スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

マイバッハ  不屈のピアニスト   2017年 

ジョアン カルロス マルティンスの実話であろう。小さい頃からピアノの才能開花し、先生たちももう私の手には負えないわと次のステージとしていくような天才なピアニストであった。特にバッハになると記憶力が抜群になり、あっという間に長い曲を暗記してしまう。そして間違うことなく弾いてみせることができた。彼はいつもバッハと共にあった。バッハの曲に魅せられていた。家族もピアノの先生も皆が彼を押し上げようと応援するのだった。そして大きくなると、カーネギーホールなどの大ホールで精力的に演奏会をやって、いつも超満員の観客でいっぱいであった、やはり彼は世界各国を回り、いろいろな国へと演奏会を増やしていった。ピアノ一筋だった。彼もやはり年頃になると、女性に興味を持つようになって、いろいろな女と関係を持つようになった。それはある程度別のこととして、彼にはやはりバッハ一筋の役目があった必死になって練習をする。どこに行っても何をしていても、彼はバッハのことを忘れる事はなかった。バッハの旋律は美しく堅苦しく何とも言えない調和や美しさが魅力である。たくさんのたくさんの講演を引き受けて、それをこなしていくうちに、だんだんと彼の手は衝撃を受けるようになった。腱鞘炎の最も厳しい症状であった。これ以上ピアノを弾くと指が動かなくなります。そう言われた彼であった。何とかそれでも演奏会を続けようと、指に金属の輪のギブスをつけて彼はピアノを弾き続けた。そしてとうとう右手は動かなくなり、結局左手のみで弾くことになってしまった。そして結局ピアニストとしての仕事休むことになったのでもうこれでピアニストの生命は終わりかと思われたのであったが、彼は左手のみで弾くようになった。左手で奏でるバッハもまた素晴らしいものであった。そしてそんなことをしているうちにまた事故に。外国で演奏会を終えた後、ふらりと外に入れた。すると、女が待っていてタバコを吸っていた。君、一緒に飲みに行こうじゃないか。ウォッカでもそう言って彼女を誘った。そして歩いていることに2人連れの男がついてきて、後ろから襲われ倒れた。そのまま気を失って、 病院出目が覚めた。

絡まれた事故であった。なぜ彼がこんな目に合うのかはわからないが、とにかくひどいものである。また頭に損傷受けた彼は言葉が出なくなっていったけれども、なぜかピアノが弾けるのだった。またピアノを始めた彼。今度は自由な自由気ままにやっていこう。そのように思っていたのである。左手もだんだんと腱鞘炎が厳しくなり動かなくなっていった。また医者がこのままでは左手も全く動かなくなってしまいますよ、と言うのであった。

こんなことが何度あったのだろう。しかし、彼はそれでも意地を通した。これは指揮者になって、オーケストラーを率いて演奏しようと言うことを思いつくのである。そして指揮者の勉強を始めた。それでオーケストラ64人を率いて、演奏会を開くと、とても大きな喝采アンコール。ブラボーブラボーと皆が総立ちになったのである。静かな曲目であったが、力強いものであった。彼は、指揮者としてもやり遂げることができた。

ピアニストは、やはり危険な職種であるなということ知ったことであった。