スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

人間はなんで生きるか トルストイ1885年

天使が出てくる問題作と見た。ただメッチャ面白い。

ある貧しい靴屋がいて、あるひお金を持って街に行く用事があった。街でも商売はうまくいかず、寒いので酒を喰らってしまった。お金はもう無い。きっとおかみさんが激しく怒るだろう。そんなことを考えながらとぼとぼ帰る男。町外れの教会の横を通った時、ふと、目をやると、なんと丸裸の男が雪の上に座って震えていた。

驚いた男は彼に自分の上着をかけてやり、家に連れて帰ってしまった。

なぜなら、彼の顔を見た時、体も胸も、ポーッと火がついたように暖かくなったからであった。自分でも不思議であった。

さあ、おかみさんはかんかんに怒ってしまった。お金は酒に消えてしまうし、変な見ず知らずの男を連れて帰るし、たった一枚の冬着も若い男に着させる始末をみては、あきれて声もでないのだった。

パンを買うお金もないほど貧しいのにどうやってこれから冬を越して行くのか。そう言いながら、なけなしパンを皆で分けて、若者にもパンを分け与えたおかみさんであった。

そのとき、男がおかみさんに向かって微笑んだのだ。その微笑みを見たおかみさんは、なぜかとてもウキウキとしてしまいソワソワとして心がしあわせに満ち溢れるのをかんじたのだった。この歓びは格別なものだと思ったおかみさんは、若者を家に置くことにした。

主人が靴作りを教えると、若者は難なく覚えて、立派な靴をつくるのだった。それが評判になって、靴屋にたくさんのお客が来るようになり、店は繁盛した。

彼はなぜだかも客の死ぬ日まで予知するのだった。全く不思議なやつだ。と靴屋の主人は考えた。一体あの教会のそばで、裸でなぜ転んでいたのか、今更ながら不思議であった。

しかもあいつが来てから、急に暮し向きも楽になって来た。あいつはいったい何者なんだろう。

だがにっこりと微笑む顔を見ると、今日も何も聞けないのだった。

だが突然に正体がわかるときがきたのだった。

 

 

 

 

 

 

人は何で生きるか (トルストイの散歩道)

人は何で生きるか (トルストイの散歩道)

 

 

 

 

 

 

 

 

イワンのばか 1886年 トルストイ作

だからさ、ロシアの文豪トルストイよ。復活だの、アンナカレーニナだとと、善人ぶっていたのでは、いつまでたっても本当の芸術家にはなれないとおもったのか。

イワンは農夫であり木こりであり、家畜もかっていた。いつも土にまみれ肥料にまみれて暮らしていた。二人の兄達は土仕事を嫌って、それぞれ軍人と商人になって、妻をもらい、派手な生活を好んだ。そして臭い匂いのするイワンを馬鹿にしていた。

ある日小悪魔がきて、イワンをだまそうとする。イワンは知らん顔してどんどん仕事をして、悪魔ををおどろかした。どんなに悪さをしても驚かず、どんどん仕事をしていくので、あきれていた。

大魔王さまに合わす顔がなかった。

イワンは愚鈍であったのか、ただ単に働き者であった。

イワンは、王様になって、正直な農民を治めた。

戦争が起こりイワンの国にも軍隊が押し寄せてきた。強奪、殺戮が繰り返されたが、馬鹿なイワンのばかな国民は、家を焼かれたり家畜を殺されたり、家族が殺されてもただ泣きわめくばかりで、復讐したり武器を持って戦うことはないのだった。ここでも悪魔の計画は、イワンの前では意味がなくなってしまった。

またまた親分に合わす顔がなかった。

 

ところが、また悪魔がきて今度は金貨を配り出すのだった。

イワンの国の国民は、イワン同様バカばかりであった。だから金貨を見てもただジャラジャラと子供のおもちゃにして遊ばせるのだった。何に使うのかも知らないのだった。

カンカンに怒った悪魔は、高い演台に登り演説を始める。お前らはバカだ。これではしあわせになれない。

「頭を使って働かねばお前らは皆不幸になるばかりじゃ。」

「ワシらはバカなので、頭を使うなど出来ません。どうか頭を使って働くことを実際にして見せてくだされ」

そうして悪魔はは頭を働かし、はげしくふりまわし、とうとう高い演題から転げ落ちて死んでしまった。バカに理屈を説明できずバカ達に押し込められた悪魔であった。

「神のご加護あれ、アーメン、」誰かが、そう唱えると悪魔は二度と現れることはなかった。

イワン達は安らかに暮らすのだった。

 

