スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

瀬戸内寂聴 生きてこそ 2017年

若い頃は、自分スッポコが死んだら、臓器はそっくり他人のために使って欲しいと、思っていたものだが、

その後、脳死についてあまりにいろいろな意見がなされたものだから、何が何だか分からなくなってしまった。何故こんなに話がこんがらがってしまったのか、いまではもう分からないが、ほんとうは、一本に絞るべきではないのか。寂聴は、まだそんなことに、右往左往して悩んでいるが、95歳である。

たくさんの情報に流される現代人らしいと言えばそうである。

このエッセイは、80歳ぐらいから始まっている。戦争の恐ろしさも体験した人で、結婚してすぐに夫は出征し、乳飲み子と残ってしまったり、母親が、爆弾で亡くなったりと、ひどいめにあっている。

どれもこれも本人の起こした事ではなく、不可抗力、権力の暴力を受けたのである。

 

たくさんの本を書き、お勉強もされたのだ。また僧侶としての修行や研究も、彼女を高めてきた。ただ、長生きした分は、多くの友人らが、既に亡くなってしまった。自分一人長生きしてなんとなく辛いであろう。思い出の人々を、偲んで書いている。

スッポコは、youtube で、ときどき悩みの説法などをみている。人の悩みほど面白いものはない。

亭主のこと、子供のこと、どれも悲惨で取り返しのできぬ事柄に対して寂聴はよく聞いてやっていた。

あまり偉ぶったことを言わずに普通のおばさんの悩み回答にきこえるのだが、良いのか悪いのか、よく分からない。決めつけたことを言わないから良いとしよう。こうあるべきというのは、いちばんよくないでな。

聞いてもらった人は天下の寂聴に聞いていただいたと思い、少しは気が晴れるのだと思う。

僧侶であるからして、権力、金などとは別の世界で、安心して話せる人、場所でないといけない。

今の世の中、そういったなんでも打ち明けられる場所というのは、もうないのである。

スッポコはよく統合失調のようだと家族に言われるが、どこにも権力の側につくスパイがいて甘い汁を吸いたがっていると信じ込んでいる。特に、政治の場所ではもう何も根こそぎ忖度に侵食されているのである。政治といっても町内会などから始まるような小さなところから、大きなところまでを含んでいる。山も海も覆う、げに恐ろしきお金への執着である。なんでもかんでも私有にしてゆくのが、こわすぎる。田舎でさえそんな事である。

 

たくさんの作家を実際に知っていた寂聴はやはり、日本語について、特に古典を読んできた人であるから

言葉のセンスにも鋭いと思う。

私自身も、国語力がないのだが、日本は今本当の意味の国語力がなくなってきているとテレビを見ていて、思う。NHKアナウンサーの読む言葉が、まず、おかしげである。こんな原稿書く人がNHKにいると思うと残念だ。

敬語がだめだめである。言葉のセンスをもっと研ぎ澄ませて欲しい。

私などは、あまりに怒りすぎて、困ったことが多すぎて、書く気にもなれないことがおおい。

結局書くと自分が恐ろしい目にあいそうなので、書かないのである。まあ、くだらないことである。

悲しい事だから書かないのである。

 

 

この後は、寂聴の書いた「釈迦」を読む予定である。

また、彼女の友人の丹羽文雄の「厭がらせの年齢」という、老人の認知症の話も読む予定。まだ認知症という認識のない頃に出た作品であるからと、寂聴は言っている。

 

 

生きてこそ (新潮新書)

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無意識の心理 ユング 高橋義孝訳

難しいので、字面を追って読んだのだが、基本的にはユングの論と合致したもだった。(当たり前だが)

外交的人間の中の内向性、内向的人間のアンバランスなどである。私など極端な内向性だと思い、外交的な人達がうらやましくおもわれるのだ。だが外向性の人はバカばかりだとみくだすこともある。しかし大抵羨ましいからそうなるのだ。

2、3個の例を挙げてノイローゼの患者を紐解いている。患者はニッチもサッチもいかなくなっている。なんとかそのがんじがらめの状態から脱出しようと哀れにも、もがいているのである。

ところがノイローゼというのは自分の皮膚のように自分と一体のもので脱出するのが本人だけでは難しいのであろう。

患者の話を聞いていくと、なるほどいろんなことがわかってくる。まるでカラクリの中を一筋の光が進んで行くようである。

人間は欲望を達するためにはどんなことでもしていくものであると言う一面が映し出される。恐ろしいことだ。自分では意識に登るもののみ捕まえて行動しているように見えるが、やはり、闇に息づく無意識には逆らえないのだね。

まるでわたし自身の醜い心を暴かれたような気になった。

 

もう一つの例では、、男女共、大人になるためには、再生の儀式が必要である。子供時代の自分との決別である。 そして大人としての再生があるのだと。ある青年の例により説明されている。

夢によって現される事象の中にユングは鋭いメスでどんどん魚をさばくように切り分けてゆく。

まるで外科手術である。

躊躇ない判断と決断は天才心理学ゆえの技であると思った。

 

面白いことに、いわゆる病気や交通事故と雖も心の奥でずっと準備されてきたものであるといっている。いわゆる虫が知らせると言ったものも含まれるだろう。

これはそうだと思った。私も悲惨なニュースを聞いたりすると何故か最初から仕組まれたもののような感じさえするのだ。

 

