スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

マルサの女 ⑵ 1987年 伊丹十三監督

この監督は何というか、変わっている人である。だが自ら死んでしまった。天才とは辛いものなのか?

1987年橋でにバブルが弾けるという言葉が巷に浸透していった時代であった。田舎ではまだまだピンとこない話であった。まずバブルというもの自体を見たこともなかったから。

マルサの女は税金を集めるというか、脱税したものを取り締まって、金を出させる役人の女のことである。

今回は、第1話よりさらに、煮詰まった様な濃厚な話になっている。それもそのはず、悪者には三國連太郎を配し、主役は、もちろん、妻の宮本信子である。

宮本は長く監督の妻としてまた二児の母として主婦に徹して生きてきた。味にやかましい夫の料理を作っていたという風に思われていた。

監督は、妻と期が熟すのを待っていた。

 

そしてまた夫の監督と共に、表舞台に再来した女優だ。長野出身の宮本は、昔から奇人変人の女優で他より一枚も二枚もぬきん出たものがみられた。若かりし宮本はとてもコケティッシュで、いわゆる文化の先端を走っているランナーの様に見えるのであった。その天然の才には、何かただならぬものがあった。懐かしいなあ!それも監督の演出であったのか?!

ただ、映画では、監督の考えだろうか、その天然は影を潜め、普通のおばさんんの様に振る舞う役が多かった。

監督は自分自身が普通の人ではなかった故、普通の人に憧れていたのかもしれない。

映画に出てくる宮本信子は、スッポコが知っているシュールの極みの様な女ではなくなっていた。

アレー?!、なんでだろ?

 

内容は何か複雑でよくは分からなかったが、悪者が集まっては金の事でゴテゴテと談合し、大金が懐に入ってくる様に悪巧みばかりしているのである。大金が、自分の所に入るようにうまい手を あれこれ打って自分たちのみが儲ける様にしているのである。権力を使うもの、ヤクザを使うもの、まるで 亡者の列である。頭がいいのか悪いのか、誰ぞ知らぬや。

三国は宗教法人の名の下に、無税となり、それを隠れ蓑として、多くのラブホテルや、スナックバー、また、ヤクザを使った地上げの会社などを営業しており、多額の収入を脱税していたのである。それをつきとめるのも、またマルサにとっては至難の技であった。まあ、普通の人には無理であろう。

音楽もノリノリで、打楽器とホイッスルとが、リズムを刻んでドンドンガンガンおもしろい。

下っ端のものは、口封じに殺されて、上のものはますます肥え太る。現在の政治を見ている様だ。

発展の名の下に肥え太るものの企みは恐ろしく誰もとめることもできない。生き物のように止まることを知らない。国を街を村をどんどん飲み込んでいく。末端を切っても、上に行くほど中心に行くほど悪く腐っているので、つまり、忖度の網の目で繋がった輩の仕業とあらば、そう簡単には、

誰も、その木が切れないのである。いわゆる呪われた木だ。切ったものに災いが。

ワイワイ、賑やかい映画だったが、なあんだ、こんなものか、観て損したなあと思わせない伊丹監督の映画の情熱が集まった作品だ。

 

 

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ダンシングヒーロー 1992年

社交ダンスの大会に向けて、ダンス教室では、練習が繰り広げられていた。その中のエースは優勝候補の若い男であった。両親も彼に期待していた。必ず優勝してほしい、優勝させたい。させるんだ。といった意気込みのママであった。ママは、過去、優勝寸前までいったダンスの名人であった。ダンスの先生をしている。

パパは、なんかのろまな男でダンス教室の雑用係。

過去においてスーパースーターだったペアーたちも今はアルコール中毒で立っているのがやっとのような人になっていたりで、混乱していた。

まあ、社交ダンスというのは、特殊な世界なのであろう。特殊な衣装、特殊な動きのダンスにも

色々約束事があるようにみえるが。だからこそ、ハマるとおもしろいのだろう。

若者は、社交ダンスのフロワーで、突然現代的なダンスを始める。皆が唖然とするなかアクロバティックなダンスでブーイングをうける。これは規則違反か、始まって以来の事故であったか。

