スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

聖者の行進 TV ドラマ いしだ壱成主演 1998年

知能障害者達の働いている工場のものがたりである。石田は、永遠(トワ)というなまえの青年で、いつでも、三匹の子豚の物語を好み、特に、ウーが大好きな青年であった。ウーは、強くて賢くて、我慢強い子豚であったからだ。永遠はいつでもウーのことを考えていたのであった。辛いとき苦しいとき困った時は、いつもウーことを考えて頑張っていた。そんな永遠のことを弟は嫌っていた。トワさえいなかったら、自分は学校でからかわれたりもせず、楽になるからであった。

つまり工場の寮に住んで働いている青年や娘は皆んな、家族から捨てられたような人たちであった。

工場の社長はこの者たちをいじめたりしてうさを晴らしていた。 この者たちに対する暴力は日常的に行われますますひどくなっていったのであった。永遠たちはそれをなんとかしようとするのだが、悲しいかな、健常者ではない彼らにはどうすることもできなかった。そんな中で事件が起こる。

社長の命令を受けて青年の1人が殺人を犯してしまうのだった。

そんなことは知らない学校の教師の酒井法子が彼らに楽器を教えて聖者の行進と言う曲をみんなで弾けれるように指導していた。酒井法子が学校の先生と言うだけで、吹き出しそうになる。地味なパンツスーツを着て小脇に、本など抱えて歩く姿はあまりにも現実と違いすぎるだろう。彼女はこの頃から顔色が冴えず、気のせいか何か思い詰めたように見えるのである。きっと例のことを考えていたのだろうと思う。やりたい役、自分に合う役というのが見つからずもやっていたのかもしれない。いい子ちゃんぶってもごまかせないものもある。

広末涼子が市長の娘役で出て不良な娘で反抗していたが、本当はこの役をのりピーがするべきではなかったのか。だから、先生の役は広末涼子がすればもっと面白く場面が引き締まったと思う。やはり彼女は生き生きとした演技が得意であった。

そんな中、雛形あきこは 社長に暴行されて、妊娠してしまう。

周囲の人たちもだんだんとこのひどいいじめや虐待に気づいてくる。特に酒井先生が色々と調整をして弁護士に相談をするようになる。

そしてとうとう裁判となっていくのであった。永遠も証人として出廷し社長と対決していった。

裁判所からも知能障害者たちの話している事は全く明らかではないと思われてしまい、明らかな証拠として認められなかったのである。

特に虐待を目撃した日時等を話す時に、彼らは戸惑ってしまい日にち等はしゃべれないのであった。これでは、はっきりとした証拠にならないと言って却下されてしまう。雛形が妊娠した事も、雛形が喜んで社長に応じたことであると言うふうに判断されてしまった。

工場の青年の1人が社長に対しての怒りを爆発させ、社長を刺してしまう。

そして油を撒いて工場に火をつける。大火事となった工場の中の人達を救おうとして、

永遠などが火の中に飛び込んでいく。燃え盛る火の中で永遠は社長の横に座り工場が燃え落ちていくのをぼんやりと見ているのだった。

だが本当に苦しんでいたのはこの悪い社長であったと言うことが明らかになっていくのである。

社長は家族に愛されることがなく親にも愛されず辛い人生を生きてきたのである。

社長は人生をもうやり直すことはできないと諦めて死ぬ覚悟である。自分の人生は辛い辛いものであったと社長は語る。永遠はそれを優しく優しく手を握りしめて諭すのであった。

人は死んだ後は丸い丸い大きな輪の中でみんな一緒に暮らすんだよ。喧嘩もないしみんな仲良くするんよというのだった。そんな永遠の言葉に社長は耳を傾け最後を迎えたのだ。

火はますます燃え盛り、全てが燃え尽きていったのだった。外にいる人々は中の者たちは皆死んでしまったと思った。永遠も死んでしまった。社長さんも死んだ。悲しみが皆を包むだけであった。

火事がおさまった次の日皆がまた工場にやってきた。全てが燃え尽きていた。

ところがマンホールの中で永遠は生きていたのだった。それは社長がかれをマンホールの地下にいれて助けたのだった。

あーよかった。永遠は生きていたのだ。

皆はなぜ社長もマンホールの中に入らなかったのかと不思議がった。

 

チャリティーの演奏会が催され舞台の上で永遠達が聖者の行進を演奏するのであった。

また、焼け跡に、新しい工場が立てられて、障害者の子供たちが働ける場所ができたのであった。

 

