みぎりとは、武士身分の言葉であるらしいが。まあいいだろう。
まず子供の頃は夕食どきはいつも母の膝を独占しいて、甘えていた。夕食を口に運んでもらって食べていたのだろう.ご飯 と野菜、と言っても大根とじゃがいもなどの煮物だと思う.魚や肉など、特に肉は皆無であった。
ところで姉とワタシと祖父祖母、父母の6人家族で夕飯を食べる時、姉はどこにもいなかったんだ。時々姉の名を呼ぶ母の声が聞こえてくる。こっちにおいでと。ごはんだよと。
姉がいる事は知っていたが、マトモに話したこともなく、夕飯時もどこに行っていたのか姿がなく不思議な思い出である.姉は私と年が離れていて、何をしているのかよくわからなかった。とても無口で、声も聞いたことがなかった.いったい姉は何をしていたのだろう。部屋で宿題でもしていたのだろうか。
子供の頃から、自分の家は何か独特の雰囲気があり、他の家とは違っている気がした。コレは子供ながらにとても辛いものであった。外に出ると、いつも大人から言われた.「なになにちゃんは特別なんだよね」なんだと、このヤロウ ぶっ殺してやろうか、と今なら思える。なんなんだよ、朝から晩まで.コレってある意味集団的いじめだよね。
コレはとても辛い経験であった.持続的苦痛であった.何が特別だったのか…。何も犯罪はしていなくても、犯罪を犯したように見られることを子供ながらに感じていた。突然に、階段の下の空間から出てきて私はお前のお姉さんだから、きょうから私をお姉さんと呼べと命令してきた。この人は誰だろうと思った。その日から少しの間、姉は私を遊んでくれた.ただその頃は私は、別の近所の女の子と、レンゲや、蕗のとう摘みに夢中でよく外で遊んでいた.姉の家での最後の春休みだったのだろうか。姉はその後はぷっつり見なくなってしまった。姉はその頃両親とも、家から出てゆく事を話して了解を得ていたんだ.声を聞いた記憶もなく、なぜなのか不思議である。
姉は高校を卒業すると、さっさと東京へ行ってしまった。高校生になった姉はすでに家を出て下宿していたため、ほとんど会っていなかった.夏休みでさえ、会ったことがなかった.姉にとってあの時期はたぶん蝉が蛹になって地中で過ごす時期のようなものだったのかもしれない.結局姉も、このいえで暮らすことに不満を持ちたった一人ででも、出てゆくことの方を選んだのであろう。わけがわからない。私は結局、取り残されたのだった.この田舎に.この家に、たった一人で。家の亡霊達と共に。
あれから50年以上たったきょうこの頃だが、あれからとても激烈なことが多く起こり、生きて行くことに右往左往しているうちに時間ばかりが経ってしまい気がつけば子供らは成長し、だが、子供に頼るのも何かと都合も悪いこともあって年なりに頑張ってゆくしかなくなってしまった。両親は旅立ち、今度は夫や自分の介護までもで忙しいはめになっている。若かったあの頃は、辛くてもう少ししか生きておれないだろう、たぶん40さいまでだろうと思ったものだった。生活はめちゃくちゃだったから、健康を害していた。
そしてそういう仲間は早くに死人のような生活をしており、見るのも恐ろしい生き地獄であった。
私は今でも思う.彼らと私は同じ星のもとに生まれた兄弟だ。私も潔く彼らの元へと行くべきだ。
彼らが喰んだ草を私も食べるために。今の私の命は、あの時死んだ仲間からのプレゼントみたいなものなのだから〜。ありがとう、君達 .ギリギリの生命を保った人たちへのレクイエム。
