読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

トリュフォーの思春期 1976年

大人はわかってくれないは1959年で、トリュフォー監督がまだ26歳の若いときであった。

映画では大成功を収めて意気揚々と映画の人生を運んでいたのだろう。

自由闊達、此れが彼の持ち味で、この「思春期」でもフランスの子供らの姿を生き生きと描いている。

かれはフランスを愛していたとよく分かる。フランスの子供たちの伸びやかな顔にそのことがかいてある。

場面は学校だ。教室ではモリエール守銭奴を生徒らに暗唱させていた。

そこにはいろんな子供たちがいた。いかにも頭の悪そうな子がいて、先生の質問にもまともに答えられない。それどころか、質問の意味もわからないで、にやにやしているばかり。皆さんも、これらの表情に見覚えがあるだろう。

大人は誰もこんな馬鹿面をうまく隠して生きているのだなと、大人のずるさと子供の正直さの対比がうまいと思った。

フランス語で「オボロー、オボロー! 人殺しー」」と叫ぶ守銭奴、暴力をうけ金を盗まれたのだ。ドロボウとオボローが余りに似ている。なぜだろうと、おかしくなる。しかもこの章は、天井桟敷で使われたことばでもある。集金人が金を取られて叫ぶところだ。フランスでは皆がモリエールを復唱するのか。

そんな教室に変な子が転校して来る。ジュリアンという可愛い男の子だが、家もなく材木工場の中に勝手に家族と住んでいた。

彼の家は貧しく、ご飯を食べているかどうかもはっきりしなかった。学校では大抵無気力で、一人でいる事が多かった。彼は家庭に大きな問題を抱えていた。

何故か貧しい故か、ひどい虐待を受けアザだらけなのだった。彼は、ゲームセンターなどをふらついたが、金もないので、超つまらなかっただろう。お金のない時のゲームセンターは格別暗いものだから。

家族は警察に捕まり、ジュリアンは、一人になった。孤児院にでも行くのか。

 

主役に見えるパトリック少年も家庭に問題があった。父親が車イスで、パトリックが、いつも家事をしたり、父親のめんどうをみていたからだ。コーヒーを沸かし、朝ごはんを準備して、お弁当を作ってから学校に行くのだ。帰宅後は、お父さんの介護だ。

でも明るく屈託無く学校生活をおくっている。おもえば、かわいそうなことである。

ただ、子供目線で描かれているので、一向に苦労とも思っていないのだった。

 

変な幼児や赤ちゃんも出て来る。早熟過ぎてついて行けない。作り物かとおもえた。もしこんな幼児がいたら、いや、いるのかもしれないと思ったりもするが。

ノンビリと、こどものじかんはすぎてゆく。自分のことは自分の考えで通そうとする子供たちを見ているといじらしい。

かつては自分達もそうであったであろうからだ。

「子供たちは美しい。特にフランスの子供たちは、こんなにも美しく愛すべき存在です。」

監督はそう言いたかったに違いない。

 

 

 

 

 

野生の少年 1969年 トリュフォー監督 フランス

監督初期の作品。制約にとらわれない監督で、自由に好きなように映画を作っていく。自由な散歩か、自由な山登りのように気持ちが良い。

 

1797年に南フランスでアベロンの野生児が、発見され、話題を呼んだ。言葉も何もしゃべらず、動物のような子供である。これをイタール博士が引き取り、研究の糧にした、と言うか人間として教育するのだった。野生児は、よく知られているように、なかなか人間に成れないのである。

映画では、当時のイタール博士をトリュフオー監督自身が演じ、少年を、世間の好奇の目から守り、慈しむ事で教育を実践して行くはなしだ。

特別目新しいものでもなかったが、水とか牛乳とかのとても簡単な単語を覚えさせようと、試行錯誤する。フランス語で、水は「オー」というのも英語ではウオーターだからか。牛乳は「レ」だ。カフェ・オ・レのレである。

ところが、こんな簡単な事でも意外とむずかしいいことがわかった。

いつまでも発声ができずにいたが、ついに、「レ」と声が出た。その声は、聞いたこともないような、

高音のか細い声であった。この辺は上手いなあと思った。確かに人間と暮らしたことのない少年の声だった。

靴を履かせようとするとしたり、ABCを教えようとすると嫌がって、けいれんをおこすのだった。

博士は少年にヴィクトルという名をつけた。

それから順次色々教育するが、博士の態度は一貫している。落ち着いていちいち動揺を見せない博士の態度は立派なものだ。

トリュフォーは背も低く小柄で、いかにも肉体労働は苦手そうだった。人には与えられた天分がある。彼は生きている間、がんばった、とおもうよ。50代という短い人生だったが。そんな事を考えながら見ていた。

博士が病気になって、少年のの面倒を見れない時期に少年は家出をした。皆がすごく心配した。

博士が自分を見てくれない事が、少年の心を不安定にしたのだろう。

森にかえってしまったのか、また野生に帰ってしまうのかと博士も家政婦もかなしんだ。

しかし彼は、自分の足で、博士の元に帰って来た。これは大きなことであった。

彼は人間だと自分で証明したのである。

 

