スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

日の名残り The remain of the days カズオイシグロ

ノーベル賞に輝いたカズオイシグロの「日の名残り」のことを、皆さんも知りたいでしょう。

この小説は1989年に、ブッカー賞をとり、1993年に、スピード映画化になった作品です。

実はこの作品、スッポコは昔、見ていたのだから、他の人たちも沢山いて、見ていると思いますよ。

 

 イギリスのダーリントンという館に住み込みの執事や、召使いなどが、働いていた。

館の主は、ダーリントン卿である。歴史のある館であり、3、4十人もの召使いが隅々まで目を行き渡らせていた。

執事長として、長年務めるスティーブンスは、ご主人に最も近い場所で、支えていて、決して私語をはなさず、仕事は申し分ない気配りができる使用人であった。彼はこの大きなお屋敷の執事として仕事一筋にに生きて行こうと決心しているかの様な仕事ぶりであった。

 

大きな催し物では、狐狩りがあり、多数の貴族らが集まり、その後、会食をした。

このようなイギリスの伝統の麗しさが描かれているのである。イギリス万歳といったところか。

老いた執事の父親が来た時も、ダーリントン卿は屋敷の部屋を与えてやり仕事も与えたのだった。

普通は考えられないことだが、親切な紳士といった事なのか。

 

 

ただ彼は、仕事に完璧を期すあまりに、すこし人間の感情が硬くなっているのであった。

彼に想いを寄せる女中頭は、その為、そっと去っていく。彼は仕事のことしか話さず、それが人生だと割り切り過ぎていた。女の気持ちに気付いていたが、知らん顔をした。彼にとって、執事としてご主人に使えることに代わる何物もないのだった。

 

ヨーロッパでは、ドイツ、フランス  、イギリス  アメリカなどが、入り乱れ、話し合いが持たれるようになった。

それがまさに、このダーリントンの屋敷で行われていたのだった。

各国の首相や、大使たちが来るようになり、主人のダーリントン始め、執事のスティーブンス達は、粗相のないように立ち働くのだった。

それは名誉な事ではあったが、ナチスドイツができてからは、雲行きが変わって来た。

人の良い、お金持ちのご主人様は、各国の目論見にごまかされ、騙されたようになって、ナチスのシンパだということになり裁判にかけられ、呆然としたまま失意のうちに亡くなってしまった。

ダーリントンという立派な自分の屋敷を提供したにも関わらず、要領が良くて抜け目のないもの達から

全てを奪われたのだった。こういう恐ろしい事は、実は よくある事だろう。

しかし、スティーブンスだけは、屋敷に残り、新しいアメリカ人のご主人様ファラディに使えるようになっていた。しかし、ダーリントン卿こそは、信じられるそして尊敬できる一番の紳士であったと思うのであった。

彼は、ダーリントン卿の時代を懐かしみ、昔を思い出しては、それを噛みしめるのであった。

最後に、彼を好いてくれていた女中頭との再会を果たす。

彼女は結婚して、孫もできていたが、結婚は失意のものであった。

スティーブンスに、久々に会い、お茶を飲み、別れた。

彼女の目には、ちぎれんばかりの涙が溢れていたが、遠ざかるバスの中で、スティーブンスにはそれが見えなかったのである。

この映画作品は、アカデミー賞をとっている。

8部門で優勝している。

なぜ?という事だ。 

まさかイシグロがノーベル賞とは、知らなんだ。 

そういうことを予想してたんか?

