1912年生まれの元気な女の子はすくすくと育ち190センチ以上の背の高い女性だった。夫ポールと二人三脚で料理を開発していった.。というか彼の理解なしには彼女はここまで仕事にのめり込むことはできなかったであろう。フランスに夫婦で渡ってからは、新しい生活を楽しんだジュリアであった。夫のことや、家事のことはほぼ放棄して料理にのめり込み、またフランスの市場巡りも生き生きと楽しみどんどんと新しい食材アーティチョークやアスパラガスなどアメリカ人が扱ったことのない食材に興味を持ってレシピを獲得していった。
夫の仕事でフランスに行ったおかげで、有名料理学校にも入学し、男性ばかりの中に女が一人と言った環境においても、何一つ怖けずに、どんどんフランス料理を勉強し自分のものにしていった。画面で見るように、いや、名前のとおり子どものように天真爛漫で無邪気な彼女の性格はサバサバとしていて難しい料理を考えているようには感じないが、レシピの基本だけはしっかりと頭に入っているのだった。彼女はこのレシピについて文字にしてノートにまとめようとした。ノートはどんどん分厚くなっていったが、サンバサバ系の彼女は頓著せずに、レシピの執筆がライフワークとなった。この本は、結局後になって爆発的に売れてゆく。初めは誰も買わない本として出版社さえ嫌な顔でノーと言われた本であった。
彼女がたまたま一回きりと言う約束でテレビに出演し、オムレツを作って見せたところ、(アメリカにはまだオムレツがなかったので誰も作ってはいなかったらしい!)
テレビ局に電話がじゃんじゃんかかって来て鳴り止まず、続けて出演をすることになったチャイルド。テレビ番組も大盛り上がりでこの番組はずっと続いていった。ちょっと低めのボイスの彼女は背も高く、どこか男っぽいものであった。テレビのぶっつけ本番にも、失敗も恐れずにマイペースでどんどんやり抜く彼女に、多くの賛辞が寄せられた。時代の波に乗ったのかもしれない。
彼女の大切にしていることはまずは「新鮮な材料」であった。野菜でも新鮮なものはより旨味が強いようだ。誰でも簡単に作れて,美味しく栄養のある料理はアメリカの家庭にこうして普及していったのだ。
当時のアメリカで、ボナペティ(どうぞ召し上がれ)と言って出すようなフランス料理はかなりハイクラスのものではあっただろうが、憧れでもあっただろう。簡単に、シンプルに、美味しくを実現したレシピは人気が出て、本は飛ぶように売れていった。
手作り料理など今更古いと言うだろうか。しかし何かの機会に作る時に、手早く美味しく料理が作れたら、特じゃないかと思ったりして。基本さえ知っていれば、ブレることはないだろう。
最近の子供達はどうやって料理を習得するのであろうか。勉強、習い事、部活と子供達は一日中忙しく、昔のように暇にぼんやりと家にいる事がなくなった。下処理からはじまって祖母や母親の料理を見て育った私らの時代とは全く違ってしまっているようにおもって少し心配である。
ま、老人のなんとやらかもしれないが。