映画では、彼は、子供の時、親に殺されて捨てられていた子だった。奇跡的に生きのびたのだった。

監督自身の悲しい過去も、親に見捨てられ、少年院にぶち込まれた経験があった。

なんの理由もなくただ厄介払いとしてだ。

トリュフオーはこの経験がよほど痛かったのか、彼は、子供の心の痛みに寄り添う人となった。

スッポコも、彼のことを考えると涙が出るんだよ。

だが、スッポコも親に捨てられたように長い事思っていたのだが、還暦も過ぎると、「もうどーでもええわ、」という感にいたる。トリュフォーがもっと長生きしていたら、成熟度が何倍にもなっていたものと思う。

 

 

野性の少年 [DVD]

野性の少年 [DVD]

 

 

 

人間はなんで生きるか トルストイ1885年

天使が出てくる問題作と見た。ただメッチャ面白い。

ある貧しい靴屋がいて、あるひお金を持って街に行く用事があった。街でも商売はうまくいかず、寒いので酒を喰らってしまった。お金はもう無い。きっとおかみさんが激しく怒るだろう。そんなことを考えながらとぼとぼ帰る男。町外れの教会の横を通った時、ふと、目をやると、なんと丸裸の男が雪の上に座って震えていた。

驚いた男は彼に自分の上着をかけてやり、家に連れて帰ってしまった。

なぜなら、彼の顔を見た時、体も胸も、ポーッと火がついたように暖かくなったからであった。自分でも不思議であった。

さあ、おかみさんはかんかんに怒ってしまった。お金は酒に消えてしまうし、変な見ず知らずの男を連れて帰るし、たった一枚の冬着も若い男に着させる始末をみては、あきれて声もでないのだった。

パンを買うお金もないほど貧しいのにどうやってこれから冬を越して行くのか。そう言いながら、なけなしパンを皆で分けて、若者にもパンを分け与えたおかみさんであった。

そのとき、男がおかみさんに向かって微笑んだのだ。その微笑みを見たおかみさんは、なぜかとてもウキウキとしてしまいソワソワとして心がしあわせに満ち溢れるのをかんじたのだった。この歓びは格別なものだと思ったおかみさんは、若者を家に置くことにした。

主人が靴作りを教えると、若者は難なく覚えて、立派な靴をつくるのだった。それが評判になって、靴屋にたくさんのお客が来るようになり、店は繁盛した。

彼はなぜだかも客の死ぬ日まで予知するのだった。全く不思議なやつだ。と靴屋の主人は考えた。一体あの教会のそばで、裸でなぜ転んでいたのか、今更ながら不思議であった。

しかもあいつが来てから、急に暮し向きも楽になって来た。あいつはいったい何者なんだろう。

だがにっこりと微笑む顔を見ると、今日も何も聞けないのだった。

だが突然に正体がわかるときがきたのだった。

 

 

 

 

 

 

人は何で生きるか (トルストイの散歩道)

人は何で生きるか (トルストイの散歩道)

 

 

 

 

 

 

 

 

イワンのばか 1886年 トルストイ作

だからさ、ロシアの文豪トルストイよ。復活だの、アンナカレーニナだとと、善人ぶっていたのでは、いつまでたっても本当の芸術家にはなれないとおもったのか。

イワンは農夫であり木こりであり、家畜もかっていた。いつも土にまみれ肥料にまみれて暮らしていた。二人の兄達は土仕事を嫌って、それぞれ軍人と商人になって、妻をもらい、派手な生活を好んだ。そして臭い匂いのするイワンを馬鹿にしていた。

ある日小悪魔がきて、イワンをだまそうとする。イワンは知らん顔してどんどん仕事をして、悪魔ををおどろかした。どんなに悪さをしても驚かず、どんどん仕事をしていくので、あきれていた。

大魔王さまに合わす顔がなかった。

イワンは愚鈍であったのか、ただ単に働き者であった。

イワンは、王様になって、正直な農民を治めた。

戦争が起こりイワンの国にも軍隊が押し寄せてきた。強奪、殺戮が繰り返されたが、馬鹿なイワンのばかな国民は、家を焼かれたり家畜を殺されたり、家族が殺されてもただ泣きわめくばかりで、復讐したり武器を持って戦うことはないのだった。ここでも悪魔の計画は、イワンの前では意味がなくなってしまった。

またまた親分に合わす顔がなかった。

 

ところが、また悪魔がきて今度は金貨を配り出すのだった。

イワンの国の国民は、イワン同様バカばかりであった。だから金貨を見てもただジャラジャラと子供のおもちゃにして遊ばせるのだった。何に使うのかも知らないのだった。

カンカンに怒った悪魔は、高い演台に登り演説を始める。お前らはバカだ。これではしあわせになれない。

「頭を使って働かねばお前らは皆不幸になるばかりじゃ。」

「ワシらはバカなので、頭を使うなど出来ません。どうか頭を使って働くことを実際にして見せてくだされ」

そうして悪魔はは頭を働かし、はげしくふりまわし、とうとう高い演題から転げ落ちて死んでしまった。バカに理屈を説明できずバカ達に押し込められた悪魔であった。

「神のご加護あれ、アーメン、」誰かが、そう唱えると悪魔は二度と現れることはなかった。

イワン達は安らかに暮らすのだった。

 

 

イワンのばか (岩波少年文庫)

イワンのばか (岩波少年文庫)

 
トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

 

 

 

 

悪魔はこんどは金貨を出して