スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

嘘八百   武 正晴  監督     2018年

獺屋(カワウソや) と言う古物商の男と、偽物作りの陶芸家とが、天下の文化庁の役人や、テレビにも出ている有名鑑定家をだまして、偽物の茶碗を売って、大儲けする話。

贋作作りの名人の佐々木蔵之介は、古物商の中井貴一と組んで、大きな賭けに出る。

 

堺の茶人の千利休の最後の茶碗と言うものを捏造して作り上げるのだった。

一流の目利きを敵に回して、二人は贋作作りに心血を注ぐぐ。

佐々木は陶芸の達人。中井は、歴史に詳しく、誠淑やかなストーリーを喋くる天才。

この二人が、千利休がもとめた最後の茶碗を仕上げた。

それは、どぎつい緑色の丸い茶碗であった。

せりにかけられて、どんどん値上がりし、国がお買い上げというところまで来たが、ついに見破られて、、偽物だと言われてしまう。

実際偽物なので、しょうもないことだった。

 

ところが、その後に、あれはやはり本物の千利休の茶碗だった、と言って、二人の有名な古物商が買い付けに来た。

一億円を置いて行った。

頓珍漢な二人の年寄の目利きは、騙された。後になって中井と、佐々木の魔法が効いてきたようだ。

欲に目がくらむと、やはり本物は見抜けないのだろうか。

 

骨董品ブームでもある昨今、ひと時の休息を求めて、古い本物を味わうのを楽しみにしている人々は多い。

騙されて高いものを買うよりも、本当に気に入ったものを買うほうがよいとおもう。

 

本物は、伝統に支えられた素晴らしい技術と、人間として究極まで考え抜かれた構図の二つが垣間見られる逸品である。

作者は分からないものも多い、と思われる。

 

近藤正臣  寺田農坂田利夫芦屋小雁などの大ベテランがしっかりとした演技を披露し、心温まる面もあり、いろいろ楽しめる。

 

 

嘘八百

嘘八百

  • 発売日: 2018/06/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

 

 

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン  世界一優雅な野獣   2017年

ドキュメントタッチで描かれる、あるバレーダンサーの生い立ちの記、といったものだ。

幼い時から,運動能力が高かったのをみて、母親は、この子にバレーを習わせてみた。めきめきと上達する我が子は、家の支えとなるべき子であった。貧しい家も、一流のダンサーがいれば、裕福になるだろう。そういう両親の元で、彼はとても厳しくバレーを習わせられ、自由がなくなってゆく。

バレー学校の最優等生の彼は

地方では、一番上手いダンサーとして認められていた。

イギリスのロイヤルバレー学校に引き抜かれて、イギリスに留学した。

このことが大きくかれをを変えることになる。

世界各国から集まった精鋭の中でも抜きん出ているセルゲイであった。瞬く間に飛び級して、年上の生徒たちと、競い合い、とうとう最年少のプリンシパルとして立った。19歳であった。

毎日の厳しい練習と、努力、人にも増して努力を惜しまぬ結果でもあった。

生まれつきの運動能力、感の良さが大いに味方してくれた。

 

両親は普通の人、父親は出稼ぎ労働者であった。

セルゲイが、単身イギリスに留学したことで、母親は、実はひどく取り乱し、生活もままならぬほど落ち込んでいた。

そして、両親は関係をこじらせて、ついに離婚。

 

この事が、セルゲイに知れると、セルゲイは急激にやる気をなくして何もかも投げ出そうとした。

投げやりで、やけくその人生は彼を変えていった。

クスリ、鬱などの不安定な要素が、かれに牙を剥いて襲いかかった。

 

いままでの、自分の人生を振り返ってみると、バレー漬の人生であった。明けても暮れてもバレーであった。

だがそれにも、彼は、悩み抜いて、終止符を打つ決心をした。

彼は新しい天地を求めて、アメリカに渡っていた。

 

彼が望んだのは、家族の団結であった。自分が頑張るのも、家族を支えるためであった。

家族を幸せにしたいという目標が失われた今、何もかもが、消え去ったように感じる彼であった。

 友人の助けによって、徐々に心を開き、最後のダンスを踊る彼。

「Take  me  to  church」という曲に合わせて踊る彼の姿。

 

