思えば既に28年も前の事件になってしまった。1995年に、家が揺れたので目が覚めると、阪神神戸の大震災が起こっていてテレビではもう皆がパニックになっている映像が飛び込んできた。恐ろしい思いでテレビを見ていたがまだ寒い小寒大寒の真冬のころであった。コレは、この大震災後に起こった事件である。
「一致団結」して復興に取り掛かるというイメージはただの宣伝文句であったのだろうか。それらを見透かすようにこの恐怖の事件は起こったのだ。中々、犯人が特定できず
操作は難航しているかのように見えた。
復興間もない1997年に起こったこの事件は凄惨を極めたものであった。11歳の少年の首が小学校の門柱の上に置かれていたからだ。
警察は混乱した捜索をしており、テレビではコメンテイターが正反対のことを言っていた。例えば犯人は儒教の知識の高い大人の男性、と言ったふうだった。黒いビニール袋が目撃されて人体かもと思えたがコレも全く違っていた。犯人からの手紙が数回警察に送られ、公開された。
おかしな文章で、警察の無能さを嘲笑ったものばかりだった。犯人は自分がこの世で最も知能が優れ、全ての面で優れた人間という認識の上で
書かれたものであった。だが、まあそういうのに限って何処か抜けているものだ、強い劣等感に苛まされた人間の呻き声の様にも感じられるのだ。行場を失った彼の心は追い詰められていた。思考は閉鎖寸前だったかも知れない。崩壊してゆく自己を彼は保つことがほぼ不可能であっただろう。
多くの小動物を殺していたことから足がついた。彼の友人らが証言した。危ない奴だった、、殺したかもと自分で言っていたと。
殺人犯人は捕まったが、ご両親の心は治るわけもなかった。ここ30年ばかりも、地獄の様な日々であった事だろう。
だたそうではあっても、私個人的には、医師であるこのお父様、お母様の立場であれば、どうしただろうかと思って途方に暮れるばかりだ。
ただそうであっても特別に彼らにクジがあたったというわけではない。こういう事件は誰にでも起こり得る
事件であるということを言っておきたい。
人一人のうちには多くのおどろおどろしい過去があり、因縁があるだろうが、それにしても、だからうちの子が選ばれて殺されたとか、自分達が選ばれて被害にあったとかということは何も自分を責めることではないと思うのだ。どういうわけがあったのかは分からないまでも、事件について伝えるために立ち上がった
父親の立場は、何かとても特別なものであって、彼自らも何千回、何万会も考え試行錯誤されたことでもあろうと思う。ご両親は1時間ごとに一字一句に哀しさや苦しみを噛み締めて生きて来たことだろう。
事件に巻き込まれた人々は、汚辱の池に溺れた者のようになり、日々の生活が色々困難になってくるものだ。世界は急に暗くくすんで見えて、天と地が逆さまになったような世界を毎日歩いて行くことになるだろう。分かってはいるけれど何故だか正しく足が進めないのである。
普通にできていたことが重症患者のように出来なくなっていくのだ。
被害者の親に致命的な心の傷、ショックを与えるための、コレは事件であった。
彼は自分の親に対する復讐を、他人の親に対して行ったのだった。ハセくんは、お金持ちの家だったろうし、両親から手厚く保護されて、可愛がられていたと思う。可愛がられていることに犯人は不満をもち、犯人の嫉妬は彼に復讐を思い付かせた。
父親は「淳」という本を書いて出した。まだ読んではいないが、この本を読んで、本当の事件の全貌というか幾らかでもわかると良いと思っている。犯人からの反省とお詫びの手紙は、犯人が事件の本を自ら書き出版物として出してからピタリと来なくなったという。どういう心境の変化であろうか。いっぱしの作家として生きる価値ありと思ったのか。許されることであろうか。一応の真相は、父親の書いた本で分つかもしれないが。