そんな中で、パンパシフィックの大会に向かって新しいペアを組むことになる。

若者は、一番目立たない女を選ぶ。彼女は、実はフラメンコの血を引く家の娘であった。

相手がちょっと悪かった。しかし彼は彼女の家で本物のフラメンコを習い感激に浸り、大会で、これを踊ろうと心に決めた。しかし、これは社交ダンスだろうか。フラメンコの大会ではないのに。

スッポコにはここが、どうしても納得が行かずに、困ってしまうところである。

この映画はなぜこんな風になっていくんだろう。監督は、何が言いたかったのか。すっぽこにはわからない。

突然、変な踊りをやり出すのは、この若者のに始まったことではない。じつは彼のパパもおなじ誤ちをを過去にしていたのである。パパはすごい踊り手だったのに、突然誰も見たことのない様なステップをやっていまい、ペアーを解かれて、この世界から追い出されたという過去があった。

パパはすっかり失望して世捨て人のようになったのである。本当はすごい才能のある人だったのに。

コレが元になって、息子には、正当な踊りで、優勝してほしいというのがママの願いであった。

決してパパのようにはなって欲しくない。パパの轍を息子が踏んではいけない。ママは強くそう思っていたのだが。

大会の当日、息子は例のフラメンコ娘と組んで、フラメンコをおどりだした。

これはまずい!会場は緊迫した空気に包まれ、騒然となった。

しかし息子は、失格となっても踊り続けた。

会場も総立ちであった。フラメンコおそるべし!っていうか、別にフラメンコが嫌いなわけではないのですが、どちらかと言えば好きな方ですが、

ただどうにも釈然としないのですよ。

何とかしてくださいよ!

 

 

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ミスター ノーボディ 1973年 マカロニウェスタン

主演はテレンス ヒルというとても元気の良い若い男だが、副主演を老練なヘンリーフォンダが取っているため、どうしても、ヘンリーばかり見てしまうことになる。ヘンリーは68歳で、そろそろ老境に入る準備の時期であるが、それを利用しての演出になっている。なにをやっても、ヘンリーはヘンリーだ。なにか彼の為の特別席が、いつも準備されているような扱いだ。

それに対して、テレンスはナイナイ尽くしの風来坊であり、体を張っての役作りであった。

均整のとれた若い肉体を持ち、厚い胸板に、筋肉のついた足が魅力である。青い眼をして、フォンダを見つめるが、フォンダの目の方がもっと青かった。残念!

キャラとしては、爽やかだが、このテレンスのようなキャラの人間に会ったことがある。

やはり風来坊というものは、渡世があって 嘘もつかなきゃ生きて行けないのだろう。お調子こいた発言がとても多いのが特徴である。それが悪いわけではないが、私には、こんな旅から旅の生活など到底無理である。そういう役を、テレンスはものすごく頑張って演じたのだが、それでもなお、フォンダに食われてしまっているのが気の毒である。わたしがそうおもっているだけなのかもしれませんが。

音楽はモリコーネで、映画「ウェスタン」で使った音楽と同じ手法である。

また150人いるという盗賊団ワイルドパンチが、どこからともなく出てくる不思議な映画であった。

弟がゲラゲラ笑うので、不謹慎であった。

彼らの存在意味がまるっきり不明なので、弱ってしまった。

あっ、金塊を手に入れようとしていたんだね。でも、結局は、金塊はテレンスボクちゃんとフォンダのものになっていくので。でもあの沢山の馬と人を調達するのに大変な苦労がありそうだ。

それをフォンダは、たった一人で、やっつけてしまうのである。やはり伝説のガンマンであった。

それに憧れるテレンスボクちゃん。

でもなぜ、フォンダのような味が出ないのか、フォンダの洗練された身の動きと表情は、見るものを引きつける。あのドングリ目と、チジレ髪と歯が少し出た口もとのどこが良いのやら!