スティーブンスの役を、アンソニーホプキンス(羊たちの沈黙)が、真剣に、いや、飄々とやってのけたというべきか。

それなりに大変だったとおもう。だが、アカデミー賞を取るような映画だったとはね。

どこの何が評価されたのか、おしえてほしい。特別悪い映画ではなかったが、ある意味、坦々とした映画であった。

そういうところが、日本的であり、評価されたのであろうか。

 

 

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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日の名残り (字幕版)

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Never let me go わたしを離さないで カズオ イシグロ 映画 2010年

ノーベル賞にしたって、この小説は理解しがたい。まず、臓器移植の為に少年少女が集まって生活している、そんな大きな国立の建物がある。そこは閉鎖病棟のようで、外には、境界線が敷いてある。

そこから外に出る事は禁止されている。

建物の中では、子供らに洗脳教育が当たり前のように為されているのだった。

 少年少女らは、外に買い物に行ったりはできるはずもなく、とても小さな世界で、管理者に守られて生活し、大人になって行くのである。

 

このような 陰気な話を、イシグロはどうして思いついたのかな。いや、なぜ思いついたのかなと、

そこが分からないところだ。

題名の  never  let  me goという歌は、ものすごく情熱的な恋の歌。キャシーが持ってはならない心の有様であった。kiss kiss  kissing ! なんていう歌だもの。皮肉にもほどがある。

 

どこまで言っても陰気であり、それはこう言った閉鎖的世界に幽閉されていれば、当然のことだが、これではあまりに、人間であれば自爆するしかない設定。

脱獄するとかそう言った場面を作ってもおかしくないだろう。

なのに皆がハンコを押したようにえらい大人しく覇気もないままである。

主人公の女キャシーは、えらい老け込んだような顔をした女だった。艶のない皮膚、シワっぽい皮膚で、

平静さや冷静さを描こうとしている。そうでもしなければ、こんな場所で平静さは保てないものね。

もう一人のルースは、名前のごとく自由奔放な年相応な女の子である。

恋をして男の子と深い中になるが、なんと言っても施設の中での出来事であるのだ。プライバシーなぞありはしない。恋と言っても恋にならない恋であった。

 

この子も、結局臓器提供して死んでいくのだが。

主人公の女はトムという男の子とついに恋仲になるが、トムも死んでしまう。

キャシーは、介護人という職について、自分の仲間たちの介護に当たっていて、特別な地位にいるように見えた。しかし、結局は、皆と同じく、臓器提供をしなければならない時が来たのであった。

 

何もかも無くなっていく人生。何もかも幻のような仮の人生。

この子たちは全部、だれかのクローンだというのだから驚きだ。まさに仮の姿の仮の人生である。

だが、これも仏道か。この娑婆は仮の住まいと心得よ。とあるからな。

イシグロって、両親共日本人だし、何かその変に秘密がありそうだな.

 

映画では主人公が、キャリーマリガン(華麗なるギャツビー)、ルースは、キーラ ナイトレイ といった

美女揃いだが、マリガンは、役どころで、グッと抑えた演技になっている。

 

 



 

 

 

 

 

ハービーワインスタイン セクハラのためアカデミー会員 除名

やはり、そんなことだった。ワインスタインは、映画のアカデミー賞の決定権を持った人間のなかでも最高の権威を行使していた人である。セクハラ事実をアンジェリーナジョリーらにばらされた。

彼らは、じっとこの時期をうかがっていたのだろう。映画界は腐りきっていて、誰が見ても、おかしなことになっていたのだからね。

彼は、映画のプロデゥーサーもするし、タランティーノ監督を発掘したりもあった。

どれもくだらない映画であったなあ。やはり、裏取引があったということか。

オリバーストーン監督にもセクハラ疑惑が浮上した。この人の映画もおかしなものばかりだ。

スッポコに限らず、大抵の人が呆れてコメントもできないというくだらなさがあるのだ。

タランティーノは「パルフィクション」「キルビル」などの作品があるが、どれも暴力で進んでいくおはなしになっている。

ワインスタインがプロデゥースした「恋に落ちたシェークスピア」に至っては、悲しいほどくだらなくて、弟はシェークスピア研究の本も読んだりしていたが、読んでいなくてもこの映画には失望しかないのだった。「なんだ?この映画。クッダラン、クッダラン」

 

オリバーストーンは、「プラトーン」という映画が有名だ。これもスッポコはまだ見ていない。直感で避けたのか。

 

