スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

モンドリアンという画家  (名画を見る目  高階秀爾 の本を読んで)

1900年はじめに活躍したモンドリアンはキューブリズムの王様だ。多くの若い画家たちはパリに集まってきていた。彼は幾何学のような絵を作った.初めは抽象絵画であったものも結局はとことん突き詰めれば数学的幾何学で、線となってゆくことをつきとめた画家だ。因みに

ダリの絵があるとしよう、それを煮詰めてゆけば、線と色に集約できるのだ。

もちろん、それが彼にしか理解できなくて、可愛げのない作品だったとしても、その絵画にはおそらく、とても多くの絵の素材が包括され、それが赤、青、黄色というたったの三色となり、それが線で区切られたり交差される直線となっていく。、彼は直線でなければだめだと言い切っている。彼は3色出なければだめだと言い切っている。潜在意識的レベルまでも対象物を掘り下げた絵画となって行くのだ.花も、木も、家も船も描かれず、動物のいない牧場の囲い線のように虚無的にただ存在する.それはただ絶対的という言葉で表せる程 ただ、存在する感じがする。彼は普通の絵も書いていていたようだが、戦争後はパリに帰らず、アメリカのニューヨークに行き、そこにとどまった。ニューヨークは

多様性とプリミティブで野生のような活気に満ちた街であった。すでに高齢になりつつあったモンドリアンは、にぎやかな街が好きで、ネオンを愛し、ジャズも好きであったという。

あまり真面目に堅苦しく彼の絵を見る必要もないだろう。カラーテープを貼って作ったというニューヨークという作品は、軽やかで少し立体的に見える。そしてまるで動物園のサルを一匹ここに入れたらさぞかし面白いだろうと感じ、プッと吹き出しそうになるのである。

それはたぶん、きっと、許されることだろう。

 

ピカソにしてもセザンヌにしても対象物を描いた、それを煮詰めて消化させるという方法がモンドリアンとは少し違っていた。対象物としての絵を描いた。一方モンドリアンは対象物が思考され、昇華され、哲学的になっていった。

何もない荒野のような非情ーな世界に見えるモンドリアンの絵は実は中にトンネルがあるようなどこに続くともわからない豊富な美意識の宝庫でもあるのだ。