 

イワンのばか (岩波少年文庫)

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トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

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悪魔はこんどは金貨を出して

大統領の料理人 2012年

コレは、ドタバタ劇か、料理映画か、サッパリわからんちんの映画でした。

エリゼ宮殿で仏大統領の料理番に抜擢された女の話だが、この女は、エリゼ宮に長くはいなっかった。

宮殿の栄養士や、執事などにゴタゴタ言われたりして、思ったようにならないことが多くて、辞職してしまう。

そして南極に渡り南極の基地の料理番になる。不思議ちゃんである。南極の基地でこんな地の果ての野党どものために一生懸命に料理して喜ばれる。がここでも何かよく分からない違和感で主人公の行動がみたされている。なんの行動かなんのための行動かはっきりせず、ただもごもご動く主人公だ。

きっと、女優にもわかっていなかったと思う。

 

だがこの南極もオタサーの姫にはすでに辞職の時となっていた。なんですぐ辞めちゃうのん?理由もわからないまま、映画は勝手に進んで行くので、厄介だ。

エリゼと南極と二つの場所を行き来する画像がウザイ。まとまりが無い。頭悪すぎ。

何も作ってない感があふれすぎている。

一つの料理を丁寧に、つくって行く過程が抜けているので、何を作っているのか、分からなくなるのだ。どこどこ産のアスパラガスとチヂミキャベツと、どこだか産のバルサミコを、とか言ってたな。ばきゃやろう、観客の目をなめているのかい。どうせフランス料理などわからないと思って。

いつも何か作っているようで、なにも完成しない料理ばかり。

料理の香りも味も伝わらない料理に驚くばかり。フランス料理ってこんなに気合のはいってないものなの?よくわからない。

この女、いかさまコックか。映画の中心となるであろう料理長や他のコック達との争いも描かれていない。色々な点であてがはずれてとまどうスッポコ。

そればかりか、広いエリゼ宮殿のどの辺りで料理作ってるのかとか、部屋の立ち位置とかも何も分からないので、なぜこのような小さな部屋で、こってんこってんパイなど焼いて、どこに持って行くのか、おやつか朝食か昼食かってなところだ。なにもわからずじまい。主役が何をしているのか意味も目的も見失った作品かと思われる。

料理する者は、まず、目が座っているものだ。じっと完成までの行程をシュミレーションして、完璧を期すために、息を凝らして集中している。舌に神経を集中している。食材の色を見極めるためにまばたきもしないとおもうが。この女、ヘロヘロしておしゃべりばかりで、きびきび動こうともしない。こんなトロトロしていたら、食材もも腐ってしまうわ。

 

大統領は、ミッテランに仕えたというこれは実話らしいが、ほんとうはもっと軍人みたいな女だったんとちゃうの?そうでなければ、宮殿の料理などできまい。大統領の来賓たちを素敵な料理でもてなすことも大切な仕事だから、うかうかしてはいられないはず。

なのに、常にウカウカしているようにみえる映画でした。ツラかったあー。

主人公の女は、まず中年の女だが見栄えが良くないんだ。この女優さんには本当に悪いのだが、見栄えが良くない。

口が避けたように見えるのはどういうことだ?うん?

口裂け女か?この人には本当に悪いのだが、口裂け女に見えて仕方のない映画。

低予算、逃げ腰、やる気ないのにアカデミー賞ねらってる。ヘンテコリンでバラバラのジグソーパズル。ポンポコピー

 

 

大統領の料理人 [DVD]

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クロワッサンで朝食を 2012年 エストニア フランス ベルギー 製作 ジャンヌモロー主演

ジャンヌ モロー主演の映画だが、監督はエストニアの人らしい。久々に見たジャンヌは、既に85歳の高齢で現在は89歳にもなっている。老体を隠すわけでもなく、しかしエレガントなガウンや、洋服をまとい未だに女王然とした風格を保ちこの映画に貢献した。ジャンヌは、ピエールカルダンの恋人だった人で、ファッションには、とりわけ敏感で、ファッションと人生が、一つになったような老女になっていた。アクセサリーもかっこいいし、外出用のバッグもカッコ良すぎる。アクセなどあのようにいやみなく身につけれる人は、世界中にもめったにいませんよ。王族にしたってね。