コレはずいぶん前のテレビドラマであったのだがこの題名は頭の片隅に残っていた。だが1度も

見る事はなしに過ぎてしまった。 20年位前と言えば子育てとかいろいろなことでバタバタする毎日であり、スッポコはテレビドラマなど、どれ一つも見たことがなかった。ただひたすら動き気がついたらいつも朝になっていた。と言うわけで今回初めてこのドラマを見てアホらしいと思いながら感動しまくっていた。

 

 

聖者の行進 DVD-BOX

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ロック・ザ ・カスバ 2015年 ビル マーリー主演

あらすじでは 楽しく ワクワクするものだと思えたのだが   以外と イランとか イスラム教とかが絡んで

難しい解釈になっていた。かみ砕く様な脚本がなくては スッポコの様に 政治や情勢に疎い者には、チンプンカンになってしまう。

女は舞台では歌ってはならないと言う頑固な常識のはびこった地域では、歌の好きな女は、そっと隠れて歌っていた。

テレビでうたのコンテストもあったが、なにしろテレビもまだまだ浸透していなかった。

ミュージックのプロデユーサーであるビルマーリーは周囲から隠れて歌を歌う女を見つける。

とても、エキゾチックな歌声に、驚くのだった。この声は皆を魅了すると確信を持ったビルは、このおんなを、テレビのコンテストに出して有名にしようと考えた。

だが、宗教が阻んでくる。民衆もそんなことは許さない。女が舞台の上で歌うなど、空恐ろしいことだとおもわれるのだった。

時代遅れ、文化と宗教の差が強すぎて、理解できないものだった。

 

まあそんな話で、ちょっと想像と違ってたってわけでした。

 

 

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石がいっぱい

今更ながら石ってすごいね。硬くって、重くて、ちょっとやそっとじゃ動かせない存在である。

石でできたお地蔵さんは、たぶん江戸時代ごろからずっとそこに立っているんだ。

ほぼ大人の背丈ぐらいはあるが、坐しているのでどっしりとして安定感のあるものだ。

 

赤いヨド掛けをしているのはお地蔵さん自体が童子か童女であるからだと推測できるのだ。

嗚呼、哀れや、お地蔵様は大人のズル賢い知恵も持たず、長きにわたって、人々を眺めて来られたのだね。

 

子守のお婆さんに連れられて、よく、拝みに連れて行かれたものだ。ただ手をあわせて、頭を下げる。

 久々に、その前を通ったのだが、お地蔵様の顔は、まん丸だと思っていたのだが、なぜかやつれた

頬の少しこけた面長のお顔であったのだ。あれれー?という訳で、驚いてしまった。

4・5歳の頃の記憶では、何故かよく太ったおじさん顔だっただったのに、よほど長年ご苦労されたのかと、お気の毒になった。

 

今では街も変わってしまったし、純朴な人はもういない。すっぽこを、守ってくれた多くの腕、あれは、きっとお地蔵さんの光だったような記憶。

 

ただもう、妬みもなく、憎しみもなく、疑いもなく、野望もなく、そんな時間があったのだ。

お地蔵さんだけはきっと知っているんだね。

 

 

 

地蔵スタチュー

地蔵スタチュー

 

 

 

 

music アルバム 「In this approximately infinite universe 」by Yoko Ono

つまりこの二枚組の歌は、40年以上前のヨーコの作品だが、彼女が85歳になりに及んで、あたらしく出るんだろうな。まあお懐かしや。

人間が二枚組で、ヨーコの筆跡で、訳文がつづってある。

素敵なヴォーカル系の歌が次々と沢山続きます。少しだけ英語の勉強になったような気もするが、

ヨーコさんありがとうでした。中でも好きな曲は、Peter  the dealer  というのだが、周旋屋  ピーター という歌かな。でも周旋屋ってなにする人かなあと。ただ、走り回っている人?

あとは、まあなんでもありって感じで、圧倒されるだろう。まあ、お金持ちのお嬢様の歌っと言っても良いのだがそれを世の中に還元しようと、ヨーコはからだをはって、芸術にうちこんだのかもしれない。波乱万丈の人生と、あの独特の容貌である。しかし彼女はかなり日本人としてアメリカでくらしていたようだ。

いまでは、いいとこの日本のおばはんと言った趣だ。日本人であることに、ぶれない自信を持っているみたいに見えるが。

砂漠のスフィンクスのアルバムは、綺麗な歌が多い。意外な気もする。

あと前衛的と言われる、Flyは、難解というか、訳が分からないのでただ聴いているしかない。

 

 

無限の大宇宙(完全生産限定盤) [Analog]

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