日本のお笑い演芸を育てた吉本せい(わろてんか)、と其の実弟が放った言葉は商売を営む者には大切な言葉ばかりだ。
せいがまだ女盛りの若い時に夫は亡くなった。大小の舞台を持っているせいを助けたのはしっかり者の実弟であった。
夫は悲しいかな遊び人であった。飲む、遊ぶで、女とは切れ目がなかった。
悲しい明治女のせいさんである。なぜ仕事に精を出さなかったのであろうか。せっかく二人で築いた演芸場を、彼はなぜ一緒に守ってやれなかったのか。生まれながらの放蕩者だったのか。
でもさっさと死んでやれやれ。ですなあ。
弟の正之助は、センスがあり、売れていく芸人かどうかが一目みてわかったという眼識の持ち主であった。そして日本中を良い芸人を探して歩いたそうだ。
笑いの劇場は、常に世間から一歩進んでいないといけない、などとヤボなことはいわない。
「常に半歩進めよ。」これが王道である。
吉本は芸人たちを社員として、給料制をとりいれ生活を安定させ、より芸に精進できるようにした。
何よりも、お客様目線の言葉が生きている。売れない若い芸人を積極的に舞台に出した。
せいは芸人の一生懸命さをとても大切にした人だった。人気者でも、熱心に精進しない者は、いつかは消えてゆく、ということだろう。
一方、正之助は良いものも食べたり味わったり、本を読んで教養を積むことも進めていた。目に見えぬ雰囲気としてそれは出てくるからである。
熾烈な競争世界である獣道のような演芸の道を歩いたのも、お客の笑いという励みがあったからであった。
ただ、ひとりぼっちのせいはこの生活はつらいものであったのだ。
一人息子がいたが笠置シズ子の娘と結婚するも、惜しくも死んでしまう。
これを機に張り詰めていたせいの心身は一気に弱り、あとは気落ちしたまま余生をおくるのである。
夫を亡くし、大事なむすこさえも失ったせい。旦那がそばにいて二人で苦労をわけあったのではない。
せいは一人で切り抜けるしかなかった運命にあった。
ガックリくるのもよく分かる。
しかし、生き生きといきた女であった。「男勝り」などと言ってはならない。
ところで松桃どうしするんやろ。