それに太った腹やお尻などを無理やり隠していないところがすごいと思って見ていた。細い足の女優だったのになぁ。

顔はまるで、女ミックジャガーだよ。芸術を極めていくと、こんな顔になるという見本のようだよ。

 

実はこの映画は、わたしが紹介しているような長ったらしいものではない。

短編ぽい映画で手軽な感じのものだ。ジャンヌモローが出ていることが問題なのだ。

 

ある日、一人暮らしの老女ムラのところにお手伝いさんアンナがやってくる。老女ムラはプライドの塊で傲慢でいつもお手伝いさんを困らせては辞めさせていた。

 アンナは、この老女が、孤独であることが気になった。誰とでも喧嘩してしまうムラ。

ある日、アンナがカフェにムラを久しぶりに連れ出して、楽しませようとしたのだが、カフェのオーナーに冷たくされて、じゃまものあつかいにされてしまう。それを悟ったムラは自分からカフェを出て行く。

アンナの計画は失敗してしまう。 結局ムラは既に過去の人であった。このカフェはムラの昔の恋人のカフェであった。ムラが昔資金を出して作ってやったものだった。いまでは店の客層も変わりムラのいる場所はなくなっていた。

孤独な老人、死ぬのを待つばかりなのか。こんな人生ってあるのか。

アンナは、ムラの昔の友人達をアパートに呼んだ。だがやはり、大げんかになり、友情は決裂してしまう。ここで、すこしわかったのはムラは故郷のリトアニアの仲間の間では有名な人物だったらしいことだ。歌手?かなにかだ。

この友人の中になにかすごい女優さんがいたが、こういう人がヒョッコリ損得抜きで出てくる映画ですよ。すごいわ。

さて、老女のとても耐えられるはずもない深刻な孤独。友達もいない、旦那も子供もいない。

まじ、これはわたしスッポコの未来の姿ではないか。私も利己的で疑い深く人間嫌いで冷たい人間だと思われていると思う。誰もスッポコに寄り付かない。でも、ついつい割り切ってしまう。ムラとおんなじだ。でもこういう老人て意外とポピュラーかもね。多いんだよ、きっと。

邪険にしたカフェのオーナーは格好の良い男で昔のムラの若いツバメだった。別れた今でも、本当はムラの高齢を気にしていた。彼なりの愛情であろう。

定期的に彼女のアパートを訪れ、アンナを紹介したのも結局彼であった。

ムラもう一人では、上手にくらせないほど高齢になっていたからだ。

 

しかしアンナは、ムラの孤独を埋めようとして何度も失敗してしまった。その結果、手伝いを辞めて、このアパート出ることに決めたのだった。夜明けに、エッフェル塔を見て、クロワッサンを頬張るアンナは、パリの街や、ムラのことがなぜだかとめどなく思い出されてくるのだった。

クロワッサンは多分元気が出る食べ物なんだろうね。パリとは切ってもきれない。これが言いたかったんかい。

ムラは、やはり利己的で冷たい人間であったのだろうか。

いやそうではないだろう。

ムラは、行き場もなくて、再び帰ってきたアンナを暖かく迎え入れたのであった。

老女はアンナがカフェのオーナーとできてしまっている事をもう既に知っていた。そんなことが、わからないような鈍感な女ではない。ムラはアンナを受け入れた。

自分よりも若い者たちに二歩も三歩も譲ったのであった。

これは老人の弱音ではない。老女の精一杯の愛情と知恵であった。

もともとジャンヌモローは死刑台のエレベーターなど冷たいクールな女を演じてきた。

見ていても本当に利己的な女と言う印象が強いのである。

これは女にとってはある意味とても損な役である。彼女はそんな、嫌な人格の役に常に抜擢され長い間ずっとそれを演じてきた。彼女の容姿からそう見えるのも否めない。誤解された真実が今になって花を咲かせたのであろう。

見事な大輪の花である。

今までスポコもジャンヌの事をずっと誤解をしてきた。

この映画のように、世間の人々がムラのことを冷たい人間としか認識できなかったように。

ジャンヌモローは、なんと利己的で嫌味な女だろう。しかしこれは彼女の仮の、職業上の姿であったのだということが、初めてわかった次第である。

ジャンヌは、長年、この風評に悩み耐えて生き抜いてきたのかもしれないではないか。

この世紀の大女優(有名人という意味)がである。

彼女はトリュフォー監督とも友人であり、映画を撮っている。