スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

グリーンフィンガーズ 2001年

スッポコにとっては、特別待遇の映画だ。話が草花のことであるから。きっとうんと美しい花がいっぱい出てくるんだ。今度こそ騙されないぞ、と意気込んでいる。

刑務所に入った主人公は、仲間たちと花壇を作り、花を植える話。

実話にもとづいているとあって、おどろきだ。

きっかけは美しい花を咲かせる「においすみれ」のタネを刑務所の庭の片隅に蒔いたことがきっかけになった。

春になって、そこには美しい、青紫色のスミレが咲いた。それを見た主人公は、とても喜んだ。人生の復活を感じるのだった。

監獄の所長も花を見て閃いた。この囚人たちに花を植えさせようと。早速仕事をさせてみると、

春になってとても素敵な花壇ができたのだった。良かったね。そこに偶然にも有名なイングリッシュガーデンの先生がやって来た。そこが監獄ということは知らされずにやってきてしまい、美しい庭を見る。

ここはイギリス。女王陛下も庭づくりを推進している国だった。

いろいろなコンテストもあり、ガーデンの先生の推薦もあってコンテストに出られることになった。

大臣や記者が取材にやってきた。殺人者や強盗の作る庭として取り上げられるようになった。

この刑務所は、更生保護施設のようになっていて、塀もなく鍵もなく監視も緩やかであった。

そこで、ガーデニングをすることが、記事になって有名になっていった。

なんとか賞をとって、こんな囚人人生とはおさらばしたい。皆がそう考えるようになっていった。

コンテストでは自然の草花を配した庭にすることに決め、とりわけ自然観のある庭になった。

しかし派手な見栄えのする庭の方が当然優勝するのであるからしかたのないことだった。

推薦したガーデンの先生は、これらの賞は全て嘘っぱちだと言って舌打ちする。

囚人たちの庭は素晴らしかったのに優勝から外されたと憤慨するのだった。

アカデミー賞などもこんな決まり方するんだろうなあ。忖度忖度。

 

 

さて、賞の行方は!皆が見守る中、どの賞にも入らなかったのだ。残念がる囚人たち。

 

しかしなぜか、女王陛下のお呼びがかかった。あの者たちの庭が素晴らしいので、宮殿で会いたい、

とのお言葉があったのだった。

喜び、作業服のままで、中へと進んで行く彼らであった。

結構長い映画であった。イギリスの花々が美しく眩しく、うまく捉えていた方だった。

草花や庭といってもひどい映画もおおいだろうから。

ガーデンに必要なセンスと科学的知識、特に科学的な知識があると、さらに良いものができることを知った映画だった。

飯よりも庭が好きと言えるぐらいのスッポコである。いろいろな草花は、心をほぐしてくれる

立派なレメディである。

 

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帰ってきたヒットラー 2015年

コメディーっぽい感じで進んでいくが、終わりに近づくにつれて醜い人間の悲劇となっていく。

地下の塹壕からなぜか、現代にやってきたヒトラーは、まずトンチンカンなことを言って、周囲を驚かせる。テレビ、ネット、全てが見たことのないもにばかりだった。でもヒトラーヒトラーだった。堂々として意見を言い、皆がその言葉に感銘してしまう。ヒトラーには才があった。

彼を発掘したのはあるテレビのディレクターであった。彼はヒトラーをテレビに出して一儲けしようと思っていた。テレビ局にはいろいろな人が働いていた。ディレクターはいつもヘマばかりしていて

テレビ局はクビになるところだった。しかし彼を連れてきたとことで上司に褒められた。

上司はヒトラーを使ってテレビで一躍視聴率を稼いだ。テレビで、引っ張りだこになり、毎日彼がテレビにでない日はなかった。

皆がどういう演技で、このようにヒトラーにそっくりになれるのかと聞いた。

これは演技であると思ったからだ。ところが当の本人のヒトラーは全てが大真面目であった。

演技でもないし有名になりたいわけでもない。もうすでに大変有名だったからだ。

彼は自分を総督と呼んでほしいと頼み、皆が総督と呼んだ。

テレビ局は二つの勢力がありどちらも、トップでいたいのだった。

そのために2人はヒトラーを利用した。

ただ、最初にヒトラーを発見したディレクターは、ヒトラーはほんものの本人であることを知ったのだった。

ヒトラーは大悪人である。決して許されてはならないにんげんである。すぐに警察に届けなければといそいだ。

だがヒトラーと契約を結んだ映画の女社長はディレクターを、病院に通報して、鍵のかかった病棟のセルに閉じ込めてしまう。

これは明らかにバッドエンドとなった。人間の欲に飲み込まれた男は、かわいそうだった。

ネタは一個だけなのに結構長い映画であった。ヒトラーも、まるである日本の芸人にそっくりで、

 全てがなんとも言えない薄気味悪いケーキであった…。

まずヒトラーのことを気持ちの良い作品にするということ自体に無理も生じた。どういう風に作っても、難しい。ドイツ国民の反応がリアルに出ていたとこもあったが、いずれカットされた作り物である。ドイツ国民にとってヒトラーが罪を犯していなかったら、権力を掌握しただけのものであったら、許し、歓迎するとでもいうのだろうか。

権力を掌握した男は醜いブタだ。この映画でヒトラーが一段と嫌いになった。嫌いになれて良かった。

 

