲劇。依存的な弱い精神。ふがいない精神。

 

このような親子の悲劇はあちこちにあるだろう。母がなぜか子供を認知できずに無視するのは、動物の世界でもあるではないか。

この映画は、痛いものになった。痛さを思い出させ、もう一度、スタートを切りたい。

なぜか、かってに、そう思えた作品でもあった。それは壱成の輝く瞳のおかげかも。

壱成が好きだ。この人とずっと一緒にいたい。 そんな気持ちになるおバカな還暦女でした。

 

映画「Strange Circus奇妙なサーカス」(主演・宮崎ますみ)写真集

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哲学辞典 哲学書簡 ヴォルテール (仏) 1764年ごろか。

フランスのヴォルテールは1694年に、誕生した。イギリス通でもあった。イギリスのベーコン大法官や、哲学者のロックについての薀蓄。

そして奇しくもイギリス滞在中にニュートンの大々的な国葬にも遭遇した。

ニュートンは、イギリスの大英雄であったし、その学論は難しいのですべての人々に理解できるようなものではなかったが。だが、ヴォルテールは、経験主義のベーコンを敬愛しており、彼の書物には、既にニュートンの発見した引力に関する事が書かれてあったという事だ。その他、あらゆる物理的な実験についても先手を打っていたのだ。大法官と言う忙しい職務の間に、これだけのことをやっていたのだ。空気に弾力と重さがある事も既に知っていた。というわけで、イギリスが大好きなヴォルテールであった。

 

 

哲学書簡では、まず、イギリスのクウェーカー教徒の事が書いてある。

まず、これを読んで、スッポコは、ぶったまげてしまった。

こんなに驚いた事も最近なかった。 「すごい!」のひとことである。

スッポコの近所に住む年寄りのお爺さんにそっくりのクウェーカーは実在感がありすぎた。質素で、かしこく、則を超えない生き方まで、そっくりで、いや驚いてしまったのだ。このことから推測しても、ヴォルテールは実際のことを書いていたと思われるのである。

つまり、ヴォルテールキリスト教周辺の宗教などについても底に棒をさすように、真実を探し、詳しくかいているし、おもしろくよめる。

ジェームズフォックスという男から始まった宗教であるが、ご神託を得る時には、ブルブル震えるので、クェーカーと言われるようになったのだ。監獄に入れられても、看守や囚人が信者になってしまうのであった。モンテーニュや、パスカルのことは辛辣に批判をしている。

スッポコは、ヴォルテールが無知蒙昧な権力によって圧力をかけられて、真実が述べられなくなった多くの哲学者や、作家に大いに同情をしていることがうれしいのである。これは現代でも同じで、声を大にして話せないことが多いのである。

 

哲学辞典では、30もの項目をつけてエッセイ風に好きなように楽しんで書いたようにみえる。

現代でも通じそうなものも多い。愛、感覚、偶像、、性格などなどである。

キリスト教のことが、少しはわかってくるようなきがする。日本人には、やはり、キリスト教の歴史については、無知であるから。

ヴォルテールは、同期の作家などに比べ、長寿に恵まれたのであった。

 

 

哲学書簡 哲学辞典 (中公クラシックス)

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ドアーズ まぼろしの世界 2010年

あの「ハートに火をつけて」come on baby  light my fire というのか。この大ヒットをもつアメリカのミュージックグループである。1967年から1972ねんごろまで活躍した。ざっくりではあるが。

このグループの悲しい顛末。もしくはジム  モリスンに関する悲しげな記録とでも言おうか。

この映画の語りはジョニーデップであった。

もともとモリソンは、コテコテと一人で詩を書いていた青年であった。孤独好き?

それがどう言うわけかグループに引っ張られ、そのヴォーカルを突然やることになった。

なれない彼らは始めはしょぼいものだったが、だんだんと人気も出て来て、light my fire ハートに火をつけてで、大ヒットとなる。この火は、消えることなく、大きくなる一方であった。

どこでも引張地ダコで、女の子からキャーキャー言われてどこに行くにも人垣を超えていくような身分になった。

いろんなプロモーターもつき、ヒットを狙った。

ヴォーカルのモリスンは野性味たっぷりの青年で、だんだんとふてぶてしい顔つきになっていく。

これが人気者のパーフォーマンスとでもいうのだろう。どんな表情をすれば、ファンも喜び、自分にも益があるかなんてちょと知恵があればサルでもできる。

アメリカでもヨーロッパでも人気グループにのし上がり、ビートルズよりカッコええと言うことになった。riders on the storm  という曲もいいね。

 

ところがときが立つにつれてやはり才能の限界が現れてくるのである。

どれも似たり寄ったりの駄作が続くようになる。

その頃からモリスンは、ドラッグと酒にいりびたるようになり、シラフで舞台に立つ事はなくなっていく。

危機感を持ったメンバーらはなんとかしたかったのだが、いろいろなオファーが来るので、ステージに立ったり、ツアーに出たり、録音に入ったりと休む暇もなかった。

そんな中で、モリスンはますます酒浸りとなり、ドラッグで倒れそうになったまま、ステージに上がる日が多くなっていった。

彼のステージは日に日に過激になり、ファンはますます過激に喜び、最後には、モリスンは

自ら下半身を露出するという暴挙に至り逮捕される。

ただ、誰も彼の下半身をみたものはいなかったのだけど。

若者をダメにするグループとして非難の的にされた。

彼はこんなことをしたくて生まれてきたのじゃなかった。

彼は自分が詩人であることにプライドを持っていた。友人が詩集も出してくれた。

そういう人だから、有名になるほど、才能がない自分が許せなかったし、世界から見放される大きな不安もあったのだとおもう。その戦慄するような不安の穴埋めにドラッグと酒に溺れたのだ。

もちろんグループの一員であったが、他のメンバーは彼ほど深刻にドアーズの行く末を考えてはいなかったのだろう。モリスンのあの声、あの肉体、あのパフォーマンスあってのドアーズだったのだから。

彼は、気の毒にも、コカインも所持するようになり、もう、正常、所謂健康な生活に戻れる道はもうなかったのだった。

咳の出る病にもさいなまされるようになり、医者から酒を止めるように言われた。でも、時は既に遅すぎたのだ。

恋人のパメラとフランスに逗留中、風呂の中で息を引き取った。享年27才。彼を狂わせた熱狂のミュージックの世界はそれほど過酷なものであり、魂を破壊される危険があるという事だと思う。ビートルズとの大きな違いは、彼らは、後ろ盾が大きかったことだ、反対にドアーズは大きな後ろ楯に護られず、自作自演が多かったのではないのかと思う。世の中の汚れた忖度も知らぬ子羊だというわけだ。

 

 

 

ドアーズ/まぼろしの世界 [DVD]

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