スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

神々の山嶺(いただき) 2016年

ついに来ました。岡田准一阿部寛の山岳映画でした。早くエヴェレストがみたい!そう思っていたのだが、

そもそもこの二人が出ている映画は、何故だかわからんが、おもしろうないんですよ。

うん、これは何か忖度があったためにずっこけてしまった例であるのかもしれない。世界的な作品とかそういうことを言うから身動きできなくなるのでは?

顔怖いだろう。2人とも。暴走族の映画のような乱暴な品のない喋り方。なぜあんなに力んで喋るのか。阿部も岡田も、マジ、こんなことでは、生き残れない。下っ端の役とかやって自分のハマリどころを探すべきだ。いつも善人やいつも主役ばかりしていてはどんどん悪くなるばかりであるよ。

これってオセッカイだろうけどね。

はっきり言ってスッポコはどちらとも結婚したくない。阿部のほうがよりしたくない。

クセがありそうだし、笑顔が可愛いのは岡田の方であろう。

芸能界で出世してお金儲けて、まるで、学校の先生か、会社の椅子とりでもあるまいし、出世演技は、

もう其れくらいにして欲い。芸能界で出世して、何か大きな目算でも有るのか?いや、アルマゲドンの「宇宙で銃」というセリフを思い出したわ。

山に登る時も、もう少し細かいところを見たかったなあ。山登りのノウハウは何も出てこなくて、つまり、人間ドラマ一色ですよ。メロドラマか。尾野真千子がなんかしゃべってるけど聞き取れない感じがありました。ほぼ台詞のない役でしたけど。

阿部の名前は、羽生丈二だったし、岡田は深町誠だってよ。こんなふざけた名前があるもんか。

何が深町だ。こんなしゃれた名前、スッポコの周りには一軒もない、あたりまえだ。

いろいろ問題のある作品になってしまった。音楽も、何か、物語に対して大袈裟すぎる。音量を何度も調整しながら見るハメとなった。音楽で映像を誤魔化そうとしたのだろうか。すこし大人げないぞ。

 

エベレストという、人間を魅了しつづける神のような山に対しては、やはり映画化はとてもむづかしいのだろうね。仕方がないさ。大きな山なんだろう。

 

阿部が、ザイルを切って、下の若者を落としたと世間では信じられていたが、本当は下にいる若者が、自分からザイルを切ったのだったということであった。その真実を彼から聞いた岡田は、阿部と言う人間を見直したのだった。山男の鑑だと。そこが、芯になっている話だ。

阿部は、1人で、頂上を目指す。

まあ、天才クライマーと言うことだからしかたのないことではある。いくら天才でも、神の山に対してはあまり調子に乗りすぎたと言うわけだ。地元の老人ガイドは、「頂上に着くあたりで、登山者は山の神に愛される者かどうかの裁きが行われる」というのだった。愛された者は無事に頂上に着けるのだ。

もうすぐ頂上というところで、空の上から巨大な雪雲が降りて来た。

 

ようにみえた。

 

超高い場所の空というものは、人を寄せつけない厳しくおそろしい異常性を持っていて、突然に襲いかかってくるものなのだろうか。

映像では、結局何が起こったのか製作関係者以外はよく分からないままで、

安倍は何かにのみこまれた。

それを、下方で見ていた深町は仕事道具のカメラを雪の中に置き去りにして、叫んだのだった。

ただ「アババババ、」と言う感じだ。なにこれ。

何かが、よく分からない何かが、阿部もろとも全てを呑み込んでしまった。

ここのところだが、「何かがくる!」という表現がなぜ音声になって発せられていないのか。

これでは映画を見ている者には、何が来たのかさっぱりわからんのです。白い大きな雲でした。

あれって何ですか?皆がエベレスト登山経験者じゃあるまいし、説明がなければ、わかりませんですよ。誰か分かった人はおられるんでしょうかね?

 

まず山のどの辺りに彼はいて、

その時頂上はどれくらい先で

そこで、何が起こったのか、

を明確にして欲しかった。

一番の映画の山場が、トイレでションベンしてますぐらいの場面と同じレベルになってしまう。

これじゃあ何もね。分からない…。せっかくはりきって観てるのに、観客は完全においてきぼりですよ。

もうこれには、カンカン怒り💢

はっきり言って、八甲田山の方が雪山の恐ろしさがリアルでしたよ。

阿部はおそらく、おそらくですよ、頂上についたのだが、(本当に着いたのかが分からないので推測)岩陰で凍っってしまっていた。魔物のような頂上付近では天候の変化に、誰もついて行けないのだった!(たぶん)

何もかもわからない映画。

 

