ape (エイプ)というのは猿の事なのね。monkeyじゃいけないのね。霊長類に近い類人猿とでもいうのか。
確かにこの映画の主役はチンパンジーやら、時々ゴリラと言ったもので成り立っている.どうやら未来の国へ来てしまったお兄さん、変な猿だらけの星に宇宙船と共に不時着した.猿は、軍隊をもっていて階級が厳しく決められていた。もちろん人間達は奴隷となって仕事に従事させられていた。どっかで見た様なはなしだと思ってつらつら見ていたが、皆猿なので誰が誰やら分からなくなっていた。それに戦士達の鎧がなぜかカブトムシか黄金虫の羽の模様にそっくりで、そのことばかりに気を取られてしまい、気が付けばもう宇宙船に乗って地球に帰還した場面になっていた。人間が住む「地球」と思われる星にに帰って来て、人間達に出迎えられると喜び勇んで出てみると、あっと驚く という映画であった。
結局ティムバートン監督も、同じパターンで行くのかと思うと、お金の無駄使いと思った。
サルワクは、ただ猿と人間の戦いだけを描こうとしたものでは元々ないだろう.そこには今いう多様性だの世代のギャップだのという、もっとも手ごわい世代の壁問題がある様に思えてならない。猿の持たない現代の武器や、通信機器などは猿を驚かせるという映画であった。現代では、老人にSMSを操る事はなぜだか難しく若者らの文化についてゆけない事は明白である。が 予感的に我々が恐れているのは、今の我々の文化の風化ではないのか。彼らは人との繋がりはバーチャルである様なsmsで事足りているのだろうか。数百年守り抜いてきた重味のある自分たちが率いている文化が、若い世代に無視され、足蹴にされるという恐怖。老人には若いもの達は猿の様に脅威であり異星人で、理解を超えた文明の持ち主なのである。それは我々が腹を痛めて産んだ子孫達ディセンダントではあるものの、容認し難い壁が見え隠れしている。若者の帽子の被り方を見たまえ、彼らは防寒ではなく、毛糸の帽子をただ一つのアクセサリーとして表示しているわけだ。帽子一つ見れば、それがすべてを物語っているようにおもう。カラフルでアクリルなひとつの帽子は彼らの頭の上でちょこんと乗っかっているだけなのだ.まるで世代の武将の旗印の様に。
彼らがどこに住み 何をしているのか、私は知らない。