トルストイの自信作、短いながらも、「人はなにで生きるか」と一体になっていると言ってもいいだろう。
ある年老いた靴屋は、手堅い仕事をして街の人に喜ばれていたが、愛する妻も死に、3人のかわいい子供も
皆病気であっけなく死んでしまったので、ひとりぼっちっで、生きがいもなくなり、孤独でしょんぼりと暮らすのだった。何もかも奪われてしまった時、人はどうするのか?そんな彼の前に巡礼の老人がひょっこりやって来るー子に老人は、かつての知り合いでもあったし、神に仕えるために、自ら巡礼の旅を続けている老人であったー靴屋は、自分の苦しみをうちあけた。もう俺には生きがいもなにもないー日曜の教会にももう通ってはいない、と告白する。老人は、はたと彼を見て、うん、君は字が読めるかい、だったら、聖書を買ってきて読むがいいよーきっと神様は助けてくださるだろうてーおまえさんは自分がいい思いをしたいがために苦しんでいるんだー神のために生きるという事になれば、お前はなにも苦しみは無くなるだろうさ。気が楽になって、幸福になれるんだーと呟いて、サヨナラをした。
聖書を買った靴屋は、少し読み、少し読みして楽しくなって、コレを読むのが日々の楽しみになっていった。ある晩、うとうとしていたのか、彼の夢なのか、キリスト自らの声がして、明日お前のところに行くからなとお告げがあったのだった。
その後、彼は苦しむ隣人たちを助けてやったー彼は自分がもうすでに幸せになっている事に、気付いたのだ。イエスは自ら、彼に直接話して聞かせたのだった。幸せになりなさいと。
なを、人はなにで生きるのか、では、素っ裸の天使ミカエルが出てくる話だが、「設定」が素晴らしく、しかも最後は奇怪なロケットのような光を放って天に昇る天使ミカエルがいたー奇跡とはこの様に、想像もつかぬ様なものであり、激しいエネルギーを持つ爆発のような事がおおいというか、その様なものでもあるのだ。