彼らはワインスタインと組んで、アカデミー賞をものにしていったのだ。

 

この様子は、大小に関わらずどこの組織にも見られる事で、

裏金、裏取引が、昼も夜も行われている。

それがなぜ良くないのか。まあ、、ことの大小に関わらず、闇の中でやった事は、やはり闇であろう。

はっきりしない無茶振りを権力と金力でやってのけて、自分たちが、儲かるしくみになっている。

 最近、スッポコのところにも怪しい手紙が来たが、アンケートという形をとって、本当の目的が覆い隠され、個人の財産の侵害を行なっている様は、浅はかよのう、としか言いようがない。

スッポコは家族から、統失ではないかと言われるほど、疑り深く、どうにもならない事にブーブー言って、ヒンシュクをかっている。だが、その推理にしてもほとんど、当たっているのだ。

何か事業をする場合、役所にお伺いを立てて支援をお願いするのだろう。そういうことで、いつまでも癒着はつづくのである。杜子春には、富の虚しさが描かれている。直接関係なかったか…。

 

杜子春

杜子春

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カリギュラ 1980年 伊 米 合作 監督ティントブラス 等

マルコムマクダウェル(オレンジじかけの時計の主人公、)、やピーターオトゥールなどを使って撮られた作品である。

変わった作品でぶっ飛んでいるので、当時は、騒がれて物議を醸し出した。それは、この映画がまるっきりポルノだからだ。見てはいけません、いや、一見の価値あり、といろいろな噂がとんだので、どれが正しいのか分からなくなっていた映画であった。

カリギュラ効果という言葉もあり(ちょっと古かったか)、ただ、(カリグラ皇帝)というのは本当にいたらしい。

 

多数に男女が裸でたわむれるその様は、天国か地獄かといったところだ。

ティベリウス帝(ピーターオトゥール)が亡くなり、(これはがカリギュラたちが暗殺したのだが、)、若きカリギュラが皇帝となった。めちゃくちゃなことばかりしても、皇帝だから許されていた。男や女をいたぶり、退屈を紛らすのだった。

皇帝の座についたマルコムは、近親相姦の妹が亡くなってから、徐々に気がおかしくなっていった。

美しい妻とも別れるし、家臣も気に食わぬ奴は、どんどん消していった。

この本妻は、とても美しく、輿のようなものに寝そべっていて、若い男たちに性的な奉仕をさせているのだった。美しいので、目の保養になる女だった。

皇帝に子どもはいなかった。妹の子は近親相姦の子になるため、産んでおらず、また本妻にも子供はいない。

新しい、元気な娘を無理やり婚約者から奪い、子供を産ませた。婚約者は、殺された。

公開出産で生まれたのは女の子だったので、気を落とすが、王子が生まれたと宣言したりして、気がおかしいことがわかってくる。

その他にもおかしいことを言い出す。愛馬を大臣にすると言ってきかぬのだった。家臣らが呆れている間にも、

 

レズビアンあり、ホモあり、いろいろな乱行が繰り返され、それに明け暮れるので、さすがに、飽きてくる。

ただ堕落して、人間らしさを失っていくことの恐ろしさがかんじられる映画だ。

最後は、元老院の妻などにも参加させて元老院の妻は、色気狂いということになっている。彼ら総勢を集めて盛大な乱行パーティーを開かせて悦に入って見回る気狂いの皇帝となっていった。

彼に哀れさは感じれない。同情もできない。歯止めのつかない人間の堕落であるとみるのが、賢明であろう。ただ自分もカリギュラと同類だと思わないためにも、どこかで一線を引いておかねばならないだろう。

彼は自分が神であるとまで言い、自分は不滅であると言い放つ。家臣と国民を自分のものにしようと試みるのであった。

神であるはずの彼にもついに刃に、倒れる時がくるのであった。

 

 

新・カリギュラ [DVD] NLD-003

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