スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ゴーディカ尊者の事

昔々の事、ゴーディカ尊者は 一生懸命修行して遂に、解脱を達成。その後また解脱から離れ、再び解脱に入り再び解脱を解いた。こんなことを七回も繰り返したー彼は山の黒曜石の岩の上に一人で暮らしていたのだが、遂に彼は思った。時は既に、刀を持ってもいいだろう。これは彼の死を意味する。

そして、遂に、死ぬのだった。その時ブッダはきづいて、弟子らと一緒に黒曜石の上の彼の元へと登って行った。彼が石の上に倒れているのを発見した。その時、悪魔は、ブッダに臨み、 何故大切な弟子を見殺しにしたのかと問うた。「ゴーティカは立派な尊者であった。彼は識別力を安定させぬまま、ニルバーナに入った。彼は思慮深く、瞑想を楽しんでいた、尊敬に値する尊者であったーだから、悪魔が捜しても彼の姿も識別力も何も残ってはいないのだ。」そんなふうに語った。尊者に取り憑こうとする悪魔は遂に、彼の意識の片鱗さえも見つけることはできなかった。

ゴーディカは、あとかたもなくこの世から消え去ったのであった。

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ビッグフィッシュ  ティム  バートン監督  2003年

ゆらゆらと訳のわからぬことを言う老父に手を焼きもて余す息子のユアンマクレガー。

過去に体験した数々のミラクルを思い出すと喋るので、もう、認知症だと言うことで決定。

お父さん、しっかりしてよ。なぜそんなにうそばっかりつくの?!

ビッグフィッシュの事もたびたび口に上るのだが、誰もそんなおばけのような魚のことを信じられないよー3メートルもある大男の友達や、シャム双生児の女性たち、それにアインシュタインまで友人だと言い出す父親。

本当にボケてしまった父親にゲンナリとして、いっときでも良いから正気戻ってくれたらと願う息子や娘であった。

 

ところがいよいよ、父ともお別れの時が来る。永遠の別れに、忙しく葬式の準備の最中であった。

どこからともなく父の言っていたアインシュタインや、のっぽすぎる男や、シャム双生児の女性などがゾロゾロとと集まって来たのである。リアルにやって来たのである。

そこで、息子たちは、父親が嘘を言っていたのではないと、やっと気づいたのであった。ラストで、全てが明確になるのだった。

川にはとても大きな魚がゆっくりと泳いでいるのが見えた。

 

過去にもあげた作品でもある。

 

 

桐野夏生

桐野の本はいちどもよんでいないが、本の帯だけでもほぼ想像できちゃう忌まわしさー彼女の冷たい横顔が思い出される。彼女はどんなコンセプトを持って小説を書き進めているのか、じぶんでわかっているのだろうかともおもう。その辺りのことはプロの彼女に抜かりはなかろうが。

ただのサスペンスですよねーよくテレビなどでもやってる暇つぶしのためのリフレッシュのためのドラマのように。 だが、今度インドラという本を読んでみることを決めて、それも自分の興味本位でのことだがそれにしても品位が汚されそうな気がして嫌な予感がする。予感といえば、私はよく予感を感じたりしていた時期もあったが、現在は予感どころではなく黒魔術の研究に勤しむ日々である。黒魔術の研究をしていると結局は自分に跳ね返ってくるらしい。

それはさておき、話は飛ぶが、モーセ十戒といういうものがあり、そこには人間としてしてはならない決まりのような事が記されていたのだ。

それを守るも守らないも人間さまの勝手だろうが、ナンジ盗むなかれとか、殺すなかれとか、リンジンを羨むなかれとか、隣人に対して偽証するなとか、いろいろ書いてある。これはモーセが神託を受けてということらしい。質素で荒削りな言葉が並んでいるが、これらの言葉を信じていいのかどうか迷っている私。つまりは、これらの言葉は 現在、現在、現在知る限りでは、ほぼ有力者ほど守っていない訳である。騙したり掠め取ったり偽証したりありとあらゆる黒い息を弱者にはきかける。獲物と見たなら直ぐに標本として己の箱に入れてしまわねばきがすまないのだろうか。

     桐野の各本の題名や、帯に書かれたコメントを読むとなぜだか、そういう事を連想させられるというか、社会的にさげすまされて、堕ちてゆく人間のことを否応なく知るのがこわいのである。だが、そこにはブラック社会が主人公のように堂々と描かれどす黒さを描くにも桐野にはそれ相当の確信があってのことではないか。なぜ汚れたものを書くのかは、彼女自身の好みなのだろうが、事実起こっている犯罪等をみても彼女の考えはそんなに大きく間違ってはいないと思う。一度手を染めれば、次々と罪を犯してゆく人間たちは加速的にそういう力が働いていつの間にか重大な破滅に至るのかもしれない。

そうはいっても、心理的にきつい推理の過程を通って桐野の描いた主人公らの事実に迫ってゆくことはやはりそれなりの覚悟がいる事であろう。

まず、桐野という名字と夏樹ではなく夏生という名前がトリッキーすぎて、その時点で波乱を含んでいるのである。

 

 

 

ミスタータンバリンマン  ボブボブディラン 

Mr.Tambourine man  タンバリンマンさん、おはよう。目が覚めたから一曲やってくれよ。行くあてもない僕だから、君の歌が聴きたくて。夢の中ではこの街は崩れ去り消えてった。夢を見るには硬すぎる地面だね。ご覧のように手も痺れ、足も今では痺れて動かない。こんな僕でも、足が動きたいっていうのならついてゆくけどさ。

実は君の船に乗せて欲しいわけ、うねって進む魔法の船だろ?君がタンバリンで歌ってくれたら、僕は必ず君のそばで聞くからねーしかも僕は絶対にきみのいうことを聞くよーきみのいうとおりに、僕に消えろというならこの世から消えてるのさ。願わくば魔法のように。

きみ、こんな僕なのにうたを一曲うたってくれるよね。

 

なんとも情けない男のねがいは、美しいメロディーと共に歌われてゆくディランの一曲だが、改めて聞くとへえ、そういう内容だったのかと。

ディランは詩が良いといわれてのノーベル賞受賞であったが、これ以来一挙にカリスマとなった彼は、既に82歳だという。もう70年近くギターを持ち続けてじぶんの歌をうたってきたんだね。