スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

イーリス ヘルマンカールヘッセ の短編(メルヒェン)より

ヘルマン  カール   ヘッセ   1877-1962年

カールとはなんとも可愛い軽妙な名前ではないだろうか。特別にヘッセのファンではないのだが、他に正当な作家が見つからず、ヘッセの作品を再読したのだ。

 

アンセルム教授は男としていい年になり、そろそろ結婚をしようと思うのだった。

教授のお気に入りの女性にイーリスという女がいた。可憐で美しい女だ。

何よりも「イーリス」という名前の響きが気に入ったのだった。

早速、彼女に結婚の申し込みをしたのだが、断られてしまう。

「あなたはなぜ私の名前に惹かれるのか知っていますか?それはあなたの遠い過去に遡ってその原因をさがしてください。それが出来たなら、あなたと結婚しましょう。」

そんな言葉を残して去っていった彼女。教授はその言いつけを守って、過去への旅に出る。

それは長い長い旅となった。そのために大学の職もやめてしまい浮浪者のようにあちこち彷徨い、

彼女のいったことを探し求めたのだった。なぜか無視できないあの言葉、彼の心の奥で、何か見知らぬものが彼に告げるのだった。アンセルム、こっちだよ、こっちだ。彼は宿も持たず、森で野宿したり、野イチゴを食べたりして、埃だらけになりながら歩くのだった。彼は幾度も幾度も彼女のいった事を探しては見つけられなかった。

彼の風貌はすっかり変わり果てていた。名誉、知識、幸福を求めてやみくもに励んでいたかつてのアンセルムではなくなっていた。彼は教授だった頃とは、別人のように見えた。何も得ることができず、いたずらに時間は経ち、

彼は長い旅に疲れ果て、元の家に帰った。

ところがある知人が来て、イーリスが死にそうだから早く会いに来てくれと言うのだった。

 

か細い腕を伸ばしてイーリスは、「困難な問いをだしたわたしですが、この旅は、実はあなたのためのもの。もう直ぐ分かるでしょう。あと一歩踏み出しさえすれば。これからわたしもあなたとおなじところへと向かうのですから」

「私はこれからどうなってしまうのでしょう。心細く、不安です。」

「これから進んでいくときのことを聞いてはいけません。」

そしてイーリスは死んでしまった。

 

 

ある日アイリスの咲くところに来た。そこを覗き込む彼はとうとうイーリスの言う意味がわかったのだった。不思議の扉が森の奥にあり、千年に一度だけ扉が開くと言うのだった。

アンセルムは森へと進み扉の前に立った。

そしてそのなかへとはいっていったのだった。

美しい黄金の柱が続くコリドーが現れる。そこを通って行くとイーリスの心臓へと辿り着くのだ。

彼はかるい小鳥の声を聴きながら、花の中心へと進んでいく。いつのまにか

アンセルムの心は、幼い頃母の庭に咲く青や黄色のあやめの中に、静かに佇んでいた。

終り。

 

これは幻想的な童話であった。アンセルムは、現実の生業を捨てこの世をさまよった。

ここまでの厳しい修行のような生活を、なぜ選んだのか、と言うことがまず重要だ。

これは度々ヘッセが持ち出す荒い治療法である。すべてを捨てて、ことに向かうという姿勢である。

ヘッセはキリスト教の子だったが、仏教にもかぶれている。

彼の父親はインドで宣教師をしていたという家系。二つの宗教を分け隔てなく渡ることができたのもそこに源がありそうだ。

ヘッセはブッダのように自己を成立させたかった。

彼は「シッダールタ」ではその厳しすぎる心の旅と修行を描いている。

そんなヘッセの切ない童話(メルヘン)である。

 

メルヒェン (新潮文庫)

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アフロ田中 2012年 松田翔太 佐々木希(のぞみ) 監督 松井大吾

ここらでちょいと一休み、というわけで、アフロ髪のおかしな映画観たよ。

まあ、松田翔太が出るんだしと思ってさ、でも案外真面目な話でね。

タイヤみたいな大きなアフロを頭に乗せた青年のちょっとホロ悲しい青春である。

アパートに越してきたのぞみお嬢さんは、アフロのことが好きになるが、なぜかカチコチのアフロは手も繋げないのである。アフロがモジモジ迷っているうちに、そのうちお嬢さんは、別の人を好きになって、アフロを捨ててしまう。

アフロは泣くが、去るものは追わずだ。

そもそもアフロには仲の良い数人の男友達があって、早く恋人を作ろうと話すこと幾たびも幾たびも皆で寄り集まっては女の話ばかり。でも1番モテそうもないバカの男に彼女ができたり、変顔の男にも結婚が決まったりして、アフロはどんどん取り残されていく。

悔しくて心の底では歯ぎしりするのだが、表面にはそんな事は見せない。友達と会う時はいつものように平気な顔をするアフロであった。

 

スッポコは男に泣かれるほど好きになられた事はないが、男に囲まれてちやほやされる女はきっと、

きっと病気持ちかとおもう。クソー!自分が美人だと思ってるんだ、自分がモテると思ってるんだ。

こんな女に引っかかる男は、でもゴマンといるのだからしっかたないわ。アッタマ悪すぎ。

街頭インタビュウで引っかかるのは美人学生か、頭の悪すぎるサラリーマンばっかりだから…。

 

でもアフロ田中は負けないぞ。負けるもんかと、土を掴んで立ち上がったんだ。偉いよ、君えらい!

