スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

日曜美術館  NHK 4月20日  雪舟  若冲  ウオを釣る人、書を読む庵、

京都の相国寺(ショウコクジ)という寺には、古の中国より持ち帰られた鶴の墨絵が鎮座している。この寺は、足利義満の時の室町幕府と、御所を挟んだ間にあった。この寺の僧は、高い中国の学問を習得しており、中国語が喋れたという。そういう学問の中心であった。もちろん中国の本物の芸術もそこにあったのである

 中国渡りの鶴の絵を雪舟や、伊藤若冲などが見て模写に励んだのだ.ソレはとても素晴らしい墨絵であったので.雪舟は中国に渡り、本物に学ぼうとした。48歳という歳であった.2年ほど中国で学び、画風を確立したようだ。日本では如拙や周文を師としたが、中国留学はその後だろうか。雪舟の墨絵は、線が太くダイナミックなのが特徴の一つだ.個人的に、この画風はわたしには合わない。もっと繊細でもっと枯れた線で描かれた松の木や、そして今にも倒れそうな小さな家屋や小屋、こんなものが風流だと思うが、雪舟をやたら押している人は本物の絵を知らないか、心のとても広い人かのどちらかだろう。のちに、雪舟の自画像と国宝の風景図を見て、悪口言い過ぎたと雪舟に詫びなくては、と思った。日本では如拙や周文の水墨画はじつはちゅうごく(明)のものと肩を並べられるほどの素晴らしいものであったことを改めて知った雪舟は、独自の水墨画の境地へと進んで行こうとしたのだった。ただ、建物や人物がはっきりし過ぎてるか大きすぎるかしてるのは絵全体の調和が乱れるので、この小さな人物に対してどこまで省いて、もう一息のこなれた枯れたものとして描くかという点に大きな重点を置くべきではないのか、無限の空間に招かれたような息を呑むような絵というのはさらに洗練された訓練が必要と思う。ソレには本当に素晴らしい絵を見ることだ.無心になって漠々と見ているうちに、その絵の中で遊ぶ、山の崖を駆け登り苔を掴み止まればもっと上を見つめる。

誰かただ1人で小さな道を呑気に登ってくる男がいる。このストーリーは私は一度書いた記憶があるが、どうやら釣り道具を担いでいるようだ.もっと良い場所に移動するためだろうか。どうも魚釣りを仕事にしていて魚を売って生活しているのだ。そういうことまでわからせるという凄さは、他にはない。岩の上には小さな小さな書院があり、誰か古ぼけた机に書物を広げて熱心に読んでいる。彼はいいご身分の文人であろうか。熱心に読書している人間がこれ程心地よく描かれているものはないが。季節は春なのか、茫茫としてのどかな春の午後だろう。

その庵があまりにも簡素で小さいため、私は台所などは何処だろうかと中を色々探して見た。広いようにも感じるが寝るだけの広さはあっても他にはとくべつなものはなし、手垢で痩せた低めの木の手すりから山や谷が見下ろせて絶景かな、絶景かな、となりそうだ。このめでたい絵が誰のものかは分からない。日本のものかどうかも。ただ丸い岩の上僅かに苔の緑色がかかっているのだ。ソレも緑色に薄く炭を混ぜてくすんだように見える配慮までされている.大きく完成された一種の哲学のような雰囲気さえあるのがおそろしい。これを書いたのはただ私が自分であの絵を忘れないようにとするためである。 また中国からは、日本は多くの物事を仕入れ学んだのである。米の栽培、文字、宗教、何でもかんでも。日本人で、学びたいと思った人たちはこぞって中国に渡って学んだのだ。このような文明大国が、今や日本へのいや世界でも脅威となって悪口をいわれている。恩人をこき下ろすのはどうであろうか。多くのものをもらっておきながら、大人になった子供が、親の恩を忘れて罵り殴りかかると同じだ。政治的なことはよくわからないが。私の意見は小学校で習った事がほとんどでそういう時代はみんな鵜呑みにして結構おぼえているものだ。

 

金閣寺の中を飾る襖には伊藤若冲の筆なる芭蕉の木が大胆に描かれている。将軍の持ち物である金閣寺などに書くということは本当に大きな名誉であった。芭蕉の大きな葉が大胆にソレなのに繊細な葉の変化を捉えていてこれも見事である。こんな絵が若冲にあったのかと、好きにはなれなかった若冲を見直した。有名らしい葡萄の蔓の絵では蔓の巻き方が本当のようでよく観察されていると感心した.曲線にまく蔓もあれば、直角鋭角に折れ曲がる枝があるのが本当の自然の蔓の在り方なので、葡萄のことをよく知っている若冲ならでは観察眼で、この絵の誠実さに、頷くはずである。

若冲は、雪舟のような風景画はわざとさけていたのかもしれない。雪舟は人間的には果敢に風景画に挑戦した勇敢な男であったとおもう。友達として付き合うなら、真面目な雪舟の方が良いかもしれない。