その後、「ホワイトクロウ」という映画で、主役を務める。ヌレエフのバレー人生のストリーであった。

彼には彼の新しい人生が芽生えていた。

まず、それが良かった、と思えた。

美しい踊りの裏には、普通の人が知り得ない厳しい生き様が存在している。

もっと高みをと、ひたすら求める彼ら。だが、そうなると、必ずや大きな壁にぶつかるのではないだろうか。

そんな時、西欧人は、禅を求めたり、わびさびを求めたり、または日本舞踊をもとめてみたくなるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が生きる肌  2011年  ペドロ アチモドバル監督  スペイン

アントニオ  バンデラスを迎えての、本格的サスペンス映画。見応えのある逸品である。

人の皮膚を使って、全身を造り変えて、理想の女性を作ってゆく。

はじめは、亡き妻と同じように作り、監禁部屋に飼っていた。

 

前後して、わかりにくいストーリーになっていると思う。

通してみても、部分的にみても、誰が誰なのか、わかりにくかった。これはまずい、また自分の低い知能がバレてしまいます。

 

ロベル博士は、この研究が、表に出ては大変と、女を部屋に監禁して、決して外に出さなかった。

秘密裏に自分の怪奇な研究に没頭していった。

 

若い男ビンセンテが死んだ妻の替わりに整形され、外見も、内部も全て女性に作り替えられてしまう。

この酷い仕打ちに、男は、必死に反抗し、逃げ出すが、連れ戻されて、監禁室に閉じ込められて、そこで飼われていた。

博士は、ベラという妻の名をつけて妻のように扱うのだった。

 

夜、ベッドで、博士と寝ながら、逃げる隙を狙った。

諦めかけていた時、奇遇にもも、新聞のお尋ね欄に、自分を家族が探していると出ているのをみた。

母親らは、何年も息子を探し続けていたのだ。

それをみた彼は、必ずや、逃げ出そうと、決心する。

とうとうその時が来た。

博士と、その召使を撃ち殺し、とうとう自宅に帰ったのだった。

 

その数奇な経験を乗り越えて、家族の元へ帰りつくシーンは、サスペンスながら、ジーンと感動する場面である。

歯医者に行くのも怖いスッポコは、あんな大手術を受けては、生きてはゆけないだろうとおもい、不思議な感覚であった。

 

私が、生きる肌(字幕版)

私が、生きる肌(字幕版)

  • 発売日: 2017/06/30
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

 

毛皮のヴィーナス  ロマン•ポランスキー  監督  2013年  原作 :マゾッホ

ワンダという女の劇を作っていた脚本家のトマ(マチュー • アマルリック)の前に、ワンダだという名前の女が、突然現れる。

まるでこの劇全てを知っているかのようであった。男を召使のように扱い、自分は女王様のように威張っている役である。

男はその命令に従い、そのことで喜びを感じるというマゾの気持ちを表現する劇であった。

女に皮のロングブーツを履かせるトマ、そういう屈辱が、さらに快感を強めていく。毛皮と言い、ブーツと言い、超高級なものを使っている。監督のこだわりだと分かる。

このワンダを演じたのはポランスキー監督の妻である。

非常に肉感的で、変わった女性である。演技的には、どうかとおもったが。

 

だがいつの間にか、男と女の逆の立場ができあがっていく。トマは、女の口紅をつけ、女のようなみぶりになる。

ワンダは、ますます自由になり意気揚々と振る舞うようになってゆく。

元々、激しい気性を持っている女である。トマの気づかぬ間にこの劇中劇は、女の手に握られていたのだ。

最後には犬のような首輪をつけられ、変な柱に縛りつけられ、屈辱を受ける。

ワンダは、どこからか、立派な長い長い毛皮のコートを出してきて、裸体の上に纏い踊る。

まるで、女狐のようだ。

こんな毛皮がどこにあったのか。

 

この脚本は全ての女を愚弄したくだらないものである、と主張し始める。

女を馬鹿にした罰である、と言い捨てて、毛皮のまま去ってゆく。男女の間には何もなく、心理的なやりとりのみである。

 

この作家が、女の味方なのか、男の味方なのか、屈折していて、歯切れが悪い。

女の気持ちをよくわかってるなあと、感心したが、

両者の見方をする蝙蝠のような態度には賛成できない。倒錯したLGBT を演じるマゾッホは、

本当は、計算し尽くした正常人ではないのだろうか。面倒臭くて、原作まで読んでいない。

 

毛皮のヴィーナス(字幕版)

毛皮のヴィーナス(字幕版)

  • 発売日: 2015/08/01
  • メディア: Prime Video
 

 

のはなぢであろう。