しかし、スッポコは大フアンなんです。恥ずかしいことにね。

最後のマカロニウェスタンといわれるこの映画は、実はずっと昔にテレビで見た記憶がある。

からくり部屋のシーンで思い出したのです。あの頃は フォンダについて、何一つ知らない頃でした。

 

 

 

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この映画は良く見ていないと、分からなくなるので、結局2度見して、確認したが、早撃ちの映画なのでか見落とした部分がちょこちょこできてしまうのだ。うかつに、お茶を入れたりしている暇もないという訳だ。

余談になるが、ノーボディというのは勇者オディセウスのことで、お前は誰だと聞かれて、ノーボディ

と答える。敵が探しに来て、誰かこちらに来たかときいたとき、見張りは「ノーボディ」とこたえてしまう。と弟から聞いた話ですが。

1968年版 キャンディ

1968年版のキャンディは、いわゆるおバカキャラの女の子がいろんな冒険をするのだが、昔からおバカと言うのが既に存在していたのだ。今に始まった事ではないんです。

元はと言えば仏のボルテールの「カンディード」 と言うお話がもとになっているらしい。

カンディードも、男ながらいいとこのお坊ちゃんで、馬鹿キャラである。疑うことを知らず、色気もたっぷりで、旅に出るのだった。

キャンディはうら若き大学生で、ある日マクフィスト教授の詩の講義を聴く。みんなマクフィスト教授に夢中である。何故なら、カッチョいい中年で、熱烈な詩を朗読するからだ。世界を放浪した話もあって、若者はそれに騙される。この役は、45歳のチャールスへストンがやっていて、そのわざとらしい芝居掛かった演技が笑いを誘う。

リンゴスターがおバカな庭師に扮していたが、そのままでお馬鹿なのではと思えて悲しかった。

Dr.クランカイトは外科医で、手術をショウのように公開して見せるダメな医者であった。ただ、プライドの塊でできている医者というものを皮肉っているので、ザマアミロという気もする。これはジェームズコバーンがやっていて、何かハマりすぎで、違和感を感じた。だいたいコバーンというやつは、昔から好かなんだ。

ゴッドファーザーのドンのマーロンブランドは、トラックで旅をする宗教のグルで、ホーリーな生活をトラックの中でのみ行っているおかしな男である。ブランドはこのとき44歳である。まだやせている。いつから巨体へとなっていったのか。神聖な宗教の名の下ににキャンディとやりたい放題である。

 キャンディは次々といろんな男に会うのだった。シャルルアズナブールは、フランス出身で、英語が苦手なのか、英語はほぼしゃべらない。ピアノも弾かない。彼はノートル・ダムの背むし男の写しで、

だが、大泥棒の親分であった。

なんとか軍曹はキャンディと無理やり仲良くなったが、一度だけ君の裸が見たい。男のたっての願いだ。と自分中心の問題男で、こんな男ほんと いるいると

手を打って笑えた。でもなんか哀愁漂って仕方がない男であった。

最後は怪我をしたパパの蘇りの砂漠の行者と仲良くなって、気が付いたらパパだったのでびっくり。

そんな下りで、めでたしめでたしで、おわりの歌が始まる。「彼女は宇宙の宝、自分の全てを与えて人を幸せにする。そんな彼女はほんとうに存在しているのか、否か」といった歌であったような。

コレはコレはというわけで、スッポコも大いに励まされ、弟と草刈りに出かけ夕方まで働いたのだった。

 

キャンディ、ありがとう。

そして、ボルテール兄さん、ありがとね。おかげで、畑、綺麗になりまして。

 

 

 

 

寛容論 (中公文庫)

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カンディード (光文社古典新訳文庫)

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