スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

夫の存在が妻の寿命を縮めている 高田明和 2015ねん

高田80歳の時の著書である。この人の本を、数年前によくよんでて、印象に残っていた。実践的な事が、いろいろ書いてあり、文章もとてもわかりやすいという長所がある。

般若心経の解説を読んだ記憶が一番記憶に残っている。ただ。もう忘れてしまったので、もう一度読もうとしたところこの本に出会った。出会う運命だったといってもよいだろう。

それほどこの本は良い事が書いてある様な気がする。

しかし小説とはちがって記憶に残らないのである。困ったちゃんである。

すっぽこはこの本の中の「身念処」という体操にとても興味を持った。

じっとしていられない多動な私にとって座禅はなかなかできない、不可能に近いものであった。

いつもバタバタと忙しく感じ、家の内外を動き回る日常生活において、座禅をしている暇があったら、一つでも家事を終わらせたい。草取りを終わらせたいと、いつもあせっているのである。

そのせいか、セールストークなどでものすごく丁寧に親切そうにゆったりと接して来る人に対しては詐欺ではないかと警戒してしまう。こんなのんびりした人間が存在するわけ無いと信じ込んでいるスッポコである。

この様なスッポコにとっては、仏壇に手を合わすのさえも落ち着いてできなかった。

だがこの体操は違う。

そして実に気持ちよく、座禅の様な気持ちにさせるのである。

最近、少し体を壊してどんよりと鬱の日が続いていたところであった。

いろいろな変化もあり周囲で、変わった現象があるなどとして、不審におもい、丁度ほぼまいにち般若心経をとなえるようになっていたスッポコであった。じつはスッポコの家では仏壇が、別の離れた家においてあり、毎日行けれないという事で、お経と戒名だけはあげておく事にしたのだった。

 

藁をも掴むきもちであった。この体操をやってみよう!とすぐに実践したわたし。

一人しかいない自分を大切にしよう、五体を与えられた事に感謝しようということである。

むさぼらず、人と比べず。座禅とは欲を忘れる事であろう。欲を手放して初めて裸の一人の人間として大地に立つ事ができるのだ。人より健康もマインドも劣るスッポコは、こういうことをしなければ、少しでも人並みになれないんだ。

また健康に、幸せに生きるには、どうするのがいいのか、男と女の違いなどなど宗教哲学と医科学に満ちた話がつづくのである。合掌。

 

夫の存在が妻の寿命を縮めている

夫の存在が妻の寿命を縮めている

 

 

 

 

精神科医が読み解く名作の中の病 岩波明著 2013年

またまた岩波医師の本だ。彼は医者でありながら、たくさんの本を読み、いつ何時そんな時間があったのかは知らないが、こんなにバンバン読めるものなのだろうか。

この中で 気になったのは、やはり、「ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャーの「ナイン  ストーリーズ」のシーモアという人物、  とアスペルガーを扱った「ミレニアム」、また、ドイツの文豪ヘッセの「クラインとワーグナー」 、日本でいえば、「雪国」の川端康成の「みずうみ」の異色性などである。

どれも、幸せにはなれない主人公であり、社会と共存できずに自滅して行くのである。

またヘッセについては、文豪という名の冠は余計なものであって、彼には似合わない。それほど彼は人生を突き詰めなんども挫折しながら小説を書いた。泥まみれの格闘中に、冠など邪魔なだけだ。

別に彼に肩入れをしてはいないのだが、「ヘッセがスッポコの父親に似ている。」という人があって、

少し反論したかったのだ。むぎわらぼうしの畑仕事のヘッセの写真は、多分スイスに引っ越してからのものだろうが、似てるっちゃにてるわ。

 

岩波先生は、こんなにたくさん本を読んで、私達にその概略を教えてくれている。

まあ、知らない作品、名前だけでスルーの作品がどんなものかよくわかって助かるね。

ただ、でも、なんか、虚しいよ。楽屋裏を覗いてしまったようで。

先生は、医者らしく、あまり多作にせずに、ゆったり構えていた方が、信用も出来るし、心にも残る。

儲けはあくせくしてもダメ、ゆっくりの歩調が財を連れてくる。もう少しゆっくりやろうよ。

 

精神科医が読み解く名作の中の病

精神科医が読み解く名作の中の病

 

 

 

 

映画 カフカ 変身 2002年

この古くて、新しい不思議な物語は、チェコプラハ生まれ(1883年)のカフカの短編である。

変身は彼が33歳の時に発刊されたのだが、他の「城」とかの作品は、死後に発表されたのだった。

41歳で死んでしまった彼は友人に原稿は焼くようにと遺言していた。しかし友人は焼かなかった。

この映画では初めから終わりまで人間が演じていて、ハリボテの虫などでて来ないのですが、説得力大である。

 

映画の冒頭から、ものすごい陰鬱な天気で、プラハの駅を通勤の中継点にしている彼は、駅から出て暗い雨の中を、歩かねばならなかった。雨がプラハの黒い石の上にザーザーと降り注ぐ夜。

ザムザは家計を支えるために働く青年であった。ただただ家と会社との往復の日々。会社ではイヤラシイ性格の支配人がいて息の詰まるような職場であったが年老いていく両親と妹のために必死で頑張っていた。このあたりのザムザではドストエフスキーの「二重人格」の主人公に似ていると思った。娯楽がないのだった。

彼は、多分、その動きから完璧主義の人間らしかった。

その夜の夢は怖く、支配人に追いかけられて追い詰められていく夢であった。

 

