知能障害者達の働いている工場のものがたりである。石田は、永遠(トワ)というなまえの青年で、いつでも、三匹の子豚の物語を好み、特に、ウーが大好きな青年であった。ウーは、強くて賢くて、我慢強い子豚であったからだ。永遠はいつでもウーのことを考えていたのであった。辛いとき苦しいとき困った時は、いつもウーことを考えて頑張っていた。そんな永遠のことを弟は嫌っていた。トワさえいなかったら、自分は学校でからかわれたりもせず、楽になるからであった。
つまり工場の寮に住んで働いている青年や娘は皆んな、家族から捨てられたような人たちであった。
工場の社長はこの者たちをいじめたりしてうさを晴らしていた。 この者たちに対する暴力は日常的に行われますますひどくなっていったのであった。永遠たちはそれをなんとかしようとするのだが、悲しいかな、健常者ではない彼らにはどうすることもできなかった。そんな中で事件が起こる。
社長の命令を受けて青年の1人が殺人を犯してしまうのだった。
そんなことは知らない学校の教師の酒井法子が彼らに楽器を教えて聖者の行進と言う曲をみんなで弾けれるように指導していた。酒井法子が学校の先生と言うだけで、吹き出しそうになる。地味なパンツスーツを着て小脇に、本など抱えて歩く姿はあまりにも現実と違いすぎるだろう。彼女はこの頃から顔色が冴えず、気のせいか何か思い詰めたように見えるのである。きっと例のことを考えていたのだろうと思う。やりたい役、自分に合う役というのが見つからずもやっていたのかもしれない。いい子ちゃんぶってもごまかせないものもある。
広末涼子が市長の娘役で出て不良な娘で反抗していたが、本当はこの役をのりピーがするべきではなかったのか。だから、先生の役は広末涼子がすればもっと面白く場面が引き締まったと思う。やはり彼女は生き生きとした演技が得意であった。
そんな中、雛形あきこは 社長に暴行されて、妊娠してしまう。
周囲の人たちもだんだんとこのひどいいじめや虐待に気づいてくる。特に酒井先生が色々と調整をして弁護士に相談をするようになる。
そしてとうとう裁判となっていくのであった。永遠も証人として出廷し社長と対決していった。
裁判所からも知能障害者たちの話している事は全く明らかではないと思われてしまい、明らかな証拠として認められなかったのである。
特に虐待を目撃した日時等を話す時に、彼らは戸惑ってしまい日にち等はしゃべれないのであった。これでは、はっきりとした証拠にならないと言って却下されてしまう。雛形が妊娠した事も、雛形が喜んで社長に応じたことであると言うふうに判断されてしまった。
工場の青年の1人が社長に対しての怒りを爆発させ、社長を刺してしまう。
そして油を撒いて工場に火をつける。大火事となった工場の中の人達を救おうとして、
永遠などが火の中に飛び込んでいく。燃え盛る火の中で永遠は社長の横に座り工場が燃え落ちていくのをぼんやりと見ているのだった。
だが本当に苦しんでいたのはこの悪い社長であったと言うことが明らかになっていくのである。
社長は家族に愛されることがなく親にも愛されず辛い人生を生きてきたのである。
社長は人生をもうやり直すことはできないと諦めて死ぬ覚悟である。自分の人生は辛い辛いものであったと社長は語る。永遠はそれを優しく優しく手を握りしめて諭すのであった。
人は死んだ後は丸い丸い大きな輪の中でみんな一緒に暮らすんだよ。喧嘩もないしみんな仲良くするんよというのだった。そんな永遠の言葉に社長は耳を傾け最後を迎えたのだ。
火はますます燃え盛り、全てが燃え尽きていったのだった。外にいる人々は中の者たちは皆死んでしまったと思った。永遠も死んでしまった。社長さんも死んだ。悲しみが皆を包むだけであった。
火事がおさまった次の日皆がまた工場にやってきた。全てが燃え尽きていた。
ところがマンホールの中で永遠は生きていたのだった。それは社長がかれをマンホールの地下にいれて助けたのだった。
あーよかった。永遠は生きていたのだ。
皆はなぜ社長もマンホールの中に入らなかったのかと不思議がった。
チャリティーの演奏会が催され舞台の上で永遠達が聖者の行進を演奏するのであった。
また、焼け跡に、新しい工場が立てられて、障害者の子供たちが働ける場所ができたのであった。
コレはずいぶん前のテレビドラマであったのだがこの題名は頭の片隅に残っていた。だが1度も
見る事はなしに過ぎてしまった。 20年位前と言えば子育てとかいろいろなことでバタバタする毎日であり、スッポコはテレビドラマなど、どれ一つも見たことがなかった。ただひたすら動き気がついたらいつも朝になっていた。と言うわけで今回初めてこのドラマを見てアホらしいと思いながら感動しまくっていた。