彼の消息を確かめるため深町は自分も単独で、彼の足跡を辿るのだった。

そりゃあ、これでは深町にも分かっていないわなあ。確かめなくちゃね。

安倍はほんとうに頂上に達したのか?という皆が持つ疑問も、それで、解けるだろう。山男として敬愛の念を阿部に抱く岡田。男が男に惚れるということだろう。

彼のことを想って、登り始める岡田。

阿部は頂上の岩場で、

(何度も言うのだが、本当は頂上かどうか知りませんよ。)

目を開けたまま亡くなっていた。彼はつまり、山のゴッドに愛されたということか。彼は今や氷像だった。彼は紙に遺書とも言えるメモを残していた。まずそれは、真実のようにも聞こえるが、斜めからみると見栄を張ったウソのようにも聞こえる。わたしの根性が曲がっているせいだろう。いやきっとエベレストの雪が反射しているせいかもしれない。、雪の反射はもう半端ないところまで、人間を追い詰めそうな気がする。スッポコは、想像だけでも、もう耐えられない。いやはや。

 

 

 岡田は目的を果たし、無事下山する。よかった、よかった。

 

 

 

 

 

 

 

ミツバチのささやき 1973年 スペイン映画

ようやく手に入れたミツバチの映画。どのように批評すればいいのかなあ。ちょっと一口では言えない

スペインの広い野原が出てくるのが印象的だ。スペインの片田舎の美しい風景と無駄のないカメラワークが続く。

主人公達が住んでいるのは田舎なのか、町なのか、よく分からない。ただ小学校があって、主人公ら姉妹はそこに通っている。

 

この街にフランケンシュタインの映画が来た。町の老いも若きもこの珍しい映画をを見ようと集まってくる。罪もなく人に追われるフランケン。この映画は姉妹の胸にも焼きついたのだった。

姉はイサベラ、妹はアナといった。

 

店らしいものは何もない村のようだ。しかも雨も少ない乾燥気味の空気が見える。主人公らが住んでいる家は、中堅どころの立派な大きな家で、父親は蜜蜂を飼っている養蜂家だ。

窓ガラスの模様も蜜蜂の正六角形なのが、おもしろい。インテリヤとしてやり過ぎである。

養蜂で財産をきづいた家なのか。

 

主人は物静かで、黙々とマイウェイで仕事をこなし、夜になると何時間も書斎で、文章を綴っている。その為夫婦は、すれ違いの生活が続いていた。

奥さんは、しょっちゅう、手紙を書いては、自転車で何時間もかかりそうな郵便局だかステーション(駅)まで行くのが日課のようになっていた。誰に手紙を書くのかって?うん、それは、元彼にです。これってフリーンじゃないのってこと。

 

さてそのようなちょっと裕福な環境で、2人の姉妹は、仲良く遊び、活発に活動するのだった。

姉は妹をあちこち連れ歩き、結局危険な羽目になりそうで見ていると怖い。でもけっこう子供の頃って、あちこち探検するもんじゃないのかなあ。廃屋にしのびこんだりしてさ。

 

ところでスペインって雨があんまり降らないのかね。奥さん自転車で、一日中走ってんのよ。家政婦もいるし、いい身分だよなあ。

ただこの母親の秘密が、じんわりと子供達の心を犯して行くのである。

 

姉のイサベラは飼猫の首を締めて殺そうとする。

また、本当に死んだふりをして妹のアナを心底驚かすのであった。

姉のその意地悪い二重人格は 多分お母さんの秘密と関係ありそうである。

 

父親は、子育てにはあまり関心もなく、ただ良い夫として振舞っているだけなので、妻の秘密など考えたこともなかった。

 

ある日、キノコ採りに子供達を連れて行き、美しい松林で良いキノコと毒キノコの見分け方を懇切丁寧に教えるのだった。つまり良いパパである。パパは、亡き父親を尊敬していて、身体も強く頭も賢い良き親であったことを強調する。つまり自分も由緒正しい人間だと子供に教えるのだった。

こういうことは得てして間違った方向へと進みがちなものである。真反対の極道になる恐れもある。

ま、中堅階級ではありがちなことではある。夫は、妻の気持ちを知らないし、知ろうともしない。

欲求不満の妻の胸の内は、どんどん、夫から離れていっていることにも、無関心なのである。

由緒正しいことと、ミツバチの物語の著述だけが彼の関心事であったから。

 

パパの無関心と、ママの秘密。

ただ子供達だけには、それが、現実的に影を落とし、子供達はその影に呑み込まれていった…。

 

ある日、妹のアナは、野原(といっても広い平原のようにも見えるのだが)のはての廃屋に興味を持ち、学校帰りに寄り道する。

そこでアナは傷を負った脱走兵(脱走兵は銃殺の罪にあたる)を見つけ、食物や衣服を与える。

アナにとって、彼はフランケンシュタインとも妖精ともつかない不思議な友人であった。

子供のアナも所詮は孤独な人間であったのだ。

 

