スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

父のセザンヌ 

 

ある日ちょっと嬉しそうに巻いた紙を持って帰って来た父であった。「コレは、ヨーロッパの方の有名な画家の絵だから、ようみてみんしゃい」と言って、リンゴやミカンがテーブルにのった絵画を私達家族に見せたのだ。5歳ぐらいの子供にとっては特別感動のないありきたりのものだった.ただ父だけは何故か珍しく興奮気味でコレは有名な絵だ。コレは有名な画家の書いた立派な絵なのだと一人で力説するのだった。はてな?というのはこのことだ。

父はマン軍の味方を得た様に、自分にもやっと出番が来たのだと確信した様にハイになっていた。

コレが我が家でのセザンヌデビューであったのだが.父は私が小学生になってもまだセザンヌを立派な人だとか言って褒めていた.なんのどこがこんなにえらく気に入っていたのかはわからないのだが、無口の彼はそれ以上のことは語らない。父も時々絵を描いていた。一人で、山に登り、景色を描いていたが、水彩画であった.一番金のかからぬものだった。亡くなった父には申し訳ないが、どれもコレも素人のタダの趣味という他評価できないものだった。

ただイーゼルは持っていた.それを担いで近くの山に登るのが楽しみでもあったのだろう。

ただセザンヌの絵画は以前として私には腹立たしいものであり、子供からしたら、なんであんなのが立派な絵なのだろう、と怒っていたと思う。ついにはトラウマとなってしまったセザンヌ静物がであった。

セザンヌはとても疑深い男でだれもよせつけぬところがあったらしい。銀行の頭取の息子であった彼は、何処となくそうならざるを得ないところがあったのは否めない.ただ彼は自分の絵画の追求にも力を注ぎ、休むこともなかった。おりしも「パリ万博」が催され、アンリ ルソーも旗が空にひしめく万博の絵画を描いている.その絵は、仲間からさんざん笑われいつものように馬鹿にされたのだが、ピカソはルソーの絵を高く評価していた。ゼザンヌは万博で、飾られた日本の浮世絵を見たのだった。

平面的であっても重量感のある立派な絵はセザンヌの心を強く打った。平面的な絵でもいいんだ!!もうルネッサンス以来の遠近等ともおさらばだ!

ここに至るまで、私自身はセザンヌの謎が解決できないでいた。ラッキーなことに、フランスに造詣の深い知り合いから、良さそうなアンサーをもらった。ヒントは世界万博の「浮世絵」であった。日本が誇る美観に溢れた浮世絵はヨーロッパとはまったく距離を置いた代物である。

ゴッホものめり込んだジャポニズム、であれば、美術の先生もさっさと教えてくれたって良かったのにね。何十年も謎のままだなんて。