これはいわゆるゴシック小説と言われるもので、幻想的 悪魔的 廃退的といった趣が強調された小説である。よく知られた、ジギルとハイドなどもその類である。この作品はその頃のヨーロッパのパリでの出来事を通して、その頃の社会的情勢を含み庶民らの生活の様子が上手く描かれているというか、フランス映画は、ちょっとどんちゃん騒ぎが好きすぎというか、そういう作り方になっている。権威を重んじる、司教や兵隊達は、自分たちの大きな権力が新しい民衆の力に奪われてしまうという恐怖に囚われていた。新しい印刷機械にさえも警戒と恐怖の感を抱くのだった。人間とは確かにこのように戸惑い案ずるものだ。それにしてもパリの民衆のいい加減さというか、流動的な心を、ユーゴーはよく描いている.要職にある男は.自分の大罪(殺人)をジプシー女においかぶせ、自分は無罪としてにげようとしていた。それをカジモドは見破り、女を助けようとノートルダムの高い壁を乗り越えながら、女を救う.カジモドは、このノートルダムで育ち、ノートルダムを知り尽くしている。
彼女を絞首台から救い出し高い塔に上がって多くの民衆や兵隊をを見下ろす。「ここは聖なる場所だ。sacred place。sacred place!」と初めて叫ぶのだった」教会は誰も手を出せない聖なる場所と定められていたのだから。カジモドのお陰でジプシー女は救われて、無罪となった.ジプシーは流浪の民として軽蔑され嫌われてきたが、ここにおいてパリはジプシーの住居権がみとめられた。よくわからないが、ユーゴーの書いた小説の中ではそういうことになっているようだ。
彼女が去っていった後、彼は一人で高い塔に上がり、彼女のことを思って、泣くのだった。
また、ユーゴはパリの中のもっとも貧しい貧民層の人々の様子も描いているようだ.この映画にも恐ろしすぎる姿で、ドブから出てきたような姿で這いまわる市民が描かれている。