今回は、あまりにひどいので、胸が悪くなりました。話になりません。
宮沢賢治の作品の中でも 隠れた存在感のある作品ポラーノ広場。シロツメクサの中の数字を見つけながら段々とポラーノ広場へと近づいて行く少年達。広い青々とした野原、そこはモリーオ市というのだが、明らかに、盛岡だとわかる。少年達は昼間は 大きな地主に雇われて農夫としてはたらいていた。
しかし夜になると 子供らしく野原に出て、伝説のポラーノ広場をさがすのだった。
きっとポラーノはこの野原の何処かにある、と信じていて、シロツメクサの花の中に浮かび出る数字番号を辿っているのだった。5000までくればポラーノの場所が分かるということだった。
博物館に勤めているキューストは大人だが、少年とともに草を分けて数字を探すのだった。
ちょっとばかばかしいとは思いながら、、理想郷と言われるポラーノのことを信じていたのか。
音楽が聞こえて来た。近いぞと思う間も無く、楽しげな宴の広場が現れた。
だがお酒の匂いがプンプンする変な広場だった。
そこでは議員のヤマネコ博士が密造酒を振舞って票を集めていた。ヤマネコ博士は人間で、デスパーゴといった。despairは失望,絶望という意味か。そこで、子供達とキューストと議員とがトラブって、ちょっと嫌な喧嘩になった。酒臭いヤマネコ博士は、支離滅裂であり、子供のファゼーロに食ってかかった。
その後ファゼーロは行方知れずになり探しても所在がわからなかった。
そのうち公務員のキューストはセンダート市へ出張に出る。センダートは、仙台のことに違いない。
センダートは華やかな街であったが今年は毒蛾に襲われて町の人はかぶれたりして、商売も大変なのであった。
そこでキューストは 痩せて落ちぶれたヤマネコ博士に出会った。税務署から追われて一文無しでしょんぼりとした彼につい同情してしまうのだった。
「ロザーロは元気かい?」 この男にも恋心があって ロザーロというファっゼーロの姉に恋していたのだった。キューストもロザーロのことがじつは好きであったので ヤマネコの気持ちがよーくわかるのだった。
数ヶ月経ったある日に行方不明のファゼーロがヒョッコリと帰ってきた。
驚くキューストは、ファゼーロにいろいろ質問した。
どこで何をしていたのかと。
ファゼーロはセンダート市まで逃げていきそこでなめし皮の工場で皮加工の技術を習得していたのだった。
そうして帰ってきたファゼーロらを中心にみんなで、ヤマネコの残した工場で皮製品や、ハムを作ろうということになった。
新しい若者達の労働組合 の始まりだった。皆が楽しく働いた。若者らの仕事は徐々に軌道にのっっていった。
本当のポラーノ広場ができそうだった。
ヤマネコ博士の動向はあやふやで変なものばかりであった。博士自身は破産したと言っていたが、センダートで 土地を買い集めているともいわれている。
ヤマネコを捕獲して売っていたことから、ヤマネコ博士と言う名前が付いたとも。
フランスのヌーヴェルヴァーグの旗手である映画監督の二人である。ふたりの映像と肉声が聞けるのが楽しみだ。
「勝手にしやがれ」とか、「気狂いピエロ」などの映画で、世界的に有名になったゴダール監督。それ以来何でもかんでもゴダールといえば、いっぱしの文化人だと思われるのである。
ゴダールを知ってないなんてはずかしい。教養人から外される。スッポコもそう思っていた一人だ。随分と以前に、これらの映画を見たが、ベルモントの演技が、やたらヤニ臭くて困った記憶あり。女は、やたらショートカットでさっぱりしすぎていて、ふたりの無理矢理感はひどい。。気狂いピエロの筋は覚えていないが、つまらなかったことだけは記憶にある。何か本当にチグハグなのである。
トリュフォーは、自身の映画より、スピルバーグの「未知との遭遇」で、宇宙人と交信する博士の役で出演したことで、その名を知られたといっても過言ではない。勿論フランスでは有名であったが、トリュフォーって誰だろうという訳だ。
「大人はわかってくれない」の監督である。これは伝説的な凄い映画でね。スッポコはこの映画を見て
本当におどろいた。だから、トリュフォーに軍配をあげてしまうんだな。
この人はつまり、ある意味天才と言える人だろう。なるほどだ。
ゴダールのように世界的な名声は持てなかったのだが、トリュフォーはコツコツと自分の映画を手作りしていった。
