スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

津軽百年食堂 2011年

青森の津軽の街は、青森の中心から、日本海寄りの街である。弘前駅から降りて、さらに、北西へ行くのである。

そんな遠くから東京に出て来て働く大森陽一は、ちゃんと就職するでもなくバルーン作家、プレイヤーとしてイベントからイベントへ出て暮らす日々であった。

郷里では、代々続く食堂が彼の実家であった。

昔、ひいじいさんが苦労して店を開いた。そこの蕎麦は美味いと評判になり、秘伝の出汁が売りであった。誰にも教えられない企業秘密の出汁であった。

 

父が事故で入院し、更に、おばあちゃんが亡くなってしまう。

郷里に帰って来た彼は、なにも変わっていない食堂の様子に驚く。蕎麦の打ち方が違うから、コシも違ってくる。「こんなんじゃあ、店に  だせねえな」と言う父。

「たかがこれっぽっちの食堂じゃないか」と言う息子。

「なんだと、もう一度言ってみろ!!」激おこの父はこぶしを震わせて奥に入っていった。

 

これっぽっちの店が、実は一番大切なんだと、思っている父親であった。

心を込めて蕎麦を打つ。丼を作る。その繰り返しが、たるんでいては出来ないのであるから。

 

一号店は倉庫になっていて、ひいおじいさんが引いていた蕎麦の屋台が入れてあった。

 

それを引っ張り出して、桜祭りの広場へ持って言った。自分で打ったそばと、自分で煮た出汁とで、

何百食も売れたのだった。

おかげで蕎麦は完売。

 

入院中の父もその朗報に、本心では喜んでいたが、まだ説教をするのだった。

食堂を継ぐ意志もないまま実家にいたが、小さい時からここでそば打ちを手伝って来た彼にとって、

やはり、体にピンとくるものがあった。

 

蕎麦屋といっても、カレーも、丼もある 、ありきたりの食堂であった。見た目も冴えない見落としてしまいそうな食堂であったが、その気取らない貧相な佇まいが 実は、人気の秘密であったのやもしれない。

だが、百年続いた歴史には、やはりそれだけのものがあった。津軽の人々の暮らしがそこにはあった。

 

ついに、父との確執を乗り越えて、この食堂を継ぐと決めて、この映画も終わりになる。

 

オリエンタルラジオの二人が、それぞれ、曾祖父さんと、4代目の息子とを   とても自然に演じているのがいいかも。

 

 

津軽百年食堂

津軽百年食堂

 

 



 

 

 

自分のうつを薬なしで治した脳科学医 九つの考え方 2017年

どちらかよいうと、高田の著書の中では、少し軽い感じのものであった。

海外から帰った後、自信をなくし、深いうつの状態に陥る。

医者である彼のこと、薬を試したり、精神科にすがったりと、やってみたものの、一向に回復せずにいた。

そんな時、般若心経のお経を唱えることを取り入れた治療法を自らやることになる。

精神的には、最悪の状態であっただろう。

 

うつ病とは、愛がなくなる病気であるといっている。愛することも、また逆に愛も受けいれることもできなくなり、カラカラの棒切れのように、心ががやせおとろえてゆくのだろう。

周囲や家族は、愛情や慈しみで、病人を保護し、優しく扱っているつもりでも、本人にはそれが通じないのである、愛の受容体を失っているからである。

うむ、これは、手も足も出ませんね。

 

周囲が困り果てるのも、わかります。無理矢理に薬を飲ませても、効果はそれほど期待できず、泥沼に入ってしまうのです。治療は当初から困難を擁し、難しいものだと彼は言っています。薬さえ飲めば治るというような簡単なものではないのですから。

 

これらのことを踏まえて、高田は、経を唱え、写経していった。

そうするうちに、なぜか、治癒していったのだそうだ。

フームそうなのであろうか。実際、彼は、現在も経を唱え感謝の日々を過ごしているそうだ。

 

わてが心に残ったのは、中国の諸氏百家の一人   墨子の言葉である。荀子の言葉もある。

高田はこれらを載せてくれていた。

 

キリ(錐)は一番鋭いものから折れたりしてダメになる。

刀は、一番よく切れるものから、歯がこぼれダメになる。

木は一番まっすぐに高く伸びたものから切られて行く。

このように、才能に優れたものは、それ故に命を落としたり、失脚したりしやすいものだと、

言っている。才子  才におぼれるということだろう。

一番になろうとかは危ない考えでもあるのだ。

 

荀子孔子はこう言った。何もかもうまくいかない時がある。

そういったときこそ、じっと、待つのみだ。弟子らが急ごうとする中、

そうやって孔子は旅の途中の難儀な時を耐えて過ごし、無事に抜けだすことが出来たそうだ。

 

 

