硫黄の煙が噴き出す鹿児島県の硫黄島で俊寛を演じた中村勘九郎たち。亡き父への追善にと息子たちが波打つ海のそばで演じる。舞台が本物の海をあしらってのものであり、なかなかのものだった。僧都の俊寛は長男の勘九郎が力演していた。確かな演技力に支えられた舞台になっている。
ただ文句を言うのなら、感情が高く大きくなりすぎて能などよりは少し派手に散った感じもあった。
彼の演技はなかなか力強く的を得た演技であった.つまり
僧都俊寛の辛い気持ちを深く強く理解してのことであろうと思わせたのだ。
硫黄島は名前から言っても、絶海の孤島と言った趣がある。恩赦の知らせの船が来るが、そこには俊寛の名は書かれてはいなかった。
3人の罪人のうち、二人は許されたのだ.なぜ自分のみが許されなかったのか、理由も不明であった。
しかも残してきた妻も殺されたと聞き、全ての望みを断ち切られた俊寛であった。
彼は本当は無罪なのかもしれないと思えてくるので、なんとか救ってやりたいと思ってしまう。こんな孤島でただ1人生きて行ける者はいないのだから.天然に作られた独房のようなものだ。
死を覚悟した俊寛であった。もともと平清盛への反逆罪としてこの恐ろしい島へと送られてきたのだ.実はこれは死刑と同じなのだ。
近松がなぜこのような救いのない人間の壮絶な悲劇を描いたのか。多くの人々が苦しい災難に遭うものだが、この僧都俊寛ほど酷い目にあう者がいるだろうか。それを持って自分の幸福であることを喜びなさい、というメッセージだろう。
劇としてこの悲劇を演じるのは楽しいだろう。演じる本人は、決して硫黄島になどに一人で残されたりしないわけであるからな。