ヒトラー役の役者は少し大袈裟な演技が続き、だんだん飽きてくるので退屈だった。

ヒトラーは確かに人々を惹きつける強いカリスマ性がある。だが人間としては

あまりにも大きなまちがいを起こしてしまった。ドイツでは彼の著作のことを知らない子供たちが多いということもわかった。国が悪書として取り締まっているのか。

その強いカリスマ性と、彼の残した罪とは釣り合いが取れず、いつまでも宙ぶらりんのままである。

 

 

 

 

小説 眠れる美女 1961年 川端康成

老醜を恐れる江口という主人公。しかし川端康成の顔見ると何か普通とは違う。大きなギョロ目の痩せて筋張った顔。老人でもなく、若者でもなく最初から老醜ただよう、そのような感じがする。

その主人公が老醜と言う言葉を使うときふーんと思った。ノーベル賞のスットクホルムでも、日本人の自分を貫いたのである。袴の正装で、大きなギョロ目がさらに大きくなっているのだ。

かなり無理矢理な感じがただよう写真である。着ようと思えば、おしゃれのセンスは高く洗練された川端であるから、良い洋服をいくらでも作れたものだろうに、彼には既に自由が許されなかったのだろう。

ノーベル賞というのはある意味手枷足枷の道具であるらしい。

 

ある不思議な宿があって、そこには数人の老人たちが出入りしていると言うことであった。

その噂を聞いた江口もそこへ行ってみることにした。

とても珍しいことが行われているのであった。

その宿に入ると、女の子が全裸で眠っていて布団に寝かされているのである。そこに老人が添い寝すると言う趣向である。

どんなことをしてもその女の子は目をさまさないのであった。それで老人たちはその鍵のかけられた部屋で好き勝手なことをして朝まで楽しむのである。

果たしてこのようなことが法律でも許されているのであろうか、と江口は心に疑問を持った。

しかしその魔法のような誘惑に勝つことができなかった。江口はその部屋に入って入った。

そこには色白で健康そのものの10代の女の子がスヤスヤと寝息を立てて寝ている。

江口は手荒い事はせずに、静かに女の子の髪の毛を触ったり唇を指で擦ったりしてみるのであった。

そのような夜が何度かあって江口もこの宿の初心者ではなくなっていた。

この宿の案内人は歳のいった女であり、何かしら意味ありげな素知らぬそぶりで、いつも江口を

部屋に案内するのであった。

よく眠っておりますから何卒かわいがってやってください。そんなようなこと言って下がるのである。

女の子はばったんばったん寝返りをうったりするものの一向に目をさまさない。強い眠り薬を飲まされている可能性があった。江口は眠りにつくときはその若い女の子の体を抱いて眠るのであった。

康成の女の子の描き方はすべて正確であり、女の匂いにむせる江口の気持ちもわかるのである。所詮女の子というものはそのようなものだ。

女将に江口が何か詳しいことを聞こうとすると気持ちの悪い顔になって何も答えてはくれないのであった。

まして女の子の歳やら素性やらは全くわからないのであった。

江口は特別に部屋に眠っている女の子は毎回違った女の子であって、年老いた老人にとっては、心からワクワクしたり心が華やいでいくのであった。

このようなことを繰り返しているうちに江口が関わった女の子が冷たくなっていた。これは確かに

死んだ者の冷たさであった。慌てて女将を呼んだが、何事もなかったように女将はその子運び出し、

何事もなかったように平静を装のであった。

 読者は多分これは眠っているのは演技であり、本当は女の子たちは全員目が覚めていたのではないかと言うことである。老人たちが自分たちにやっている所業を全て見ている。そんな気がして、

どんでん返しになるのではないかとヒヤヒヤして読んでいくことになる。

しかしどんでん返しはなくただ女の子たちは本当に眠っていると言う設定になっておわりだ。

一緒に寝ていた女の子が死んだことによりこの話も終わりになるのである。

 

睡眠薬が常に登場するこの小説にはその後1972年昭和47年に川端康成自身が亡くなることへの予兆を強く感じるものである。 享年73さいであり、この歳は男にとって、それこそ越すに越せれぬ大峠なのであろう。

 

 

眠れる美女 (新潮文庫)

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責めず 比べず 思い出さず 高田明和著 2011ねん

ここ最近、ずっと般若心経の解説本を探していた。ほとんどの本が、グタグタと、長〜い解説で、ページ数を稼いだようなものばかりであった。これでは全然要点さえも意味不明であった。

しかし、確かにちゃんと親切に説明された本を読んだ記憶があった。

一か八か、過去に読んだ。高田の本を読んでみた。

うん、そうだ、これだったのか。くわしく、わかりやすい解説がついていた。

ただ、内容は結構きつく、心に響くものだ。

座禅の呼吸法なども図に載っているが、どうもづっポコには向いていなくて、歩く座禅なる、ものの方がフィットするのだった。それは「夫の存在が妻の寿命を縮めている」という題名の本に載っていて、実行すれば、私のような暗示にかかりやすい人には大きな治癒をもたらす。

いや、絶大な治癒をもたらしてくれる。

責めず比べずにも、呼吸法は詳しく載っているが。どれが良いかは個人で決めることだ。

観音教としては延命十句観音教というものをあげている。観音教普門品偈は、それでも長いからというわけで。

 

最後のポーズで、自ら合掌してしまい自然に南無阿弥陀仏と感謝の言葉が出てくるので、本当に面白くて楽しいものだった。

お経の意味を忘れてしまう私は、この「責めず、比べず、思い出さず」を買って、見ながら、般若心経を心で噛み砕くことにしたのだった。

 

責めず、比べず、思い出さず―禅と大脳生理学に学ぶ知恵

責めず、比べず、思い出さず―禅と大脳生理学に学ぶ知恵