トリュフォー監督は、実は貧しく大学なども出ていないし、犯罪に手をかけて、二度もムショ入りを果たし、青春は真黒い時間を過ごした。しかしそれが返って幸したとも言えるだろう。
人生の底辺を経験し、そこから一歩一歩はいあがってきたのだ。彼には映画という光りがあったから、
やり直すことができた。
ゴダールは、裕福な良家の出で、外車に乗ったり大学に行ったりと余裕のある生活をしていた。
人間的には悪人ではないだろうが、ゴダールは政治に興味を持ち映画に対する見方が、トリュフォーとは違うはずだ。
ゴダールは、井上陽水に顔が似ていた。さすが良家のお坊ちゃんだ。
良家のお坊ちゃんがわざと、不良ぶってカッコつけて見せる、といった無理矢理感がほころびを生んでしまうのだ。
ヌーヴェルヴァーグがうまくいかなくなり、映画の動員数がガタンと減った時期には、二人は手を組んで映画を守ろうとしたのだった。ゴダールは大学出で見聞が広く野心家であったとおもわれる。
この映画の中で、ゴダールは民主運動のようなことを言っていたが、とても本心とは思えない。金持ちは、ほぼ本心を言わないものだからだ。
最終的に、二人は決別してしまう。お互いに傷つけるような手紙を出し合った。まるで、ゴーギャンとゴッホでございます。
ゴーギャンの絵も今ひとつ分かりませんけどね。なんかカボチャの切り口のような絵ですよね。黄色くて、茶色っぽくて。
彼らの映画を観ていると、ヨーロッパの社会は高度にシステム化され、細分化の文化のように見える。
それらが彼らを締めつける。
ゴダールとトリュフォー。ただお互いを知り尽くした二人にとって、歯に絹をのせたようなヘツライ(フラッター)は必要ないものであっただろうことは確かだ。
大人はわかってくれないは1959年で、トリュフォー監督がまだ26歳の若いときであった。
映画では大成功を収めて意気揚々と映画の人生を運んでいたのだろう。
自由闊達、此れが彼の持ち味で、この「思春期」でもフランスの子供らの姿を生き生きと描いている。
かれはフランスを愛していたとよく分かる。フランスの子供たちの伸びやかな顔にそのことがかいてある。
場面は学校だ。教室ではモリエールの守銭奴を生徒らに暗唱させていた。
そこにはいろんな子供たちがいた。いかにも頭の悪そうな子がいて、先生の質問にもまともに答えられない。それどころか、質問の意味もわからないで、にやにやしているばかり。皆さんも、これらの表情に見覚えがあるだろう。
大人は誰もこんな馬鹿面をうまく隠して生きているのだなと、大人のずるさと子供の正直さの対比がうまいと思った。
フランス語で「オボロー、オボロー! 人殺しー」」と叫ぶ守銭奴、暴力をうけ金を盗まれたのだ。ドロボウとオボローが余りに似ている。なぜだろうと、おかしくなる。しかもこの章は、天井桟敷で使われたことばでもある。集金人が金を取られて叫ぶところだ。フランスでは皆がモリエールを復唱するのか。
そんな教室に変な子が転校して来る。ジュリアンという可愛い男の子だが、家もなく材木工場の中に勝手に家族と住んでいた。
彼の家は貧しく、ご飯を食べているかどうかもはっきりしなかった。学校では大抵無気力で、一人でいる事が多かった。彼は家庭に大きな問題を抱えていた。
何故か貧しい故か、ひどい虐待を受けアザだらけなのだった。彼は、ゲームセンターなどをふらついたが、金もないので、超つまらなかっただろう。お金のない時のゲームセンターは格別暗いものだから。
家族は警察に捕まり、ジュリアンは、一人になった。孤児院にでも行くのか。
主役に見えるパトリック少年も家庭に問題があった。父親が車イスで、パトリックが、いつも家事をしたり、父親のめんどうをみていたからだ。コーヒーを沸かし、朝ごはんを準備して、お弁当を作ってから学校に行くのだ。帰宅後は、お父さんの介護だ。
でも明るく屈託無く学校生活をおくっている。おもえば、かわいそうなことである。
ただ、子供目線で描かれているので、一向に苦労とも思っていないのだった。
変な幼児や赤ちゃんも出て来る。早熟過ぎてついて行けない。作り物かとおもえた。もしこんな幼児がいたら、いや、いるのかもしれないと思ったりもするが。
ノンビリと、こどものじかんはすぎてゆく。自分のことは自分の考えで通そうとする子供たちを見ているといじらしい。
かつては自分達もそうであったであろうからだ。
「子供たちは美しい。特にフランスの子供たちは、こんなにも美しく愛すべき存在です。」
監督はそう言いたかったに違いない。