難しいために、なかなか読み進めず、これは私が頭が悪いせいだろうと何故か学生時代のテストの悪い点など思い出していた。また「無意識」という言葉に引っ掛かり、イラついてしまい、家族にまで当たり散らしていた。何か心理学というのは虫の居所が悪くなるとことがある。

無意識というのは恐ろしいものとユングは繰り返し言っている。

患者や、犯罪者の苦しみは心の奥で準備され、気が付いた時は崖っぷちに立っているのである。

この本が、私の心の参考になると良い、そんな気がした。

 

ユング自身は、無意識下に降りて行き、死にそうになる経験をしている。身をもって心理分析をした医者であった。ふむふむ。

 

 

関係ないかもしれないが、

最近は悲しくなるとお経を読むことにしているのだ。

あの人はどうも苦手だ!嫌だなあとおもえば、怨憎会苦という言葉がある。憎い人嫌な人とも会う苦しみである。スッポコには嫌いな人がたくさんいるんですよ。

 

無意識の心理 新装版: 人生の午後三時

無意識の心理 新装版: 人生の午後三時

 

 

 

田舎のスタバにて

ひさびさに、スタバに行く。うーんお昼だし結構人にぎやかそう。ワオ、ファッショナブルなお兄さん、極め付けの洋服に身を包んでポックリポックリ歩いて来る。あれはスタバに行くのね。やっぱ入った。

そのちじれ髪を前に垂らすのが今風なのか。パステル調のちょっと長めのコートも今風なんだね。

やはり、幾人かがパソコンと薄い書類ケース、(薄いということに何か意味ありそうだ。)を携帯しているのもお約束の風景である。スッポコはただのコーヒーを頼む。パパの分とで二つも。あとハムチーズの長いパンとキッシュも頼んだ。へーお昼にはこんなモノもあったのかと感心したスッポコ。

「このホウレンソウのケーキください。」と言ったら、レジの女の子が、「キッシュはケーキではありません。」と言うではないか。そうですね、とspinach といえばよかったよと思いながら頭を下げた。

そもそもよく見るとコーヒーを飲んでいる人は年配者が多い。若い人は何か緑色の抹茶の様な液体を飲んでいることが判明した。だが、なぜ若者は抹茶のようなドリンクを好んでいるのかは不明だ。

さらに、カップにプラの蓋がついているのだが、小さい穴が空いている。ここから飲みなさいと言う合図であろうか?のんでみたら、いきなりむせた。どうもこれはちがうらしい。隣の若い男が、その小さい開け口から黄緑のものをすすっていることがわかった。それがスッポコにはできないことがわかり、カバーをとってゴクリと飲む。いやー、はづかしいかぎりだ。

 

 

スッポコが、キッシュとケーキの区別もできぬ田舎者に見えたんだね。うんうん、あんたは大都会人だ。

小麦の穂のことをエピと言うらしいが、エピと言うパン屋のことを、えび、えびと言っていた都会人がいた。アンタ、エピですよ。エビではありませんよ!と言ったら、きっとその人はづかしかろう。

いや言語能力の有無を問われる問題だがね。

 

はじめてのこねないパン

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ふわふわminiパンマスコット6 [1.ベーコンエピ](単品)

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オケ 老人! 2016年 杏主演

老人物が好きなもので、オケ老人を借りた。

老人たちが若者たち顔負けで、木製オケを派手に投げ合ってOK!と言ってはバンバン騒ぎまくる洋画だと思っていたら、邦画だったよ。

オケとは、オーケストラのこと。なるほどね。

まあ、杏は音楽好きが高じて、老人オーケストラの指揮者になってしまう。なかなかのリズム感をもっている。

エルガーの威風堂々の練習を重ねる老人オケの人々はみんな変わり者で特徴のある老人ばかりだ。

笹野高史を中心に小松、石倉、左、藤田などが揃っていた。藤田は、演奏中にクリームパンを口に運び、ちゅういされる。元大工の石倉はティンパニー担当、笹野はなんと難しいヴァイオリンを弾くのだった。

杏は本職は数学教師であった。くそー!こんな設定ってありかよ。彼女は仕事の合間を見つけては、老人達とミュージックに励むのだった。そんな中で、いつのまにか、老人達となかよしになっていた杏であった。年齢は違っていても、面白い人たち、自分の人生をエンジョイしようとする老人達は頼もしくもあったのだ。

そしてだんだんと仕上がってくる威風堂々の曲であった。

今度はコンサートを開こうと意欲的になる彼らであった。選んだ曲はドボルザークの「新世界」

であった。威風堂々と新世界でいくことにきまった。

大盛況で、緊張しまくる杏と老人達はコンサートをとうとうやり遂げることができた。

 

コンサートの日に応援をしてくれていた坂口健太郎が、駆けつけてくれた。

 

微妙な片思いに悩んでいた杏に、坂口はフランスに留学してお菓子の勉強すると告げる。

見事に振られた杏はちょっぴり寂しそう!ほんとうは坂口からお付き合いしてほしいの告白を期待していた杏であった。

 

そんなこんなでこのお話は終わりになる。

ミュージックも素人くさいし、あまりぱっとしていないが、音楽の映画は洋画であってもどれも、これはすごいと思った映画はほぼありませんので、まあメデタシとしようか。