スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

NHK TV 大追跡 グローバルヒストリー  フランス浮世絵ブームを起こした美術商  林忠政1853-1906年

美術商の林は、パリ万博にあたり、多くの日本美術をヨーロッパに紹介しようと、浮世絵などを多数パリに運んだ。それが商売になると、先見の明があったのだ。正倉院と同じような建物を万博に建てて、それはとても美しくヨーロッパの人々はその東洋の神秘に酔いしれたと言う。エクゾチックな不思議な建築、不思議な美しさに、西洋人たちは目を見張ったのだった。折しもパリにはセザンヌゴッホピカソ、モネ ルソーなど、ありとあらゆる画家が集まっていた時期で、と言っても、多分パリの万博の噂を聞いて皆が集まって来たというのが本当だろう。ちょうど彼らにはジャポニズムと言える浮世絵を直に見る大きなチャンスとなった。それにより影響を受けた画家は多かったのだ。遠近法を使わない滑らかな浮世絵は大人気となった。その技法を学ぼうとセザンヌなども試作していったのだった。

万博に大きな目玉として、正倉院の宝である仏像をパリに持ち出そうとした林に、天皇は告げた。

この日本の掛け買いの無い仏像を持ち出して、もしも、万が一と言うことになれば良くないが、どうする林と、問うた。

それに答えて、「その時は私は死にます。」と答えたと言う。この辺りが屋台骨であったのか。鵜呑みにできないことである。

林はフランスでは推しも押されぬ信用のある美術商になっていた。既に数十年もパリに暮らし、日本とフランスの架け橋となり、

浮世絵のフランス語解説の本は大人気となった。

 

大成功の万博後には、西洋の絵画を日本に紹介することを思いつき、日本で初めてのに西洋美術館を建設する計画を立てる。西洋絵画をどんどん収集していった。その数500点以上であった。だが持ち帰ることが出来なくなった。何故なら、

彼は、図らずしも病気に襲われ、52歳で、この世を去ってしまうからだ。事実、世界に日本美術を紹介して劇的な人生を送った人であった。

誰も自分の未来でさえ予期できない事実に、胸を突かれたような気持ちになった。