スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

human nature ヒューマン ネーチャー 2001年 ミシェル ・ゴンドリー 監督 米 仏 合作

せいさくしたのは、「マルコビッチの穴」と言う映画の監督だが、ヒューマンネーチャーはゴンドリーに監督させたらしい。マルコビッチと聞いただけで、ははあ、そうなんだと、失望にたどり着く。

ヒューマンネイチャーは1982年にマイケルジャクソンが歌った歌の題名である。

この映画は、題名からしてパクリ詐欺である。

幼稚園のいたずらっこが思いつくような、内容なのも頷ける。類人猿と、毛深い女、この二つの組み合わせには意味はないのだ。毛深い女は、自分の体を悲しんで、死のうとするのだが、死にきれずに、森の中で生活することを選ぶ。自然のまんまというわけだ。だが、男と恋がしたくなって、全身の毛を剃って、うまいことかっこいい博士と結婚する。彼女は、エステにも通って、脱毛の施術を受けるようになる。毛深い女は、男に嫌われる、と信じていたからだ。博士は子供の頃から厳格に育てられ、性格に問題があった。とても狭っ苦しい視野しか持たず、つまらない奴であったが、頭は良さそうだった。

ある日、類人猿を森で見つけて研究所に連れ帰り、檻に入れて、文化人となるべく教育し、とうとう、哲学を論じるほどの知能を身につけた類人猿となり、成功を収めて行く。

一方、博士は毛深い女とは別れて、うつくしいガブリエルという秘書と、浮気して楽しむのだった。

博士に裏切られた毛深女は再び、森へと帰り、類人猿男と、裸で暮らし始める。

その頃女は、エステで、完全脱毛に成功していたのだった。結局男に気に入られたかったのだ。

とにかくメチャメチャな話である。

 

追いかけてきた博士を、殺してしまう類人猿だったが、その罪を、毛ぶか女が被って、監獄に入るのだった。裁判で 類人猿は、無実になり、放免されて、森へと帰る。森が自分の居場所であった。子供の頃、自分を抱いてくれた大自然、マザーネイチャーの元へ。

 

しかし、これは、彼のおそろしい企みであった。

mother nature もhuman nature もなかった。

自由になった彼は 博士の秘書のガブリエルと共に国外に行くことをもくろむのだった。

 

本当は 大物詐欺師の素質を持った類人猿であり、ヒューマンネイチャーをおちょくって面白がっている監督のための作品であり、子供のおもちゃである。

 

 

 

 

 

外食 2017年

この頃なんとなく、体調が荒れていて、明日までには死ぬんじゃないのかって、思ったりすることが多い。

そういう訳で、お金を出して食べる外食は、やはり、厳選されたものが良い。

変な混ぜ物の入った料理はおことわり、バターの代わりにマーガリンたっぷりの洋食は、害になる。、薄めたコーラを飲まされた事もあったっけ。これはひどすぎて、笑い話だ。

肉のかけらもないカレーも寂しいものだ。必死になって肉を探すお客様のむなしい努力をみてほしい。

レトルトカレーという店さえある。

食べ終わった頃には、もう二度とこのカレーは食べないと心に誓っているのだ。

メニュー品目の多すぎる店は嫌いだし、ベタベタと、黒板ボードに書くのはシロウトさんという事ですかね。メニュウが頻繁に変わってしまうと、あとは、アイスの様に溶けて行くだけですわ。

 

 

モーニングはパンにコーヒーなどはどこも定番で同じとして、つけあわせの野菜は、どうだろう。

タンパク質はきちんといれてあるだろうか。

安いレタスでもいい何かたっぷりのっかていれば、オーケーだが、ひとつまみの店は、もう、誰からも愛されません。野菜を残す人が多いというのは、言い訳。そんなお客はたいてい味オンチなので、まず、意味ありません。除外ですね。

 

コーヒーとなると、もう千差万別ですが、美味しいと感じるものが、美味しいのであって、

いくら高くても、馬が飲むようなコーヒーを出す店では、スッポコの心は波立ち怒り狂っているのである。

シロウトだ、田舎者だから、わからないとでもいうのだろうか。馬の小便のようなコーヒーを我慢しろとでもいうのだろうか。

まず、スタバのコーヒーを基準にして、美味しいまずいを決めてもいいが、スッポコはまだスタバには一度しか行ったことがないのだった。げほ。しかし、うまかったという記憶が残っている。スタバの戦略本も、よい。

オススメは、やはり大阪の難波あたりの、コーヒーが下品だがうまいのだ。

大河ドラマの直虎を見ていたら方久という者が出てきて、安い茶や団子を出す茶店をやっていた、と言っていた。それがめっぽう儲かってと言っていた。要するにお客様はやすいところに行くのだが、やはり美味しいものを食べたがる。家主はそれに応える。お客が喜ぶのをみて、家主もよろこぶ。

さらにお客が来るといったサイクルができてくるのだろう。

 

コーヒーの香りに誘われて、お客はやってくる。あの香りをもう一度と思うお客はリピーターとなって、食事にも食指を伸ばしてくるだろう。

だが、コーヒーの味が、なぜだかだんだん落ちてきて、お客からそっぽを向けられる店は、どの様にして、そのギャップを埋め合わせていくのであろうか。小さな亀裂が、大きな亀裂を作るもとになる。

お客は思う。「我々は大切にされていない、こんな安物の味を出すなんて、誰のためのものだろう?

私は、本当に美味しいコーヒーや、食べ物であったなら、少しぐらいは高いお金を払っても損したとは思わないのに」

そんな風に思っているんと違いますか?