あんな女に捨てられて、きみ良かったすよ。あんな女は捨てるほどいますからね。あなた。

 

(佐々木希アンジャッシュの渡部と結婚したんだし、)

君にはもっと素敵な未来が待っているだろう。

という暗示が感じられる最後であった。

 

 

 

 

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ファニーゲーム 1997年 ミヒャエルハネケ監督 オーストリア作品

ドイツ語で話す。アイン、ツヴァイ、トライ(one  ,two,three)などと言う犯人の二人である。

恐怖映画を見慣れた我々は、そんなに怖い映画ではなく、綺麗な映像と、綺麗な奥さんのスザンヌロタールの身を投げ出したような演技に感心した。

悔しいのはアメリカ🇺🇸仕様のファニーゲームのリメイク版があったが、アメリカは大味で嫌だと思い、原版を借りたことが、間違いだったと見終わってから感じたこと。

湖畔に別荘を持つ家族がヨットセイリングにやってきた。クラシックなんか聞きながら、運転する旦那も真面目そうで渋いおっさんだ。きっといいとこの学校を出て、いいとこに勤めている、いやもともと、親の代から金持ちでだからべっそうなんかちゃっかりもっているんだな。

だがだからと言ってあのような制裁を受ける道理はみじんもないけど。

おっさんが足を打たれて動けなくなり、奥さんは、犯人に服を脱ぐように言われる。

其の時に、坊やは白い袋を頭から被せられるだけの話である。

ただ、犯人の二人は、見るからに普通の若い男たちだが、何かが捻じ曲がったような病的な犯罪者である。其の普通さが怖いのである。一見言葉つきも丁寧で、知能も良さそうである。

だから話せば分かるんじゃないかと、期待を持たせておいて、

だが極悪非道なやり口で、幸福だった者たちを次々と死の恐怖に落としてゆく。小学生ぐらいの男の子は逃げたが結局一番に殺される。次は旦那も殺され、奥さんも。近所の別荘の人たちも殺されていて、

助けが呼べない状態にあったのだ。

犯人たちは、幸福そうな人たちが、我慢できないほど嫌いだったのだろう。

じぶんの身の上があまりに惨めであったために妬みに狂ってしまった心。

 

最近の日本の凶悪事件でもアパートにたくさんの死体があった事件、

似たようなものだ。

彼には辛い過去がありどうにもこうにも帳尻の合わない不幸と幸福の計算。

埋め合わせるためには自分より少しでも幸せな者から幸福を奪い取ると言う考えが浮かぶんだろう。

 

 

まあ、やっぱり怖いお話である。しかし、アメリカ版を選ばなかった自分はやっぱりガラパゴスで、あったか。ガックリ。それもこわいゾ。でも誰だってこれくらいの残念な失敗はするよね。

そういう意味で、不快な作品となった。クヤシー。

 

ファニーゲーム [DVD]

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(わろてんか) 吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉 2017年

日本のお笑い演芸を育てた吉本せい(わろてんか)、と其の実弟が放った言葉は商売を営む者には大切な言葉ばかりだ。

せいがまだ女盛りの若い時に夫は亡くなった。大小の舞台を持っているせいを助けたのはしっかり者の実弟であった。

夫は悲しいかな遊び人であった。飲む、遊ぶで、女とは切れ目がなかった。

悲しい明治女のせいさんである。なぜ仕事に精を出さなかったのであろうか。せっかく二人で築いた演芸場を、彼はなぜ一緒に守ってやれなかったのか。生まれながらの放蕩者だったのか。

でもさっさと死んでやれやれ。ですなあ。

弟の正之助は、センスがあり、売れていく芸人かどうかが一目みてわかったという眼識の持ち主であった。そして日本中を良い芸人を探して歩いたそうだ。

笑いの劇場は、常に世間から一歩進んでいないといけない、などとヤボなことはいわない。

「常に半歩進めよ。」これが王道である。

吉本は芸人たちを社員として、給料制をとりいれ生活を安定させ、より芸に精進できるようにした。

何よりも、お客様目線の言葉が生きている。売れない若い芸人を積極的に舞台に出した。

せいは芸人の一生懸命さをとても大切にした人だった。人気者でも、熱心に精進しない者は、いつかは消えてゆく、ということだろう。

一方、正之助は良いものも食べたり味わったり、本を読んで教養を積むことも進めていた。目に見えぬ雰囲気としてそれは出てくるからである。

 

エンタツアチャコを輩出し一世風靡したのである。

熾烈な競争世界である獣道のような演芸の道を歩いたのも、お客の笑いという励みがあったからであった。

ただ、ひとりぼっちのせいはこの生活はつらいものであったのだ。

一人息子がいたが笠置シズ子の娘と結婚するも、惜しくも死んでしまう。

これを機に張り詰めていたせいの心身は一気に弱り、あとは気落ちしたまま余生をおくるのである。

夫を亡くし、大事なむすこさえも失ったせい。旦那がそばにいて二人で苦労をわけあったのではない。

せいは一人で切り抜けるしかなかった運命にあった。

ガックリくるのもよく分かる。

しかし、生き生きといきた女であった。「男勝り」などと言ってはならない。

ところで松桃どうしするんやろ。

 

吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉

吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