彼は警察に見つかって銃殺され、かくまっていたアナに疑いの目が向けられる。親に怒られて、アナは森へと逃げて帰って来なくなった。

アナは行方不明になり、村人も、松明を持って捜索するのだった。

 

この騒ぎは、母親の心を驚かせ、不倫の心を持っていたことを、自ら恥じたのだった。

母親は、元彼に出す手紙をそっと焼いたのだった。

 

だが、実際は子供が行方不明でも心を入れ替えない親もいるものだ。

スッポコの親はそういう人であった。散々心配かけたのは、ママにまともな親になってほしかったからだ。スッポコのママはイカレてたからねえ。何を仕掛けてもムダだったよ。信じられないよ。

ただ、スッポコの両親はダイヤモンド婚(60年間)まで過ごして、まだ片方は生きている。夫婦とは、よく分からないものだ。

 

アナは見つかり家に帰った。子供の心は夢見るカラクリ箱のようだ。

だが、親たちの真実を見抜く澄み渡る鏡のようでもあるのだ。彼らは小さな人生を賭けて、真実を伝えようとする。心に刺さった小さな棘が親の心臓に達しない様にと願ってのことだ。

 

 

ミツバチのささやき HDマスター [DVD]

ミツバチのささやき HDマスター [DVD]

 
ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール
 

 

 

 

 

 

NHK、基礎英語2 内容分かりにくい

久しぶりに、基礎英語を読んでみた。4月号の表紙の絵は、ケツを振った女の子2人である。

長い髪をなびかせて、里芋の茎を(いやハスの葉かもね)、傘がわりにもっっている。え?最近のゲームの一場面かな?と、思った次第だ。パッとみて、なんの意味もないイラストである。色彩もキモいぞ。水色を基調にしている。何をして遊んでいるのか、さっぱりわからないのが、歯がゆいのである。

内容は、今まで、何度か親しんできたものとは違っている気がした。なぜか?

f:id:dekochanya:20170405171802j:image

f:id:dekochanya:20170405204426j:image

茶道部と、柔道部がでてくる。歴史クラブに新聞部である。

家族が座りテーブルでご飯を食べている。柔道は心を清らかにするスポーツだと言っている。神社と御神木が出てきて、千年経っているご神木に、スピリッツが宿るというはなし。日本の川に、やはりスピリットが住んでいて、それに話しかけている女の子がいる。

どや!   こんな内容の英語勉強したいですか?

これってジョークやポエムで言ってるわけじゃないよね。

中学生をセンノウするつもりかも知らないが、このお年頃の生徒は手厳しいやつがおおい。

たまたま、いうことばかり聞くおとなしい生徒を少人数でも狙ったつもりか?

他人を洗脳できると信じている脳足りんの人間たちに実際に会ってみたい。

教養のない人であったなら、残念だなぁ。

これって学歴と関係あるのかしら?

 結局テレビのビジネス英語に変更したです。

ラジオの電波、スッポコの家にはあまりとどかない。ガーとザーッばかりです。

弟がインターネットで聴きなさいといったのだが、使い方も知らず残念だなぁ。

f:id:dekochanya:20170405173908j:image 

柔道って、痛いよね。昔は ヤワラと言った。日本人があみだしたんだっけ。小さい体でも大きな人間をやっつけられるんだ。日本人は小さいからね。

 

f:id:dekochanya:20170405173645j:image

こういう坐りテーブルで、ご飯を食べるってほんと懐かしや。スッポコの家にはテーブルがなくて、各々のお膳を床に置いて食べていたなあ。友達のうちに遊びに行き、ちゃぶ台を見て、羨ましかったものだ。でもお膳はかたずけると部屋が広く使えます。

 

f:id:dekochanya:20170405173652j:image 

いったいリバーさんって誰なんだー!?とさけびたいよ。

少年と少女の役割分担が分かりにくい。少年が言っているのかと勘違いするスッポコ。

スッポコの家の近くには大きめの川があり、いつも魚採りをして遊ぶ子ども達がいたんだ。

あの頃は、水も石も綺麗で、spiritがいたような気もしたけどね。

 

 

 

NHKラジオ 基礎英語2 2017年4月号 [雑誌] (NHKテキスト)

NHKラジオ 基礎英語2 2017年4月号 [雑誌] (NHKテキスト)

 

 

 

ジャングルブック ディズニー 2016年 キップリング原作(イギリス) ジョン ファブロー監督

これは不思議な話です、という言葉から始まるジャングルブック物語。これを1967年にアニメを製作してから、実写版もあるディズニー社は第3弾としてCG作品をつくりあげたのだ。