 

 

 

 

MJB アーミーグリーン 900g

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借りぐらしのアリエティ 2010年 米林 宏昌監督 the secret world of arrietty

ステキですね。この監督は、思い出のマーニーも監督しました。本当、ウットリですね。

ただ、何度もテレビ放送していたのに、本気になれず、途中でリタイアーばかりしてたのです。

背嚢を背負ったような父親に、少しギョッとしたが、よく見れば、ケビンコスナーばりの美男子でほっとしたよ。ママは、なんだか近所のうるさいオバチャマ風で、どうしてもママには見えませんでしたね。お手伝いさんの声は、樹木希林です。

 

心臓に欠陥のある、薄命そうな男の子がでてくるの。自分でも、もう長くないかもと、おもっている。

その家の縁の下に、住み着いている、小人の妖精が、ウロウロして、ついつい、男の子に見つかってしまうのです。そして、この病気の元気のない男の子と仲良しになっていくのだが、この家の先祖には昔から言い伝えがあって、小人を見たという、じい様などがいたのだ。

そのじい様も、小人に救われたとかいう、いい伝えがあった。

そういう下地があって、この妖精は、まあ、座敷童のような存在なのだろう。

 

この遠慮がちに動く男の子は、心臓が悪いために、老人のようにそろそろとしか動けないのだ

この少年の生活は、閉じられていて、したいこともできず、走ることもできない、一体何を信じたらいいんだ?まるで、心を病んだ人間にも近いものがそこには見えるのだ。心を病んだものは、やはり何もできず、人並みに、歩くことや、走ることもできない。

 

若くして身体に欠陥を持つことの厳しさと苦悩は計りしれない。

 

  まあ、良かった。この少年はきっと元気になって生きて行くことができるだろう。

アリエッテイのことも、決して忘れない。

スッポコはそんな風に楽観的に考えているのだが、どうであろうか。

 

この繊細なテーマの運び手の米林監督とは凄い人だと、感心している。

  

歌は セシル  コルベルという、フランスの、女の子。ハープも弾ける。

すごくテレビで 宣伝してたよね。異国少女の歌もよかったね。

 

 

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虹泥棒 1990年 ホドロフスキー監督

おもしろい題名ですな。それに出演者にも注目ですよ。ピーター  オトュール(アラビアのロレンス)が出ているのよね。気のおかしい、メレアーグラという初老の男である。こいつは、ドイツの大富豪の、甥っ子とかなんだが、何故だか、子供の時から変で、奇異な人間であった。

大人になっても、世の中に全く馴染まずに、地下の下水道のトンネルの中に住居を構え、世捨人となっている。ただ、彼には活動的な泥棒の相棒がいて毎日食べ物を地上からかっぱらって、彼に持って帰って来てくれた。こんな素晴らしい相棒は、実は、メレアーグラが、大富豪の親戚で、莫大な遺産が舞い込むと言うことを、きちんと計算に入れていたからであった。卵、ソーセージ、ワイン、肉に、フィシュと、生活の必需品を盗みで稼いでいた。相棒の名前ははデュマという。

メレアーグラは、地上にはほとんど出ずに、哲学的なことや、神のことなど考えて、優雅な暮らしを営むのだった。

一体どちらが主役なのか。やはりオトュールに軍配があがってしまうのだが。

彼には生活力が、ほとんど無くて、現実的なことはなにもできない奴であったが、監督は、こんな人間が描きたかったのだろう。

大富豪死亡という知らせを聞き、デュマは動いた。大富豪の家のあるドイツに行くためだ。外に出ると、恐ろしい嵐で70年ぶりの大洪水だというではないか、やっと汽車に乗ったが下水溝にいるメレアーグラのことが気になって汽車から飛び降り、彼のネグラの下水溝へと急いだ。しかし凄い雨だ。雨が水になって下水溝に流れ込む。もう手遅れかもしれないと思いながら、必死で下水の中を泳ぐデュマだ。

このゴウゴウと流れる水が、下水(ゲスイ)かと思うと、何かゲンナリなるので、綺麗好きな奥様には似合わない映画である。

野生児のスッポコでも、ええ?これ大丈夫かなと、すごく不安になる。ただ、レ・ミゼラブルのパリの

下水溝の場面を思い出して耐えるしかないのであった。

さて、今度は二人して水の中を逃げ惑うのだが、これがまた、ひどいので、大変だろうなーと心配になる。水で冷えて、肺炎にでもなったらどうするの?だけど二人ともとってもタフで、びっくりです。

ただ愛犬のクロノスの死骸を水に流してしまい、慌てるメレアーグラに、デュマは、犬はとっくに死んだんだよと、叫ぶ。

死んだ犬が、骨と毛皮だけになってもまだメイアーグラは、生きているときのように可愛がって片時も離さないのだった。

 

とうとう、大洪水の中で二人の別れの時がくる。デュマのみが助かりメレアーグラは、水の中へと消えて行った。

彼は欲を持たず、a paradise of  eternity  永遠の楽園を追い求めていた。デュマは、そんな彼のことが

本当は好きであった。お金目当てに付き合っていたのだが、最後には、見えないものへの熱い心が芽生えるのであった。

涙をたたえて、とぼとぼと歩くデュマの目に、不思議なものが見えた!

メレアーグラが、可愛がっていた犬のクロノスが、川を泳いでいたのだ。

クロノスはとっくに死んだはずだったのだが、デュマの方へ、どんどん泳いでくるのだった。

デュマの喜びようといったらなかった。まるで、相棒のメレアーグラが生き返って来たような大騒ぎである。

奇跡のような犬と共に、デュマは橋を渡っていく。一人と一匹は、もう、なにもいらなかった。大富豪のお金なんか、必要としない。

空には、綺麗な虹が🌈かかっているのだった。

 

 

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