朝起きた彼は、身体が動かなくなっていた。手足が、虫のようにガチャガチャと忙しく動き、寝返りもできない状態であった。 その内、出勤の時間になったが、朝食に現れる様子もないため、両親は心配。  そこへ、支配人がわざわざ家にやってきた。支配人は、朝からザムザの営業成績が、最近下がっていると注意までするのだった。部屋に、いってみた人々は、ザムザの哀れ、発狂した姿を見たのだった。ザムザはその繊細な神経を保つことが出来ずに、発狂の道へと進んでしまった。

それは何かしら、でかい虫の一種になったのだった。自分から選んだ?とはいえ辛過ぎる状態であった。食物も人間の口にするものはダメで、腐った残飯を好む虫のザムザだった。

這って移動し、壁や天井でも張り付いて移動できるようになる。

ザムザが会社に行けれなくなったので、家計を支えるために、パパも妹も働きに出た。

ママは下宿屋をやって料理を出したりした。

家政婦は当然辞めたので、新しいがオニババのような年取った家政婦が来た。

その家政婦に突かれたりしていじめにあうザムザ。

とうとうザムザを見て下宿人も怖がって逃げてしまった。

 

「もうこの家は破滅だわ!」「お兄さんのせいで、何もかもダメになってしまう!もし私たちが大事ならば、お兄さんはこの家から出て行くべきよ!」

  優しかった妹もザムザを攻め立てる役になった。

「お兄ちゃんが音楽学校に行かせてやるからね」といった優しい兄であったのに。

 

家族から甚だしく嫌われて行き場をなくしたザムザであった。存在の意義もなくした。

今まで必死に働いて来たザムザであったのに。

ひどい社会。ひどい家族。ひどい人間の心。ひどい自己の矛盾。

色々な矛盾が虫の身から発散されるのだった。虫にでもならなければこの矛盾は我々のもとに届かないと言うことか。

シュールすぎて理解できない一方で、冷徹な常識を持つカフカの作品は今でも鉱物のごとく、輝きを放ち解明が急がれるのである。

 

 

変身 [DVD]

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発達障害 岩波明 著 2017年

「狂気という隣人」など、精神科医としてかなりの数の著作を持つ作家といっても良いくらいの人だ。

         

      今回は、「発達障害」というハッキリとしたシンプルな題名の作品である。

確かに、今までの中で、一番良い出来といってもいいだろう。全て読んだわけではないが。

ここでは、数人のじっさいに大罪を犯した「殺人者」を取り上げて、その人間たちが、発達障害であったかを検証していく。

だいたいにおいて、法廷や検察にとって、立証しやすいように警察の精神科医たちは診断を下し、判を押す?らしい。

ハッショウかどうかの診察は、実はけっこう難しそうだ。マニュアルがあるのでそれに当てはまるか見れば良いのだが。

小学生から高校生、成人と、比較的若い世代の人間が、どのような動機で殺人などという大それた事をやってしまったのか、また、その人間たちの育った環境はどのようであったかなどについて、調べてざっとであるが書いている。

 

罪を犯すまでは、普通の学生で、部活もこなし、クラスでも友達がいて、浮くこともない。

そんな生徒がある日突然豹変して人を殺すために住宅地をうろつく。学生服の中には、鈍器が潜んでいる。彼はそれをじっと握りしめて歩いて、殺す人間を物色したのだった。

ゾッとするくだりであった。

ただ此の子には発達障害的なものは当てはまらず、従って別の病的精神で事を起こしたのである、と

筆者はいっている。

 此の犯人の家は、実は古い旧家であり古くからの土地を持つ家であった。

これがどういう意味を持つかは、まあ、いろいろあるが、かなり目立つ家であり、住民の周知の家柄であり、従ってとても息苦しい環境であったと思われる。周囲からの目は些細なものでも、彼にとってはかなりの重荷となっていたとおもわれる。

それがどのように作用したのかは知らないが、酸性土壌には青い紫陽花が咲くようなものである。アルカリであれば、ピンクや赤の花となる。

そのように、下地が古くて厚ければ良い芽が育つのはとっても難しそう!

しかも母親は出ていっていなかったのだ。

友人らも家族の誰も彼の心に気づくものはいなかった。

明るい良い子だっっと祖父は述べている。それが、不思議な事である、とスッポコは思う。

 

次は生まれた環境が貧しくしかも職も長続きせず、薬を覚えて色々な店を点々とする男の話もあった、若い時から粗暴で横柄で態度が悪いので嫌われてしまうのだった。

ある寿司店の不採用の電話を受けて、唐突に人殺しをしていくのである。

なんか気の毒な気もする。

 

長崎の小学生の仲良しが、仲良しの友人をカッターで切り裂いた悪質な事件でも、犯人の子の家は、なぜか学友たちの住む住宅地から離れた場所にあり、とても辛い家庭環境で生活しており、敏感で気の優しい女子は常に、親から無視され父親からは殴られていた。バスケクラブに入ったり、チャットをしたりして寂しさを紛らしていたのだが、友人のふとした言葉で糸が切れた。絶望の地獄がパックリと口を開けたのだろうな。  

彼女も特別に発達障害というところはなかったのだった。

 

だいたいにおいて、発達障害の人が進んで、重大な犯罪をするというということは非常に稀であるという見方であった。

 

それどころか、ハッショウの人は日常生活においていろいろと難しい障害物競争をしているようで大変なのである。

 

家庭でも、会社でも、彼らは期待されることが、何故だか全くできないか、失敗をしでかしてしまうのである。立派な大学を出ていても、バカバカと言われる身だ。知能は高いのだが、生活の面では、赤ちゃんと同じ、イデオットなのである。

それはとても悲しい人間道である。

 

確かに発達障害の中には、衝動性が含まれるのであるが、それでもなお、筆者は医者の立場から見て、犯罪という領域に侵入してくる発達障害の人はほとんど見られないという立場を取ろうとしている。

 

発達障害 (文春新書)

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