人気の訳は、、声優陣の豪華さだろう。また分かりやすいストーリーでもあるし、

歌が更に絶品である。誰でもサントラが欲しくなるような、よくよく練られた歌が聴けることは、シアワセである。      

 

ジャングル・ブック オリジナル・サウンドトラック

ジャングル・ブック オリジナル・サウンドトラック

 

 

原作はイギリス人のキップリング。ああ、やっぱしな、イギリス人かと思うスッポコである。

ただ彼はイギリスの植民地下インドのボンベイ生まれなので、虎や、像などの野生に詳しいのだろう。

私は、ジャングルや動物の描写においては、完璧を目指すディズニーが、学者を雇っておしえをうけたのだろうと思った。一部はそんなこともあっただろうが、元の原作が、まあ素晴らしく、それに沿って

作ったとおもう。だが、動植物の描写には、かなりの人が関わっていることは聞かなくても想像できる。

主役の少年は手垢の付いていないフツウの少年で、それがよい結果となった。

主役のモーグリ役をただただすなおに演じている。モーグリは狼に育てられた人間の子で、ジャングルの悪い虎に命を狙われ、母親狼やボスオオカミに言われて、ジャングルを捨てて人間の村へと旅つのだった。モーグリは小さい頃、親とジャングルを旅していて、親は悪い虎に咬み殺されて、幼いモーグリだけが生き残った。黒豹が拾い上げて、おおかみが育てることになった少年であった。

 

 

声優人には目を見張るものがある。大蛇役のスカーレットヨハンセンや、黒ヒョウのベンキングスレー(ガンジー)

クマ役のビルマーレイ(ゴーストバスターズ)などがいる。

 

圧巻は、サルの大ボスのキングルイであるが、こんな巨大な猿は見たこともないぞ。

その声はなんと我が愛するクリストファー・ウオーケンであったので、

スッポコの喜びは半端ないのだ。

この人の歌は凄かったというか、ミュージシャンに随分訓練されたとおもうわ。

だってうまいもん、すごくね。サントラ欲しいよなあ。

大熊はのんびりとして、気のいいモーグリにはちみつを集めさせて、じぶんは怠けていることが多かったのだが、やっぱ優しい友達だったんだ。

このクマのバルーの歌う歌は、悩みを捨てて、欲張らずに今日を楽しく生きようという内容で、こころがおちついてくる。カリカリした心の鎮静剤となるようです。

本当は熊のバルーは、欲張りで、モーグリをタダ働きさせてはちみつを集めるので、おかしい。

 

ある日、モーグリは人間の知恵を使って穴に落ちた子ぞうを救ってやる。大喜びの象たちは、静かに森に去って行く。

どんな場面でも、出しゃばらずexaggerateせず、協調して行くディズニーの方向性に只々感服するばかりである。

CGは、少し物足らぬほど派手さはなく、狼に育てられたモーグリの狼家族はみんな地味なのである。

どっかの犬たちかと思えた。

かといって物足らぬわけでもなく、要所要所では見せ場があっておもしろい。

大蛇は英語でボアと言うと思うが、そいつがすごい巨きな脱皮の抜け殻を落としていたり、モーグリを飲み込もうと近づいて来る様はおそろしい。ヨハンセンの低い声がこわすぎる。

蛇の名は「カー」であるが、このカーという言葉は、どうも欧米人には不吉な言葉らしいですぜ。

 

アンコールワットの遺跡の様な石の寺院にくらす猿たちは何百匹もいて、そのボスが、想像できぬほどデカくてなあ、人間のモーグリから、「火」をもらおうとたくらんでいた。

動物は火を恐れる。火が扱える人間を恐れている。

ボスはジャングルの王様になりたがっていた。

火さえあれば、それが可能になると。

しかし寺院は崩れ去る。さるたちもチリジリに。

 

そしてずっとモーグリを狙い殺そうと企らむトラのシアカーンは、モーグリの手にした松明によって起きた火の中へ落ちて死ぬ。

森も火の海となり、動物は逃げ惑うのだった。

しかし、象の群れが現れて、川の水を堰き止めて、ジャングルへと水を流してくれて、山火事は消えてゆく。

平和が来たジャングルで、モーグリは、仲間のもとへ帰り幸せにくらすのだった。    おわり。

 

余談にはなるが、インドでは色々不思議な話がある。インドの密林では、実際に狼に育てられた姉妹が発見され、牧師に引き取られたが、生肉を食べ、その中の一人は最後まで、二足ほこうができず。人間の言語も話せなかったとある。これは育児の研究の本であり、環境がいかに人間を変えるかという見本になっている。

ただこの話の信憑性はあやしいともいわれている。