自分の「うつ」を薬なしで治した脳科学医 九つの考え方

自分の「うつ」を薬なしで治した脳科学医 九つの考え方

 

 

 

 

 

 

武曲 Mukoku 熊切 和嘉 監督 2017年 綾野 剛主演

綾野という名前は、とても芸名ぽいですね。

剣道で道を誤ってしまった主人公のストーリーです。

こういう暴力的な映画では、彼の演技が光りますね。   少年の頃から、父親にガンガンに、鍛えられて、恐ろしい修業を絶えずやらされてきた綾野であった。

何か剣道というものは一本気で、精神集中の極みのような感じがした。神聖な場という感じもある。

 

父親は口調も厳しく、酒に溺れるようになっても、減らず口だけは健在で、青年の綾野を挑発した。

父が酒に溺れたのは、何かがあって、酒に逃げた弱い人間だったかららしい。

そんな父を、青年は倒した。「本気でかかって来い!!」怒号のような命令だった。

 

結果、父親は、頭を打たれて、そのまま植物人間になってしまった。本当なら死んでいてもおかしくない状態であった。

その、トラウマが、ずっと綾野の頭から離れない。綾野も、毎日酒浸りとなり、真剣に剣道で向かう相手が、どうしても父の姿と重なって見えて、そのことで怯え、恐れ、竹刀が握れ無くなっていたのだ。

 

父から教え込まれた剣道は彼の血となり、天才的な腕前であったのに、酒に飲まれて、手も震え、ついに、アル中であった。

彼は、まだまともだった頃は高校の剣道部の指導もしていた。その頃の、恩師(柄本明)が心配して、彼を更生させようとする。

高校生の虹郎が剣道の天才的才能ありと見極めた柄本は、二人を対戦させようと試みる。

 

だが綾野は対戦を拒み、いつも逃げてしまうのだった。そしていつものように、酒を浴びるほど飲み、歩けないほどの状態になるのであった。

 

そこに、虹郎が来て、試合をすることになる。

虹郎が父親に見えて来て、怯えてしまう。死闘を繰り返す二人、そしてついに、竹刀で相手の喉をついたのだった。

虹郎は負傷して倒れてしまう。

綾野もじつは、胸を切られていたのだが。

 

その後、柄本によって、綾野は性根を入れられ、我に帰る。

「お前が刺したのは、父親ではなくて、この虹郎だ!」

自分が父の幻影に囚われていたことを悟り、正気になっていく綾野。

 

この映画では、父親とのトラウマが中心に描かれて、綾野が、その幻に操られて翻弄されて、人生を潰されて行く様子が描かれていて、本当に何処かにありそうな話だなと思った。

気の毒というかかわいそうな彼であった。

最後は更生し、人生を再生していくので、やっと、ホッとした感じになった。

男って大変!だすね。

 

 

武曲 MUKOKU

武曲 MUKOKU

 

 

 

 

 

 

 

キャタピラー 若松孝二監督 2010年

寺島しのぶが主演で、結構宣伝されたが、結果はどうだったのか知りません。

戦争で手足をもがれ、胴体と頭だけ残した体で帰ってきた夫は、喉が焼けていて、口もきけないのだった。

夫は勲章をたくさんもらっていて、兵隊の模範だとして、「軍神さま」と、皆から呼ばれるようになる。

妻のしのぶは農業をしながら、今は夫の世話に明け暮れる。

口のきけない夫の言葉を察して、世話をするので、良妻の見本だと言われ、村人からもとても褒められるのだった。

しのぶには子供ができないということがあり、「役立たず」と言われ昔は夫から暴力を振るわれてきた。

だがその夫を世話をし、今では自分の意のままにできるという立場に立っていた。

 

夫はしのぶの体を強く求めた。

だがある日を境に、急に元気がなくなり、全てに無気力になったのだ。

それは、戦争中に女たちに強制してきた性的暴力を、なぜか思い出したからであった。

罪の意識で、苦しんでいたのだった。

そんなバカなである。自分も死ぬぐらいの怪我をして、今更、女をどうこうのと苦しむだろうか。

戦争中は当たり前に行われていたことだし、そんなセンシティブな男であったら、妻に暴力をふるうはずもなかったはずだ。

 

そして広島、長崎と原爆が落ちて、戦争は終わった。

だが夫の体が元に戻るわけではなく、こんな夫を、嘲笑っても、涙も枯れた  しのぶであった。

 

こんなことってあるだろうか。原爆の説明もくどくどしく、アホかいなと思ったが、若い世代にむけたものだろう。

宣伝した割に、なんか納得のいかぬ内容である。

ポルノの得意とする若松監督だが、ポルノにもなってはいないし、道徳的にするつもりであったかもしれないが、バランスが悪くなってしまったのだろう。

 

まあ、しのぶが脱いだ、しのぶを脱がせたと言う自慢話であろうか。