スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

生きる意味 ビクトール フランクル 22の言葉 諸富祥彦 編集2010年

夜と霧の作者であるビクトール フランクル(1905-1997)はオーストリア出身の精神科医、心理学者である。彼はユダヤ人であったので、強制収容所へ送られ、終戦までそこで苦しんだ。

 

フランクルの功績は、やはり、生きるための、生きる意味を、言葉で、的確に表してくれたことであろう。

 

人生とは、その意味を問いかけるよりも先に、人生の方からあなたへと問いかけてくるものだ、と言っている。

この発見は、当たり前のことであるのに、長年発見されなかった。発見という言葉は、おかしいだろうが、そのようなものだ。

人生から問いかけてくるので、

真面目に出来るだけ具体的に答えを出すのが、あなたの仕事であろう。

 

 

 

またこうも述べている。幸せは求めれば逃げて行く。今ある事に懸命に生きるべし。

そうしているうちに、幸せは自分からやってくるものだ。故意に求めても人間は幸せになれません。

お金だって、求めるほど遠くなるものではないだろうか。

 

この逆説的な幸せ論はとても面白く、また現実的である。

 

この本では22章に分けて分かりやすく、誰にでも当てはまる言葉で収められているのだ。

 

今までは、常に何か求めなさい。どう生きるべきか、考えなさい。どうすれば幸せになれるのか。

人生の意義を見出しなさい。などなどお仕着せの説教ばかりを聞いてきたものだが、フランクルの場合、逆になっている。

目からウロコ的な論理である。

 

    すぐに熱狂するスッポコの癖である。

この論理はすごい、すごーい。わてはこのフランクルさんの論理を信じるぞー。

幸せもお金儲けも、もうやめた。わては真実の生活をするんだ。

朝からお祈りをして清くシンプルに生きていくからね。

と、しばらくの間、家族に息巻いて嫌がられていた。

 

彼は収容所で、死の恐怖と戦いながら、常に辛苦を舐めて来たのだったが、助かったのは偶然であったかもしれない。

だが突然に終戦が来て、救い出された時に感じたことは、大きなことだったにちがいない。

収容所を出ようとしても出られなかった。いくら自由を求めても自由にはなれなかった。

そこに突然神の救いが出現する。この様な場合誰しも、途方も無い幸せが舞い込んだとおもうであろう。

しかしあがいたところで自由になれなかったし、逆に殺されていたかもしれない。

多くの人が、死の恐怖に耐えきれず自らの命を落としていった場所で生きたフランクルたちであった。

そうしてみると、人生の転機いうものは耐えて、耐え抜くごとにみがかれ、何かの拍子におとずれるのかもしれない。

 

また、人生とは真っ暗な舞台で、観客も見えずに、一人演じる芝居の様なもの、とはすべての人に言えることである。

 

フランクルは、自分の心理学の本を出すまでは、死んでも死に切れないと思っていた。

それも、支えになっていた。

おかげで、我々は、デカルトサルトルを超えた見事な心を落ち着かせる論理を、現在見ることができるのだ。

 

生きる意味

生きる意味

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グレンミラー物語 1954年 アンソニー マン 監督

ムーンライトセレナーデ、イン ザ ムード 、茶色の小瓶などの誰でも一度は聞いたことのある名曲を作ったグレン  ミラーという男の伝記映画。

  貧しい、トロンボーン奏者のミラーは、ジャズの編曲が得意であった。良い友人たちにも恵まれていた。音楽さえやれるのなら、あまり周囲のことは意に介さないのだった。

 

自分の作った曲が人気になり、ようやく生活できるようになったので、結婚して、自分のバンドも持った。

せっかくの美しいムーンライトセレナーデの曲が、なぜかいやらしい曲のように演奏されるのを聞いて自分で指揮をする自分のバンドを持とうと決心した。妻も懸命に彼を支え続けたのだった。

認められて、アメリカ軍の慰問で、バンドを引き連れてあちこちで演奏をする。

どこでも喜ばれ歓迎される。とうとうイギリスに行くことになった。爆撃の中で演奏する彼とバンドメンバーたちであった。

 

そしてアメリカに帰る飛行機に乗って、突然に連絡が取れなくなり、行方不明となってしまったのだ。

 

悲しい知らせを聞いて、子供達と家を守る妻は、驚き哀しみに明け暮れるのだが、丁度、クリスマスの特別放送で、妻へのプレゼント曲が流れてきたのだった。

グレンミラから妻に送るプレゼント曲として紹介された。その時もう彼はこの世にいないのだったが。

「茶色の小瓶」これは、もともと夫婦の母校コロラド大の曲であったものをミラーが編曲したものであった。おおらかなこの軽快な心温まる曲を聴いて始めて彼の心がわかるのだった。

グレンミラーの言わんとしたことや、生きてきた苦労や喜びが、走馬灯のようにわかる曲であった。

涙が溢れる曲である。何故なら、ささやかな曲ではあるが、辛くても、元気出して行こうよ、と言っているような彼の真実の心が溢れているから胸を打つのである。

感情を表に出さないなジェームズスチュワートの演技、彼は、草刈正雄によく似ている。

また近所のおっさんにもよく 似ている。二人ともちょっとニヒルで、カッコつけマンである。

 

フランセスラングフォードのチャカヌーガ チュチューの歌や、ジャズの大御所ルイアームストロング

なども出ている。さすがの貫禄である。フランセスの観客に対するプロらしい、もてなしの態度も素晴らしいものだった。

 

 

