読むのは2度目の死の家の記録、とても厚ぼったい本だったので、困ってしまったが、結局2度目だったので、パラ読みということにした。つまり、この本は、どこを読んでもどこから読んでも、死の家の描写であり、色々な人々の性格やら生業やらで一杯であり、そう言う人物評論であるのだ。であるから、どこから読んでも許されるものであろう。
作者自身の28歳からの監獄暮らし、そして死刑直前に恩赦で許され、シベリアオムスク監獄へと渡って過ごした自分自身の体験を、彼はどうしても書かずにはいられなかっただろう。題名もそのものずばりの「死の家の記録」としている。結果的には、全体に素晴らしい作品になり、監獄に入っていない一般人にも読まれていく。なぜなら、一般の暮らしであっても、避けられぬ似たような苦労があり、順風満帆とはいかぬのが人生だからだ。自分と似た性格の囚人もいるし、その極端さも面白いものだ。
彼ドストエフスキーの母は16歳で病死、父は18歳で村の農奴に殺害された。父は医者であり大地主として二つの村を買いとったりしている。そうして農奴から憎まれたのか殺されている。この事件は彼の心にどれだけ大きな恐怖と富を忌み嫌う気持ちを植え付けたのか。
学業の捗らぬ兄ミハイルは、次々と雑誌を刊行し、弟ドストエフスキーの作品を自らの雑誌に載せて世に出して知らしめてゆく。学業では弟より劣った兄であったが、やった事は本当に価値ある事をやったのである。
1863年の43歳には、「地下室の手記」を発表しその年にともに、妻の死、兄ミハイルの死、友人の死などを迎えてしまう。地下室の、では、俺は40になる中年の男だと自らを名乗り、現実でも43歳でありピッタリ合致するのだ。ただこの作品は、理解し難い構成でもあり、主人公の奇怪な人格のために、それが実際の現実と一緒になって描かれるシーンも多く、益々理解しにくい内容になってしまった。そのうえ長きに渡り、事実地下に埋もれていたようにも思われる。わたしも含めてこの作品はとても誤解されて読まれ続けたために、真意を知る者はほぼおらず、私をはじめ、ほとんどの人には理解できないものになっている。
野暮は言うまい。これは序章である。
1866年には、代表作とも言える「罪と罰」は、脂の乗り切った45歳の時である。この作品から、口述をして、妻に筆記させると言う形で、作品を紡いでゆく。1871年50歳には、「白痴」「悪霊」などの作品をペテルヅブルク国境前で、燃やした。検閲に引っかかる事を異常に恐れた結果であった。以前、思想犯として監獄に入れられた思い出は凄まじく、またしても空想的思想云々で、自分の作品を人質に取られるのはごめんであっただろう。
せっかく産まれた娘、息子も死亡してしまう。家庭的には恵まれる事はなかったがドストエフスキーは耐え忍び、一握りの種を元手に小説を書き上げていった。彼の苦悩はいかばかりかとわたしは、心配になった。
この死の家は、読みやすい作品でもあり、囚人一人一人が、主人公として次々に出てくる。彼らの癖や、軽薄さはにはただならぬものがあり、さすが犯罪人だなあとおもわせる。人間観察が飛び抜けて鋭く読んでいても衝撃をうける。
自分自身が辛い時とか、こう言うものを読むと、やはり、なにかしら慰められると言うことか。毒をもって毒を制すということだろう。
囚人のほぼ半数が、読み書きができる水準を持っていたと言う。これはその時代では 市井においても珍しいことであったのだ。
また、この作品は、ある孤独な30才半程の男がいて、村の娘の家庭教師として雇われていたが彼は、なぜだか、教養が高く知能も優れていたのだが、無口で誰とも付き合わなかった。
彼はかつて、囚人として収監されていた人間であった。
男が家庭教師として、来なくなったので、家を訪ねると、彼は死んでいて、残された手記がこの本であると言うくだりを、最初の本では読んだのだが。
それは結構古い本で、グレーっぽい麻のような布で製本されていた、厚さは4センチ以上ほどもあったように思う。探してみたが、見当たらなかった。まるで死の家を模ったような古めかしい灰色の本であった。