グレンミラー物語 [DVD] FRT-295

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帝一の國 2017年 (古谷兎丸原作 ) 永井聡監督

菅田将暉の勢いは止まらない、といったような映画であるが、ストーリーもクリアーであり、菅田の脇を固める配役陣もうまくできていて、ストーリー以上におもしろいものとなったといえる。

これはやはり監督の手腕であろう。

主役の帝一は 本来はピアノが大好きで、喧嘩はまるでダメなお坊ちゃんであった。

ピアノでは、賞を総なめにするほどピアノに入れ込んでいて、それはうまかったのだが。

父親の駒のように名門の海帝高校に入り、のちには官僚、総理大臣と夢を抱く若者になっていった。

しかし、その心の底にあるものは誰にも見せない、誰も知らぬことであった。

風変わりな友人たちと この修羅のような闘いを制して生徒会長になることを目論むのだった

なぜなら、この海帝高校の生徒会長は東大へ推薦、その後は、国の官僚へ、そして総理大臣となる道が開けているのだった。

それ故に、壮絶な闘いがそこにはあった。

東郷菊馬、大鷹弾(オオタカダン)、氷室ローランド、森園億人(モリゾノオクト) などが、派閥を作って戦うのだった。

帝一は一年生ながら、既に、誰彼の派閥へと入り、副会長、さらに会長への道を模索していた。

、勝ち目のある奥園について行き、勝利を収めた

帝一には忠実な光明(コウメイ)がいつも付き添っていて、先を読んだ作戦をたてて帝一を助けるのだった。コウメイ(志尊淳)は諸葛孔明の生まれ変わりのように頭脳プレイを好んだ。

 

最後に、オオタカダン(竹内涼真)と一騎打ちになるのだが、この日とうとう、大鷹が、勝利する。

 

最後に、帝一は学校でピアノを弾いて、生徒会長になった大鷹を祝した。

 

ピアノかあ、実は帝一は、ピアノが大好きで 誰にも邪魔されずにピアノを心ゆくまで弾きたいというただ一つの夢、その夢を叶えようと、ひたすらに願ってきたのであった。

 

帝一はマリオネット(操り人形)という大好きな曲を弾いたのであった。

 

大げさな表現、この世離れした演出などはさておいて、見られたもんじゃないのに見てしまった。

「半分青い」の主人公の女(永野芽郁)が出ていたが、相変わらず、声も小さく マイナーであった。何であんなに、ほんとばかみたいだよ。

永野芽郁なんて名前も覚えにくい名である。やはり糸電話をしていて、ミミ子という名前、ハア?NHKに肩入れしすぎの監督は、だめじゃ!

 

 

 

帝一の國 通常版DVD

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ノーマ 世界を変える料理 2015年 ピエールデシャン監督

世界一のレストランといわれる店が デンマークコペンハーゲンにあるそうな。

世界で一番を決める大会があって、その度に一喜一憂をするなんて、大変な事だ。

森があり、川、海がある場所にノーマはあって、世界一になってからは、有名になってたくさんの予約が入るようになったというが、当たり前だろう。これでも、ミシュラン星二つだそうだ。

いつ三ツ星になるのか、もう獲得したのか。

 

レネ  ゼネピというシェフを頂点にたくさんの人が働いている。

大きな建物の中には、きっといろんな部屋があって、貯蔵、発酵、実験とありとあらゆる部屋があるに違いない。または多くの弟子たちが、泊まっているのか。ひとつの大きな家族の様に。

 

特徴は、この産地の食材しか使わないという頑固一徹のやり方を通そうとすることである。

植物採集の趣味の男がいたのだが、その男が、ノーマに自分の取ってきた森のキノコを持ってきたことが、

その発端となったらしい。地元のものを使うと、美味しいからだそうだ。

 

当たり前であろう。甘いニンジン、シャキシャキの葉物の繊維、大地の恵みに対する祈りなどなど。

 

その他魚介類も、近海の海で漁師が取ったものである。だからオリーブオイルとかブルーベリーとか、この辺りではないものは使わない。

 

ただ、近辺の食材のみとなると集めるのにも大変な苦労がつきものだ。

乱獲して、なくなる恐れもあるのではないの?

 

その味は、食べてびっくり、目覚めてビックリという。what  book   to  read,   what  music  to  listen  to,  how  to live,   how to  recognize   the world    こんな事が一変する味、悟れる味だというのだ。

 

そのような料理ってなんであろう。命をいただくっていう事かもしれない。

ただいつもいつも料理のことを考えていたのでは、身が持たない、気が狂ってしまうのではないだろうか?

 

その辺のコントロールはどうなっているんだろう。結局、嘘っぽいものなんだろうよ。

突然やめてしまった有名店も多いらしい。

真面目に見せかけるって、手の込んだ道化だな。そんな気がするスッポコである。

カッコ良いことばかりが多すぎる気がする。

 

そんな有名なノーマにも試練の時が訪れる。牡蠣のノロウイルスによる食中毒で20人以上の人々がノロウイルスに感染した。

保健局が入り店にとって大きな打撃になる。皆の気持ちも士気もバラバラになり、

一位が取れずに 二位に落ちてしまった。

落胆の中、もう一度起き上がろうともがくレネ   ゼネピであった。

それは悲惨な戦い、自分の中の世界一と戦う戦いだからだ。彼の苦悩は深いものだった。

彼は気にすまいとしたが、周囲はそれを許さない環境でもあった。

 

たしかにそんなことにこだわっているうちは、心が休まるときもなくなり病んでしまうだろう。

思うに、大きな改革をして新しい形のノーマを作るべきだ。